135 落とされた瞬間

 昼食の鍋にほとんど手の付けられなかったともを店に残し、みさぎはあやと二人で山へ向かった。

 いつもの広場とは逆の方向だ。


「お昼美味しくて食べすぎちゃったよ。おじいちゃんのご飯なんて久しぶりなんだもん」

「食べすぎちゃったじゃないわよ。どんだけ食べるのよ」


 鍋パーティと称した昼食は、智が食べられなかった分みさぎが食べすぎるという事態になってしまった。そのせいで出発が遅れてしまい、あきれ顔の絢が溜息交じりに嫌味を言う。


「ラルに太ってる子は嫌だってフラれても知らないわよ」

「やだよ、そんなの。けど、みなとくんはそんな人じゃ……」


 ないと思いながら首をかしげて、みさぎは窮屈きゅうくつなお腹をさすった。


「咲ちゃんたちも一緒なら良かったのに。おじいちゃんのご飯、兄様も好きだったんだよ」


 自分の過食かしょくを人数のせいにしてみる。


「向こうも同じの食べてるわよ。私がすぐ山に出たいって言って別にしてもらったんだけど、結局遅くなったわね」

「そうだったんだ、ごめん」

「いいわ。まぁ結構歩くからいい運動になるんじゃない? それにしても貴女はホントにお兄ちゃんが好きなのね」

「咲ちゃんの事?」

「そうよ。今のお兄さんの事は分からないもの。昔も良くこうして二人で山に行ったでしょ? 最初の頃は貴女よく寂しいって言って、兄様兄様って泣いてたわ」

「そんなこと言ってないよ!」

「言ってたわよ。小さい時の事なんだから、素直に認めなさい」


 ターメイヤ時代、二人で山に行ったのは訓練の為だ。

 ルーシャに魔法を習い始めてすぐの頃から、魔法陣の書き方や発動まで色々と叩き込まれたのは懐かしい思い出だ。


 確かに思い返してみると、「帰りたい」と泣いてたような気もする。それが兄を求めてかどうかは覚えていないけれど。


「本人には言わないでよ?」

「喜ぶから? 喜ばせてあげればいいじゃない」

「やだよ。必要以上に大袈裟おおげさなことになるから、恥ずかしいんだもん」


 兄としての妹への接し方は、れんを見習ってほしい。恋人として影響されるのが、旗ではなくそっちならいいのにと思ってしまう。


 ルーシャは町を抜けて、山道へと入って行く。


「少し寒いね」

「そうね、風邪ひかないようにね」


 みさぎは、羽織ってきたコートの前を締めた。

 もう紅葉も終わりかけで、足元を埋める落ち葉がカサカサと音を響かせる。鬱蒼うっそうとした木々のてっぺんを見上げると、青空が遠く感じた。


「リーナは向こうとこっち、どっちの世界が好き?」

「えぇ? どっちって、選べないよ」


 唐突な質問に答えることができなかった。


「どっちの世界も嫌いじゃないもん。ただ私は……ラルの居る世界と同じがいいなって」

めずらしい。貴女がノロけるなんて」

「だって。私はアッシュの代わりに戦うんだって嘘をついてここに来させてもらったけど、今思うとやっぱりラルと一緒に居たかったんだと思うから」


 アッシュを助けて、この世界を自分の手で救いたかった。そんなウィザードとしての使命感が七割で、残りの三割は彼だと思う。


「ラルに戦わせたくないんじゃなかったの? 貴女もようやくみんなと一緒に戦う気になれた?」

「どうだろう……」


 ターメイヤで雨の中倒れて魔法を消された時、もう戦わなくていいと言われてラルとアッシュが黙って転生してしまった時、十月のハロン戦で殆ど何もできなかった時──その全てが自分の実力不足のせいだ。

 今度こそ一人で戦えればと思っていたけれど、部活を始めて四人で居ることが多くなって、とがっていた気持ちが少しだけ丸くなった気がする。


「相変わらずね。それで、そのラルはどうなのよ。まだ父親の亡霊にりつかれてるの?」

「最近その話してないけど、変わらないんじゃないかな」


 ターメイヤ時代、パラディンだった父親の背中を追い続けていたラル。父親に勝てないという負い目は湊へ転生しても彼の心につかえたままだ。


「そうよねぇ。人って変わらないものね。ラルの父親って、見た目も中身も無茶苦茶いい男だったのよ。それであの強さでしょ? あの人と比べたら、ラルが気負いするのも分かるわ」


 うっすらと記憶のあるパラディンの男を思い返して、みさぎは「確かに」とうなずく。

 歳の差もあってリーナの好みではなかったけれど、細身だったラルとは違い、顔立ちのはっきりしたたくましい人だった。


「ルーシャは宰相さいしょうが好きなの?」

「そうね」


 前に聞いた時ははぐらかされてしまったけれど、絢ははっきりと答えをくれた。


「と言っても、恋愛がどうのなんて歳でもないけどね」

「昔はそんなに仲良い感じじゃなかったよね?」


 二人の関係についてあまり詳しくは知らないけれど、どちらかと言うとルーシャはギャロップに対して攻撃的だったり、面倒そうな顔で話をしていた気がする。兵学校の話をするヒルスやアッシュも、ギャロップの弱点はルーシャだと言っていたくらいだ。


「あの人は私が好きだったのよ。私はそうでもなかったのに、彼の気持ちを知ってて、ずっともてあそんでいたの」

「魔性の女だ。宰相にそんなことできるの、ルーシャくらいだよ」

「まぁね。けど貴女たちが居た頃はずっと戦争だとか育成だとかで張り切ってたけど、送り出してからは別人みたいに塞ぎ込んじゃって」

「ルーシャが?」

「そうよ、意外でしょ? 急に何もやる気がなくなっちゃったの」

「燃え尽き症候群っていうのかな?」

「そんな言葉があったわね。毎日ぼんやり暮らしてたら、あの人が追い掛けてみないかって言ってくれたの」

「へぇ。きっかけは宰相だったんだ」

「えぇ。私は魔法が使えるって言うだけで、知らない世界で生きることなんてできないでしょ? だから自分も行って支えるってね。まぁあの時は方法もなかったから、最初は本当に来れると思わなかったけど」


 絢は照れ臭そうに微笑んだ。


「あの時、落とされたって思ったわ」

「素敵な話だね」

「たまには私もノロけてみなきゃね」


 緩い坂を上って高台へ上がると、遠くに広井町ひろいちょうへ繋がる町が見えた。

 絢は足を止め、来た道を振り返る。


「十年前ここに来て、一帯の土地を買い占めた。最初は殆ど何もない山だったのよ」


 そう言うと絢は腰を低くして、地面にそっと手を触れた。

 青黒い光が広がって、地面に描きかけの魔法陣が浮き上がる。


「いい? ここが戦場のはしよ。ここを超えたら死人が出るわ。だからここは絶対に死守してね」


 魔法陣は絢がハロン戦で空間隔離くうかんかくりを発動させるときに必要なものだ。この魔法陣が点となって、複数の地点を繋いだ空間が防御の壁になる。


「今日は、これの続きを手伝ってもらいたかったのよ」


 絢は「よろしくね」と描きかけの魔法陣を指差した。









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