無欲の勝利

笠井菊哉

第1話

アニメーションショップを経営している夫の手取りは平均月18万円。


お店の売上はいいのだが、家賃や従業員の給金、必要経費などを支払うと、そのくらいのお金しか残らない。


給料か低いと身なりも構わなくなるものなのか、いつもボロボロのシャツにジーパンという格好で、髪も伸びると

「美容院に行くのは時間とお金が勿体ない」

自分で切ってしまう。


夫が独身の頃から住んでいる家賃5万円のオンボロアパートに夫婦で暮らしている。私も学生時代に取得した、行政書士と中小企業診断士の資格を活かして小さな個人事務所で働いているが、それでも家計は火の車。毎月1万5千円のお小遣いで満足してくれる人ではなかったら、我が家はとっくに破産していただろう。


私は天涯孤独の身上だし、夫の家族は存命だがプライドが邪魔して援助を頼めないらしい。


仕事と家計の遣り繰りに疲れ果てているところに、追い討ちを掛けるように妊娠した事が発覚した。

お医者さんに

「おめでとう」

と言われても、私は嬉しくなかった。

私達夫婦と子供でこれからどうしたらいいのか、目の前が真っ暗闇になった。


夫に妊娠を告げると、彼は無邪気に喜んだ。


そんな夫に私は、今の状況で子供を幸せに出来る自信はあるのか、六畳のアパートに大人二人が生活しているのだぞ、貴方の手取りは低いし、私が産休育休をもらったら収入が一人分無くなる、只でさえ今も毎日が苦しいのに、これをどう心得ているのだと私は説教してやった。


夫はキョトンとして話を聞いていたのだが、

「分かった。週明けまで待ってて」

と、言った。


週明け、夫は通帳を見せてくれた。

「子供の為に使って」

ニコニコしながら夫が言った。

通帳を開くと二千万円の残高がある。


それだけでも驚きなのに、いくつかの銀行に、それぞれ数千万円ずつの残高があるという。


一体どうしたんだというのか、そのお金は。

何人襲って手に入れた?


私の不安を察した夫は、一から説明してくれた。


私と出逢う前、夫は給料が高い事だけが取り柄のやたらに忙しい会社に勤務していた。

給料はいいのに使う時間がないから、お金は貯まる一方。若くして、彼は約七百万円ものお金を貯めていた。

更に、生命保険会社に就職した元カノのノルマ達成を手伝う為に貯蓄型保険に加入したり、証券会社に就職した友達のノルマ達成を手伝う為に株を購入したり、外資系投資銀行に就職した従兄妹のノルマ達成を手伝う為に口座を開設したりしているうちに、それらの利子が爆上がり。

気づいたら数億円近くの資産を手にしていたので、呑気な夫も流石に腰を抜かしてしまった。


同時に、彼は気がついた。


「こんなにお金があるなら、毎日死ぬような思いをして働かなくても、好きな事をして生きていける!」


会社に辞表を叩きつけ、始めたのがアニメーションショップという訳だ。

失敗しても、残ったお金で人生をやり直せる自信は十分にあった。


夫のアニメーションショップの経営方針は、アニメ好きの人達にウケて大成功。

手取りは減ったが、会社員時代より充実した時間を過ごせるようになった。


お金を持っているのに使おうとしなかったのは、予想外の事態に備えて資産を残しておきたかったから。

結婚後も独身時代のアパートに住み続けようと言ったのは、不動産巡りと引っ越しが面倒だったから。

洋服に興味がないからお金を掛けるつもりはないし、何より、今まで体験した事のない節約生活を彼は心から楽しんでいた。

言われるまで、私達夫婦にお金がないと、彼は知らなかったのだ。

御両親に援助を頼まなかったのも、三十代後半を過ぎて親の援助を受けるのも嫌だと思っていたかららしい。


僅かなお小遣いで満足する事が出来たのは、仕事で好きなアニメのフィギュアやグッズに囲まれているので、わざわざプライベートで購入しなくてもいいからである。

資産の事は、ただ言うのを忘れていただけ。

子供が出来て、私から

「家族の将来を真剣に考えろ」

熱い説教を受けて、初めて貯金を崩す決意をしたのだと言う。


私はただ、夫の掌の上で踊り狂っていただけなのかと呆然としていた。


そんな私をよそに、夫は

「まずは郊外にマイホームを建てようよ。君の好きな英国風の」

ニコニコと笑っていた。


それから知人の一級建築士により、郊外にお洒落な注文住宅が建てられた。

この近辺では一番お金が掛けられた家なので、御近所では

「どんな方が建てた家かしら?」

かなり噂になっていたらしいが、引っ越して来たのは、ボロボロの服を着た夫としまクロファッションで身を固めた私だったので、皆さん意外だったらしい。


「貴方の御主人の御仕事は?」

一日につき最低一人がこの質問をしてくる。

何もしていないのに知らない間に資産が出来ていたなんて話を、言っても信じてくれないだろうな、と思っていつも私は適当に笑って誤魔化している。

そして生まれた双子の娘の為に購入したパジェロに乗って、産院に定期検診に向かったのだった。


現在、アニメーションショップ二号店オープンを控えて少し忙しいのが夫の不満らしいが、それでも家族一同、幸せに過ごしている





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無欲の勝利 笠井菊哉 @kasai-kikuya715

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