第3話

 放課後になり、俺は屋上へと向かっていた。


 何でかって言うと、ただ、さっきの白昼夢のことが気になったから。それだけ。


 夢の中で屋上に行けと言われて、そのまま屋上に行くなんてどうかしてるとも思ったが、なんとなく、あの声の人に、会えるんじゃないかと、淡い期待を抱いていた。


 しかし、現実はそんなに甘くないようで、屋上に着いても、そこには誰もいなかった。


 そもそも、夢の話なのだから、当たり前と言えば当たり前なのだが。


 特にやることもなく、俺は誰もいない屋上から、グラウンドを見下ろしていた。


 グラウンドでは、陸上やサッカーの練習をしている。


 部活に勤しむ声は、いつものものと変わらないはずなのに、その声がどことなく寂しく聞こえる気がした。


 何かが足りない、そんな気がした。


 1人で見ていても、暇なだけ。

 それは当然のはずなのに。


「一樹?」

「っ!」


 不意に名前を呼ばれて、俺はガバッと振り向いた。


「……世良せらか」

「何よ。その反応は」


 入ってきたのは、幼馴染みの世良だった。


 俺の態度が気にくわなかったようで、世良は見るからにムスッとした顔のまま、俺の方まで近寄ってきた。


 俺よりも大分身長の低い世良だが、こういう時の凄みというか、圧というか、プレッシャーは中々のものだ。


 上目遣いが恐いと感じるのは、世良に対してだけかもしれない。


「どうして、あんたがこんな所にいるのよ?」

「え? あー、えーっと」


 さて、何と言ったらいいものか。


 ここに来た理由。

 白昼夢で来るように言われたから、でしかない。


 だが、仮にそれを正直に言ったとして、世良が納得するとは思えないし、ふざけるなと、一蹴されるのがオチだろう。


 かといって、他に言い訳も思い付かないし。


 あまり長く考え込んでいると、世良に不審に思われてしまう。


「いや、なんとなくだよ」


 結局、当たり障りのない、曖昧な回答をするしかなかった。


 世良は、興味無さそうに、ふーんと呟くと、俺のことなんて忘れたように屋上の奥の方へと歩いていく。


「そういうお前はどうしたんだよ?」

「私? 私は、よくここに来るのよ。ここは夕日が綺麗だから」

「ふーん」


 世良がそう言うように、確かにここから見える夕日はとても綺麗で、いつまでも見ていたくなる。


 時間が許すのならば、日が沈むまで眺めていても飽きないかもしれない。


「だろうね。ここは、私のお気に入りの場所なんだから」

「え?」


 吹き抜ける風と供に、また声が聞こえてきた。

 今度は、はっきりと、しっかりと。


 この声を、俺は知っている。

 さっきまでとは違い、確信をもって言える。

 俺はこの声の主を知っている。


「お詫びもかねて、君にも知ってもらおうと思ってね。まあ、気まぐれだよ。でも、喜んでくれたのなら、よかった」


 そう言って笑う彼女に、俺は目を奪われた。


 顔も思い出せない彼女に、意識を持っていかれて、何も言えなくなって。


 そして、彼女はからかうように可愛らしくも、意地の悪い笑みに変わった。


「ふふ。私の顔に何かついているのかな? それとも、私に見とれていたのかな?」

「そんなことない」


「へ?」

 その場にいない人への返答に、世良が驚く。


「な、何よいきなり」

「あ、いや、何でもない」


 世良は怪訝な顔を向ける。


 いや、まあ、当然か。

 ずっと無言だったのに、いきなり意味不明なことを口走ったのだ。


 驚くというよりも、おかしくなったのでないかと心配しているようだ。


「私、良い病院知ってるわよ?」

「だから、大丈夫だって」


 心底心配するような声に、俺は必死で言い訳をする。このままでは、本気でおかしくなったと認定されかねない。


「そ、そんなことより、お前はどうして、この場所を知ったんだ?」


 これ以上詮索されないように、俺は話題を変える。

 世良は、まだ何か言いたそうにしていたが、とりあえずは引き下がってくれた。


「私は先輩から聞いたのよ。1年生の時にね。その頃から頻繁に来るようになったの」

「先輩、か」


 その言葉に俺は少し引っ掛かった。


 俺は、さっきから、何かを思い出しそうで思い出せないでいる。


 何かを忘れていて、だが、断片的に、瞬間的に何かを思い出している。そんな感じだ。


 もし、何かを忘れているのだとしたら、それはさっきから聞こえてくる女性の声に関係があるのだろう。


 いや、もしかしたら、単純に俺がまだ寝ぼけているだけなのかもしれないが。

 白昼夢を現実と混在させているだけなのかもしれないが。


 それでも、俺は自分の中にある違和感を信じて、世良にもう一つ質問をした。


「その先輩は、今日は来ないのか?」

「え? そういえば、そうね。私が来る時はいつもいた気がするけど。あれ? そうでもないわね。昨日もいなかったし、その前も……、あれ?」


 世良が難しい顔に変わる。


 ぶつぶつと何やら考え込んでいるようだが、答えが出ず、眉間のシワはどんどんと濃くなっていく。


 ぐぬぬ、と唸り声を上げて、それでも思い出せないようで、世良は頭を抱える。


「え? おかしいわね。疲れてるのかしら。そもそも誰かに、この場所を教えてもらったんだったかしら。自分で見つけたような気もしてきたわ」


 世良は不思議な現象に頭を悩ませていた。


 自信を持っていた記憶さえも、それが正しい記憶なのか、あやふやになっているようで、悶々としているようだ。


「俺もさ、誰かにこの場所を教えてもらったような気がするんだけど、思い出せないんだよな」

「あんたも?」


 世良が驚いた様子で反応する。

