29 保健室のアイツ

 朝みさぎがみなとと電車を降りたところで、スマホがメールの着信音を響かせた。


さきちゃんからだ」


 発信者を確認して改札を見ると、いつもの姿はそこにない。

 何だろうと思って本文を開くと、


『用事があるから先に行くね』


 という短い文章の後に、『ごめんね』ポーズをしたウサギのスタンプが貼り付いていた。


「海堂休み?」

「ううん、先に行くって」


 のぞき込んだ湊に画面を見せると、上り電車から先に下りていたともが「おはよ」と近付いてきた。


「おはよ、智くん。土曜日はありがとう」

「どういたしまして。今日は咲ちゃんいないの?」

「うん――」


 二人の修行を見に行った帰りに、咲の元気がなかったのは関係あるのだろうか。

 咲が朝この場所に居ないのは、四月以来初めての事だった。



   ☆

 みさぎにメールを送る十五分前までにさかのぼる。


 咲はすでに校門の前に居た。

 まだ風紀委員の伊東の姿はなく生徒もまばらだが、校長・田中耕造こうぞうはいつも通りそこで生徒に朝の挨拶をしていた。


 前を歩く生徒に「おはよう」と向けた笑みが、後ろから来た咲を捕らえる。


「おはよう、海堂さん」


 いつも何気なく見ている校長の顔に懐かしい老父の顔を重ねて、咲は「おはようございます」と声を震わせた。

 絢にはそうだと言われたけれど、彼が異世界でずっと一緒に暮らしていたハリオスだという事実には、どこか半信半疑な気持ちがある。だから、みさぎたち三人とは別行動をとって先にここへ来たかった。


 ちょうど生徒の波が途切れて、咲は意を決して問いかける。


「校長先生は、じいさ……じゃない。ハリオス様なんですか?」


 不審に思われるかもしれないと思ったけれど、不安がけるのは一瞬だった。


「爺さんで構わんよ。久しぶりだな、ヒルス」

「爺さん……僕はアンタに会いたかったよ」


 この世界へ旅立つ時、ヒルスがルーシャ以外で最後に話したのがハリオスだった。

 リーナに会えるなら向こうに未練みれんはないと思っていたけれど、記憶を戻してからは懐かしいなと思い出すことがよくあった。


「お前がリーナじゃなくて、わしに会って泣くのか?」

「女の身体ってのは涙もろいんだよ。けど爺さん、リーナを探してくれて有難う」


 校長は白髪の混じる太い眉を上げて、にっこりと目を細める。

 咲は込み上げる涙を人差し指で拭った。


「けど、何でこっちに来たんだ? あの時僕はサヨナラを言ったよね?」

「儂の事は年寄りの気まぐれとでも思ってくれ。それに、もう一度お前たちに会いたくてな」

「戦いに来たんじゃないのか?」


 昨日家に帰って、咲はふとそんなことを考えた。

 メラーレの事は分からないが、他の三人は戦士だった時代がある。彼等がハロン戦に加われば、大きな戦力になるだろう。


 けれど校長は首を縦ではなく横に振った。


「儂らは戦わんよ。儂等わしらはお前たちと事情が違う」

「事情?」


 その意味を知りたかったのに、校長は笑顔をくれただけで何も言ってはくれなかった。


「それより、他の二人とも話してみたらどうだ?」

「他の二人……ですか」


 その二人を異世界の顔で頭に浮かべて、咲がふるふるっと首を震わせたところで、


「海堂さん、おはようございます」

「うわぁぁあ」


 突然背後から掛けられた声に、驚いて声を上げる。

 毎度のことだが、風紀委員の伊東だ。


「海堂さん、そのスカートは駄目ですよ」

「わかってますぅ」


 咲はそのまま校舎へと走り逃げた。



   ☆

 ホームルームまではまだ大分余裕があった。


 全く気は乗らなかったが、咲は校長に言われた通り職員室を訪ねた。

 鬼教官ギャロップメイが、担任の中條明和なかじょうめいわだという。中條に鬼の片鱗は感じなかったが、そうだと言われるとそう見えてしまうのが不思議だ。

 彼に会いたいとはこれっぽっちも思わない。


 兵学校時代、よくアッシュと悪さをしては彼からのペナルティを受けていた。

 木に一晩宙吊ちゅうづりにされた時の、身体に食い込むロープの感触を思い出して、咲は自分の身体をぎゅっと抱きしめる。


 閑散かんさんとした職員室に彼の姿がない事に安堵あんどしたところで、咲はみさぎにメールを送った。そろそろ電車が駅に着く時間だ。

 初めて迎えに行けなかったのは心苦しいが、少しでも早く校長と話がしたかった。


「けど、本当に爺さんだったんだ……」


 嬉しいのと、いまいち納得できない転生の理由。それを今度は中條に問おうかと職員室に来てみたが、やはり彼と二人で話すには勇気がいる。

 けれど相手は咲のタイミングも考えず、突然現れた。


「海堂さん、おはようございます」


 中條は咲のすぐ後ろに立っていた。気配に気付けなかった。

 浅黒い肌に、おかっぱの髪。その髪型は、かつてヒルスがしていたスタイルとよく似ている。


「お、おはようございます」


 気が動転して咲が尻込んだところで、中條はニコリと口角を上げた。

 普段は感じていなかったはずの威圧感にゴクリと息を呑む。


「絢に聞きましたよ、ヒルス」

「ひ、ひぃぃい」


 そっと呼ばれた過去の名前に咲は話をする余裕など無くなって、「失礼します」と立ち去った。



   ☆

 職員室から保健室まで猛ダッシュしたところで、咲は「はあっ」と息を吐き出す。

 自分を「ヒルス」と呼んだ彼がギャロップメイだということは、全く嬉しいとは思えない事実だ。聞きたいことは色々あるが、別にわざわざ彼と話すこともないような気がして、咲はもう一人の彼女の所へやって来た。


 この世界に来た異世界メンバーの最後は、養護教諭の佐野一華いちかだ。

 しかし彼女とはヒルスとして話をした記憶が全くない。


「何て言えばいいんだ?」


 躊躇ためらいながら扉の隙間を覗くと、保健室に先客がいた。


 「先生~♪」と甘えた声を出す人物に、咲は思わず吹き出しそうになるのをこらえる。

 クラスの盛り上げ役男子、鈴木だった。




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