第90話 精霊姫という人物

予め描かれていた転移陣が光り輝き、

溢れる光の中から1人の女性が歩み出てくる。

掛けていた魔力隠しの眼鏡を外し、

纏っている人族のスーツを脱いで精霊姫としての衣装に着替え直す。


この二重生活を始めてから3ヶ月程が経過している。

流石に父親で現魔王である精霊王からも訝しがられており、

誤魔化すのも限界に近くなってきている。


「あの市長を恭順させるなら、それ相応の対価がいるわよね…やっぱり」


時間はあまり残されていない。

しかし、今の自分は昔の様な強硬策を取る気にもなれないのである。


「案としては自由貿易の保障?

 うぅん、それだと今度はお父様が納得しないわ。

 かといって、水上都市と魔族間で取引がある事を話してしまえば…

 お父様の事だから粛清に走るわね…」


眉間に皺を寄せ、深いため息を吐く。


今の彼女の目的は水上都市を魔王軍の支配下に置く事である。

そうすれば、水上都市に住む彼らが人魔間の戦争に巻き込まれる可能性は減るだろう。

悩みが深くなってきた時に心の支えにしているを見る為に机の引き出しを開ける。

そこにあるのは何の変哲もない読み過ぎて少し擦り切れた本である。

ただし、中身は魔界のものではなく人界の御伽噺をものだけれど。


それと出会ったのが3ヶ月前。

水軍の魚人達が商船から掠奪してきた物品の中にひっそりと紛れていたソレを、

精霊姫は何の気もなく、何となく開いてみて目を見張った。

全てを絵で表現するという、ただただ斬新な発想なだけで、

話の内容はありきたりな御伽噺でしかないが、

それはという想いが籠められていた。


精霊姫という人物は実の所、個が薄い。

昔から、周囲にそうあれかしと育て上げられ、自身もそれを疑ってはこなかった。

四天王の立場になってからも、親の七光りと馬鹿にされていたのを見返そうとしたのも実際は父親がそれを望んでいると察したからだ。

空気を読む事だけに長けてきた中身のない女。

それが精霊姫の自己評価である。


だからか、それを見た時に彼女が抱いた感情は実は嫉妬だった。

これを描いた奴らは失敗も恐れず、周囲からの視線も気にならない様な人間に違いない。

そんな風に捉えた。

その本の製作所が水上都市にあるのは彼女にとっては好都合だった。

本の作者がどんな人物なのか見てみようと思い立ったのだ。

どうせ、想像通りの人間に違いないという後ろ暗い感情がそこにはあった。


しかし、蓋を開けてみれば彼らは周囲に理解されず、けれどめげず、

かといって明るいかと言えば、そんな事もないすぐに卑屈になる繊細さ。

成功とは程遠い失敗だらけの3人組だった。

何故だか無性に腹が立ち、彼らの前に姿を晒した精霊姫は彼らに私が成功させてやろうかと持ちかけた。

しかし、彼らは散々悩み抜いてはいたが、それを断った。

理由は「上手く言えないが何か違う気がする」という酷く抽象的なものだったが、

精霊姫としては頭を強く殴られた様な衝撃を受けた。

他人の敷いた道の上を歩いて来ただけの自分にはそういう考えを抱く発想すらなかったのだ。

その後、何故自分はそんな事をしたのか未だに理解しきれていないのだが、

3人組が寄稿している出版社に新入社員だという暗示をかけて潜り込み、

影から彼らを支える立場を得た。

かといって別に彼らを優遇させるという事もなく、

せめて不当な評価をされない様に弾く様にしているだけ。

あまりにも遠回りな援助に我ながら可笑しくなるが、

しかし、この二重生活は今までで一番充実した日々な気がする。

そもそも、何故あんなに人族を憎んでいたのか今となっては分からない。

多分、元々理由なんてなかったのだ。


だけれど、父親を裏切る訳にもいかない。

立場と夢の板挟みの中でもがく、それが今の精霊姫という人物だった。


勇者歴16年(冬):精霊姫、影で無血解決を目指す。

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