 やはり、世良も何かを忘れているような、むず痒い気持ちになっていたらしい。



 世良が言うには、まだ入学して間もない頃、学校の中で迷子になってしまい、知り合いも近くにおらず、途方に暮れていた時に、誰かが助けてくれたことがあったらしい。


 その時に、助けてくれた人が、この場所のことを教えてくれた。と、記憶していたようだ。


 しかし、改めて思い出そうとしても、そんな事実に覚えはないのだとか。


「私、迷子になんてなったことないし。知り合いの先輩の顔を忘れるとは思えないわ。一樹と違って」

「おい。俺だって、知り合いの顔は忘れないぞ」


 ひどく心外だ。


「じゃあ、1年生の時のクラスメイトの顔、全員覚えてる?」

「うっ、そ、それは」


 ちょっと怪しいかもしれない。

 あまり話したことのない人とかも多いから、本当に全員を覚えているかと言うと、自信は持てないな。


 そんな俺の心を読んだように、世良が溜息混じりに睨んでくる。


「ほら見なさい。言った通りじゃない」


 くっ。何も言い返せない。

 これは、俺の普段のコミュニケーション不足が招いた評価なのか。


 そういえば、世良や司はクラスの中心になることが多いが、俺はどちらかと言うと、その他大勢って感じだから、そこら辺に差があるのかもしれない。


 だが、

「そういうのとは、違う気がするんだよ。単純に忘れてるとか、そんな話じゃなくて、なんか、こう、無理矢理、抜き取られたっていうのか」

「意味わかんないんだけど」


 世良に一蹴される。

 まあ、自分でも具体性が無さすぎるとは思うが。


「それなら、今度の土曜日にどこかへ出掛けようか。ちょうど、私も暇してたんだよ」

「どこで、それならって話になるんですか」

「え?」

「……あれ?」


 不意に聞こえてきた声。だが、今度反応したのは世良だった。


 世良は自分で言っておきながら、何故そんなことを口走ったのか理解できていない様子。


 だが、このやり取りも、俺はどこかで聞いたことがあるような気がする。

 確か、世良がそう言うと、彼女はこう返したのだ。


「君たちが知り合いで、私が土曜日暇だったから。それだけの理由だよ。別に嫌ならそれでも構わないよ」


 そんな風に無邪気に言う彼女に、俺も世良も毒気を抜かれて、結局、今度の土曜日に遊びに行くことになった。

 気がする。


 そんな事実はないはずなのに。


「変な気分ね。これが、デジャブってやつかしら」

「そうかもな」


 デジャブ。

 一度も体験したことがないはずなのに、あたかも体験したことがあるように感じること。


 まさにそんな感じだ。

 こんな会話をしたことはないはずなのに、したような気がする。


 だが、その中に、俺でも世良でもない人の声が混ざっているのはおかしい。

 しかも、その声の主に心当たりがないなんて、もっとおかしい。


「なあ、世良。今度の土曜日、どこかに出掛けないか?」

「はぁ?」


 俺はその疑問を探るために、世良に提案する。

 しかし、世良は気が進まないようで、明らかに嫌そうな顔を向けてきた。


「何でよ? さっきのデジャブで?」

「まあ、そうだよ」

「よくわからないけど、それに従うのは気持ち悪くない?」


 確かに、こんな不確かで、不可解なことに自ら突っ込んでいくのは、あまり賢い行動じゃないかもしれない。


 だが、不思議と気持ち悪いという感情は湧いてこなかった。


 どちらかと言うと、土曜日が楽しみという気持ちの方が強い。別に世良と出掛けることが嬉しいという訳でもないのに。


 世良と出掛けるなんて、今までもしたことがあるし、特に代わり映えのするようなものでもない。


 それでも、楽しみだと感じるのは、やっぱり何か違う要因があるからに違いない。


 それを確かめるためにも、さっきのデジャブの通りに出掛ける必要がある。


 そうと決まれば、後は気乗りしていない世良を説得するだけだ。


「このまま放置する方が気持ち悪いだろ?」

「うっ。それは、まあ」

「行けば、何か思い出すかもしれないし」

「う、うーん」

「悶々としてるより、買い物でもした方がすっきりするんじゃないか?」

「そうかもしれない、けど」


 世良はかなり迷っている。


 もう一踏ん張り、かな。

 後一押しがあれば行けそうな気もする。が、その一押しが思い付かない。


 後は、何か奢るという手もあるか。とは言っても、俺の手持ちはそんなに余裕がある訳ではないので、手頃なものしか選べないのだが。


 100円ショップでも行ってみるか。


「後輩くん。女の子はさりげない部分に弱いものだよ。例えば、ちょっとした会話を覚えていたり、とかね。次の機会にでも試してみなよ」


 的確なアドバイス。

 誰かはわからないけど感謝します。


 そういえば、少し前に世良が話していたことがあったな。


「そうだ。この前話してた新しくできたクレープ屋さんにでも行かないか? まだ行ってないって言ってたろ?」

「え? あ、覚えてたんだ?」

「まあな」


 逆にそれしか覚えてない。


 他にもあれやこれやと話していた気もするが。正直、クレープ屋さんだったかもうろ覚えだったし。

 とは言え、一か八かで言ってみたが、賭けには勝てたようだ。


 世良は嬉しそうに少しだけ笑みを浮かべて、頬を赤くしていた。

 なぜ、頬が赤いのかは謎だが。


「そう、ね。わかったわ。今度の土曜日ね。部活もないし、そんなに言うなら、行ってあげるわ」


 なぜそこで上から目線なんだよ。

 まあいいけど。


 とりあえず、これで土曜日のお出掛けは決まりだ。これで、少しは謎が解ければいいんだが。

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