101 アイツの視線

 最近鈴木が何か変だ。

 授業中や休み時間に視線を感じると思うと、大抵たいてい彼がこっちを見ている。

 みさぎが気付いて『どうしたの?』と首を傾げてみせると、鈴木は慌てて目を逸らすどころか、恥ずかしがっているようにさえ見えた。


 しかも、みなとが側に来ると彼は更に挙動不審きょどうふしんになって、にらまれたカエルのように逃げ出してしまう。

 放課後またそんなシチュエーションになって、そそくさと退散する鈴木に、みさぎはまばたきを繰り返した。


「鈴木くん、何かあったのかな?」

「何かあったんだろうな」


 湊がどこか楽しそうに笑顔を見せたところで、


「ちょっといいか?」


 咲がともを引きつれてやってきた。

 いつになく神妙な様子の咲に、湊が理由を求めて智へ視線を投げるが、彼もよく分からない様子で黙ったまま肩をすくめて見せた。


「どうしたの? 咲ちゃん」

「話があるんだ。二人とも来てくれ」


 帰り支度をしていたみさぎは、湊と顔を見合わせて「いいよ」と返事する。


 鞄を手に四人で向かったのは、校庭の端にある滑り台の所だ。

 今日は曇り空で肌寒く、近所の子供たちの姿もない。

 咲がここを選んだのは、他の生徒に聞かれては不味まずい話なのだろう。

 みさぎは何だろうと想像してみたものの、ハロンやターメイヤに関するものだろうということしか思いつかなかった。


 滑り台の前で仁王立ちになった咲は、晴れない表情のまま三人をぐるりと見渡して、


「僕がハロン戦で戦えるように、協力して欲しい」


 何だか難しい顔をする咲を、湊は不満げに睨みつけた。


「どういうこと? 物を頼む態度には見えないけど?」

「すまない。だけど僕にはどうすることもできない──逆らえないんだ」


 咲は腰に当てていた両手を下げて、拳を震わせる。

 様子のおかしい咲を心配して、みさぎは横に立つ湊を見上げた。

 彼もまた話を飲み込めない様子で首を傾げる。


「逆らえないって誰に?」


 けれど咲は湊の質問には答えず、視線をブンと智へ投げた。


「智」


 急に話を振られた智が、「俺?」と自分を指差す。


「お前、昨日の夕飯カレーだったろ」

「えっ」


 ドキリという心臓の音が聞こえてきそうなくらい、智が目を見開く。

 咲は恨みでも込めるように智を見据えて、唐突に話を始めた。


「お前が昨日メラーレの所に行っていたのは分かってるんだ。僕の気配に気付かないくらい、彼女と楽しくやってたみたいだな」

「ちょっと待て。いきなり何だよ。気配って、お前──」


 そこまで言って、智は赤面しながらハッと息を呑んだ。


「まさか、隣の部屋にいたのか?」


 みさぎには二人のやり取りが全く分からなかったが、隣で湊が「あぁ」と顔を上げる。


「一華先生の部屋の隣って、この間言ってたやつか。中條先生の部屋に行ったの?」

「そうだよ」


 ぶっきらぼうに答える咲に、智が悪戯いたずらな笑顔を見せる。


「なになに? それって怪しくねぇ? 若い……いや、そうでもないけど、担任の男の部屋に女子生徒が遊びに行くってシチュエーション」

「ふざけるな!」


 咲が怒りを沸騰させて声を上げた。


「そんなことあるわけないだろ? 僕が緊張と恐怖で震えていた隣の部屋で、お前はメラーレときゃっきゃうふふとカレーを食べていたんだぞ? 僕の気持ちも考えろよ。大体、お前だって美人な保健室の先生の部屋に入りびたる男子生徒じゃないか」

「あぁ、確かに」


 智は咲に言われて、それを初めて自覚したらしい。「ごめんごめん」と軽く謝って、「で?」と本題をうながす。


「何話して来たの? さっき、お前がハロン戦一緒に戦うための協力しろとか言ってたよね」

「そう、これは教官の出した条件なんだよ。いいか、これは教官命令だ」


 ふくれ顔のまま再び仁王立ちのポーズをとる咲に、みさぎは緊張を走らせる。


「僕たちは今日から部活動に入部する。顧問こもんは教官で、ハロン戦までの期間限定だ」


 両手を横に広げて演説よろしく説明する咲は、再び三人を見渡した。


「俺パス」


 けれど、湊はあっさりと断ってしまう。

 みさぎも彼に同意したかったが、とりあえず様子を見た。できるなら男子だけの話にして欲しいと思う。


「兵学校のノリはちょっと……」


 湊が溜息を吐き出しながら咲から目を逸らす。湊ことラルフォンは、ターメイヤで兵学校を出てはいない。彼の戦術は傭兵ようへいをしていたパラディンの父親から教えられた技術と、実戦で得たものだ。


「何だよ湊、みさぎもいるんだぞ?」

「えっ、私も入ってるの?」


 流れが嫌な方に向いている気がしたけれど、やはりそういう話らしい。

 肩を落とすみさぎに、咲がビシリと人差し指を叩き付けた。


「当たり前だ。智を相手にあんな戦い方をしたお前が入っていないわけがないだろ」

「えぇぇ。だからあの時来ないでって言ったでしょ?」

「それは昨日謝っただろ? この部活の目的は、戦力──つまり個人の体力の底上げが目的だ。僕がそれを達成できたら、ハロン戦に加わってもいいって言われたんだ。僕だって喜んでこんな提案してるわけじゃないんだ。後二ヶ月を切った今、やらなきゃならないだろ? これはハロン戦で勝利するための部活動なんだからな。教官命令に従ってもらうぞ」

「それは、そうなんだけど……」


 重苦しくなる空気の中、智だけが一人楽しそうに声をはずませる。


「いいんじゃない? みんなでやれば。教官だって昔みたいに拷問ごうもんしようなんて思ってないだろ? いや、するかもしれないけど……まぁどうにかなるって」


 元から体力のある彼にとっては、楽しいサークル活動のような感じなのだろうか。

 みさぎは一ミリも気が乗らなかった。


 けれど嫌顔の湊が渋々「仕方ないな」と同意したのは、『みさぎが一緒だから』という理由よりも『みさぎの実力不足』のせいだろう事が分かって、みさぎは「えぇぇ」と悲痛な声を上げる。


 智と戦った後、『体力をつける』と言って始めた日課のマラソンも、大した距離を走ってはいない。日を追うにつれ体力がつくどころか、だんだん距離が短くなって疲労だけが蓄積していた。

 雨だからと都合のいいことを言って休んだのは、昨日の事だ。こんなにも雨が降って良かったと思ったことはないかもしれない。


 ギャロップを優しい人だと思っていたのは、直接彼がウィザードのリーナに関与していなかったからだ。兵学校卒の皆が口を揃えて彼を『鬼の宰相』だという理由を頭に浮かべて、みさぎは戦々恐々と背中を震わせる。

 彼が顧問の部活だなんて、不安しかない。


「みさぎもいいな?」

「う、うん」


 仕方なく返事した声は、ビュウと吹いた風に掻き消えた。

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