10 不穏な気配

 ブライバークとミーシャが歩いている通りも昼間は人が買い出しや宿を手配するために歩き回っている事も多いが、今日はまばらにしか人が居ない。いつもの通りの雰囲気ではないせいか、ミーシャはどことなく落ち着かないように辺りを見渡してしまった。

「おや」

 そんな中、ブライバークが立ち止まった。ミーシャもその様子に立ち止まり、その視線の先を見ると……診療所の前に緑色の大きな体が三つほど見えた。その姿には見覚えがある。途端にミーシャの体が強張った。

「……ミーシャちゃん、私の後ろに隠れてるんだよ」

「は、はい」

 そんな様子を知ってか知らずかブライバークがミーシャを庇うように前に出る。彼女が頷いたのを確認すると、二人は再び診療所の方へと歩き出した。すると向こうも気が付いたのか、大きな体を揺らすように歩きながらリザードマンの一人が二人の方へと向かってきた。

「よぉ、ブライ先生」

 ブライバークほどの背丈はないが体躯たいくのしっかりしたリザードマンを目の前にして、ミーシャは喋る度に見え隠れする牙や鱗に不安感をあおられる。亜人の中でもリザードマンやマーマンは特に体格が違う。数も少ない事もあり、まだ見慣れない存在でもあった。

「やぁノイ、今日は何をしに――」


「あっ!」


 ふと後ろに居たリザードマンの一人が声を上げ、足音を荒く立てながらブライバークの後ろを覗き込む。人に近くとも爬虫類さながらの目と目が合い、ミーシャは思わず肩を跳ねさせていた。

「こいつ、一斬と居た人間じゃねぇか」

「あぁ……助手をして貰ってるんだよ」

 そう言ってブライバークはミーシャとリザードマンの間に割って入った。穏やかに微笑んでいるブライバークに対し、リザードマン達はミーシャを見て怪訝けげんそうな表情を浮かべた。

「助手ぅ? 人間にか?」

「彼女は亜人に理解がある。人狼と一緒に居るくらいだからね」

「……はっ、あいつらは嘘が上手いからな。あの一斬だって、そいつを非常食代わりに傍に置いてるだけだろ」

「なっ――!」

 思わずミーシャが前に出て反論しようとしたが、ブライバークがそれを手で止めた。何か言いたげな顔に見上げ目で訴えるも、首を横に振って抑えるように無言で制す。

「ところでノイ、君たちは何をしに?」

「あぁ、ハバースに荷物を運ぶ事になったんだ。長い仕事になる。行く前に体を診て貰いたかったのと、先生確か俺らが暑い場所に行く時は薬が要るって言ってたろ?」

「ハバースか……依頼人は随分と無責任だね、レッドリザードでもないし、君たちが暑さに強い種族ではない事は有名だと思っていたけど」

「リザードマンなんてどれも同じに見えるんだろうぜ」

 皮肉げにノイは言って見せて、周りのリザードマン二人も肩を揺するように牙を見せながら笑って見せた。その言葉にリザードマン達を観察してみるも、一見すると見分けは付かない。彼らには鱗や外見的特徴がある訳でもないが、ノイというリザードマンだけは分かり易いようにか、右腕に赤いスカーフが巻かれていた。

「まぁ、とりあえず中に入りなよ」

「はいよ」


 ブライバークは慣れた手つきで薬品を何個か取り出し、薬瓶の中に調合を始めた。ミーシャの仕事は薬研やげんを使い、鱗を熱から守るための薬草をり潰しておくことだ。準備を忙しなく始めた二人を眺めながら、リザードマン達は眉を寄せた。

「しっかしなんだって人間がこんな場所へ?」

「いやぁ、ありがたい事に忙しくてね」

 ミーシャにも聞こえる声でそう尋ねたノイに対し、ブライバークは間延びしたような声で答えた。その返答を聞いてもノイは納得のいっていないような様子で鼻を鳴らす。

「他にも適任はいくらだって居ただろ?」

「彼女の薬草学の知識は馬鹿に出来ないよ。大丈夫、仕事はちゃんとして貰ってる」

「間違えないように、ブライ先生にも確認して頂いてますよ」

 今度こそミーシャが言葉を強くしてそう反論すると、リザードマン達は一瞬驚いた様子で、しかし睨むように三人揃ってミーシャの方をいぶかし気に見つめた。

「薬に変な物混ぜないだろうな?」

「しません。どうしてそこまで疑うんですか?」

「人間って奴は俺らを対等には見ないのさ、金の支払いだって今まで何度踏み倒されかけたか分からねぇ」

「じゃあリザードマンさん達は……皆ノイさん達のように失礼な人達なんですか?」

「……あぁ?」

 ミーシャの言葉に対し、苛ついたように三人の緑色の尾が揺れた。立ち上がったノイは牙を見せて唸りながらミーシャを見下ろす。

「てめぇ、今なんつったよ?」

 途端に部屋の空気は棘のある雰囲気に変わり、張り詰めた空気にブライバークが立ち上がる。

「ミーシャちゃん、落ち着いて――」

「いいえ、言わせて貰います。ブライ先生」

 ブライバークの制止の声すらさえぎって、ミーシャは強い口調のままリザードマン達を見ては目を吊り上げ、そして息を大きく吸い込んだ。


(大丈夫……この人達は怖くない)


 あの雨の日の出来事に比べたら怖くなんてない――そう、顔を上げた少女の強い瞳の色に、リザードマン達は一瞬、その気迫に怖気おじけづいた。

「一斬さんは人を食べたくて、そうなったんじゃないんです! 私を非常食として見てませんし、あんな風に言うのは失礼です!」

 語気を強めてそう言い放ち、診療所にミーシャの声が響いた。ブライバークも含めて、その声には全員が驚いたように目を見開く。興奮した様子の少女はせきを切ったよう言葉を続ける

「そういう体質になってしまって、あの人は苦しそうでした。その様子を、見たことがあるんですか?」

 急な強気の態度に、困惑した様子でリザードマン達はお互いの顔を見合わせた。しかしノイだけは、すぐに目の前に居る少女を睨み返す。

「人狼には望まず人を食い殺す奴だって居るんだぜ?」

「知ってます」

「それでもあいつの傍に居たってのか、狂ってるぜお前」

「狂ってて結構です」

 ハッキリそう言ったミーシャの言葉に、ノイは驚いたように目を丸くして見せた。

「私は一斬さんが人を食べるような人狼には見えません。そう信じてます」

 爬虫類の名残のある目に睨まれても、ミーシャは背を曲げずに真っすぐ見つめ返した。その勢いに圧されているのか、ノイも反論をする様子がない。ただただ異質な物でも見るかのように、仲間と顔を見合わせるだけだ。

「人狼だってリザードマンさんだって色んな人が居るように、人間だって色んな人が居ます。一人くらい、私みたいな変な人も居ますよ」

 開き直ったようなミーシャの言葉に、結局黙っていたリザードマン達は呆気に取られたようだった。

「あっははは!」

 その様子を見ていたブライバークは突然おかしいと言わんばかりに笑いだして、ミーシャの頭をぽんと手を置いて軽く撫でた。そこでようやく、ミーシャの方は勢い任せだった事を恥じたのか、顔を赤らめてうつむいてしまった。

「この子は人狼を魔物として見てないんだよ、ノイ。君たちの事だってね」

 喉で笑いながらブライバークの言った言葉に、ノイは口を閉じばつが悪そうに視線をうろつかせた後で舌打ちして見せた。

「……もういい、さっさと薬寄こしな」

 不貞腐ふてくされたようなノイの言葉にブライバークは「はいはい」と笑って返した。

「ミーシャちゃん、スッキリしたなら仕事に戻ろうか」

「あっ、はい! ご、ごめんなさい……」

「威勢よくなったりなくなったり忙しいね、君は」

 再び調合に戻っていくブライバークに付いて行こうとして、ミーシャはリザードマン達の方へと振り返った。

「……あの、皆さん」

「なんだよ」

「傷つけるような事を言ってごめんなさい。旅の道中、どうかお気を付けて」

 そう言って、ミーシャは頭を下げてから足音を立てて自分の仕事へと戻って行った。信じられない物でも見たようなリザードマン達は何度か目を瞬かせ、そこから終わるまでの間、二人の作業をじっと大人しく眺めていた。


          * 


(すっかり遅くなってしまった……)


 事件の聞き込み、被害者の行動を調べ、雑事もこなした後の事……マットは自室に戻ろうとしていた。聖騎士団にはそれぞれ割り振られた部屋があるがリーンシアとマットが所属している第五部隊は、中庭の見える廊下を通り隅の部屋だ。毎回移動には時間が掛かり風呂場から歩いていくだけでも肌寒く感じる。

 辺りは暗く、ランプの灯りが吹き抜けの廊下を照らしていた。


(リーンシアさんはもう眠っているだろうな。今日の事をきたかったが……)


 ――ひたり、ひたり。


 突然マットの耳に聞こえたのは一定の間隔を開けながら――まるで裸足で通路を歩いているかのような音。そして同時に肌を刺すような悪寒がマットの背筋を走り、思わず足を止めた。振り向いても暗い通路を微かに照らしているランプの灯りは、その存在の姿を映し出しはしない。

 だがマットの視線は音のした方から逸らす事が出来ない。確かに、に居る。


(この気配は……)


 ――ひたり、ひたり。


 素足で歩いているかのような音が、ゆっくり、ゆっくりと迫ってきている。マットは柱に隠れ様子を窺い、そっと顔を覗かせて音の主が何者か見ようとした。通路の角はマットからは死角でもあったが、灯りのおかげでもし誰か通っていればそこを歩いている影が見えるはずだった。

 しかしいつまで経っても、誰かが出て来る気配がない。それどころか、いつの間にかあの悪寒は消えていた。警戒心を保ちながらも柱の影から影へと移動し、音のした廊下をそっと覗くが――そこにはまるで最初から誰も居なかったのように暗い通路が続いているだけだった。


「リーンシアさんに報告しないとな……」


 そんな独り言を呟き、マットは急いで部屋へと戻って行った。中庭に残るのはランプの灯が風に揺れながらも蝋を焦がす音のみとなっていた。

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