140話―聖女と赤ちゃん

 翌日。アイージャにたっぷりと説教されたリリンたちは、持ち回りでアゼル(赤ちゃん)のお世話を行うこととなった。もちろん、その間も修行は続く。


「今しがた、リオから連絡があった。今回は治療にかなり難儀しておるらしく、数日は帰れんらしい。魔神の治癒力を分けてやらねばならんそうじゃ」


「なるほど。向こうも向こうで大変な……」


「あーん、あーん!」


「っとっと、よしよし、そう泣くな泣くな。しっかりあやしてやるからな」


 修行を終えたアイージャとリリンが床に座って話をしていると、修行場の端っこに設置した揺り篭の中にいるアゼル(赤ちゃん)が泣き始めた。


「びぇぇぇぇ!!」


「よーしよし、腹が減ったのか? とは言え、今は何もない……さてどうしたものか」


「そんな時は! このアタシにお任せだ!」


 すやすやと眠っていたアゼル(赤ちゃん)だったが、どうやらお腹が空いたようだ。目覚めたそばから、大声で泣き出してしまった。


 しかし、アイージャもリリンもミルクを持ってきておらず、ただあやすことしか出来なかった……が、そこにミルク満タンの哺乳瓶を持ったシャスティが現れる。


「どこから入ってきたのだ、お前は。というか、その手に持っているのはなんだ」


「なんだって、そりゃあおめー哺乳瓶だろが。ほら、アゼルを貸せ。ミルク飲ませねーと可哀想だろがよ」


「手際の良いことじゃのう」


 リリンからアゼル(赤ちゃん)を受け取り、シャスティは床に座る。横抱きに抱えた後、哺乳瓶の飲み口をそっとアゼル(赤ちゃん)の口元に持っていく。


「ほーら、ミルクでちゅよー。いっぱい飲んで、またねんねしまちょうねー」


「あむ、ちゅ、んぅ」


 普段からは想像も出来ない、凄まじく優しいダダ甘な笑みを浮かべ、シャスティは赤ちゃん言葉でアゼル(赤ちゃん)に語りかける。その姿は、とても幸せそうだった。


 一方、普段のガサツでちゃらんぽらんなシャスティをよーく知っているリリンは、彼女の後ろでひたすら笑いそうになるのを耐えていた。ギャップが凄かったのだろう。


「ぷ、くく……。ふ、くはは。でちゅ、でちゅて。キャラが変わりすぎだろう。ぷふ、はははは!」


「……聞こえてるぞ、テメー。後で覚えとけよ……」


 もう途中からこらえきれなくなったようで、リリンは腹を抱えて転げ回る。アゼル(赤ちゃん)の相手で動けないシャスティは、静かに怒りを燃やす。


「んく、んく……ふぅ」


「ん、飲み終わったな。んじゃ、アイージャ。わりーけど哺乳瓶持っててくれ。アゼルの背中トントンしてやんねーといけないからよ」


「ん、分かった」


 そうこうしている間に、アゼル(赤ちゃん)はミルクを飲み終えた。シャスティは哺乳瓶をアイージャに渡し、身体が縦になるように抱き直す。


 そして、アゼル(赤ちゃん)がげっぷするまで、何回か優しく背中をトントン叩いた。けぷっ、と可愛らしいげっぷが出たのを確認し、シャスティはうんうん頷く。


「よしよし、これでオッケーだな」


「……疑問に思っていたが、お前は何故毎回ミルクを与えた後にげっぷをさせるのだ? 不思議で仕方がない」


「こーしねぇと、ミルク戻しちまうんだよ赤ちゃんは。まだまだ身体が未完成だから、ミルク飲む時に一緒に空気も飲んじまうんだ。で、その空気をげっぷとして出させてやんねーとならんのよ」


「ほう、なるほど。一緒に飲んでしまった空気に、ミルクが押し出されてしまうというわけか。これは一つ勉強になった」


 ひとしきり笑った後、リリンはふと疑問を抱きシャスティに問いかける。毎回ミルクを与えた後でげっぷをさせているのを不思議に思っていたらしい。


「ふん、かようなことも知らぬとは、さてはお主おぼこじゃな? ホッ、青いものよの」


「なんだと? そういう貴様は何だと言うのだ。まさか、子を産んだことでもあるのか?」


「当たり前じゃろう? この千年で、軽く六百人は産んだわい」


 無知を嘲笑うアイージャに、ムッときたリリンはそう尋ね……返ってきた答えにシャスティともども絶句した。


「ろ、ろっぴゃ……六百!? 貴様、そんなに産んだのか!?」


「如何にも。懐かしいものよの、時には六つ子を産んだ時もあったわ。ま、姉上が八つ子を産んだ時は流石の妾も仰天し……む、この気配」


 自慢げに話をしていたアイージャは、何者かの接近に気付き耳をピクピクさせる。直後、三人から離れた場所に落雷が発生し、カレンが現れた。


「よー、戻ってきたぜ。いやー、やっぱ住み慣れた大地は落ち着くな!」


「なんじゃ、戻ってきたのかカレン。リオはどうした?」


「まだ終わらねーから、先に帰っていいとさ。アタイとしても、その方が嬉し……ん? シャスティ、お前その赤ん坊……」


 事の顛末を知らないカレンは、アゼル(赤ちゃん)に気付きジッと見つめる。満腹になってうとうとしていたアゼル(赤ちゃん)は、落雷で目が覚めたようだ。


 くりくりした瞳で、興味深そうにじーっとカレンを見つめている。


「ああ、実はな……」


「なるほど、隠し子か! 相手は誰だ? 一緒にいたちっこい奴か?」


「アホか! んなわけねーだろ! この子がそのアゼルだっつーの!」


 すっとんきょうなことをほざくカレンにツッコミつつ、シャスティはこれまでに起きた出来事を話して聞かせる。その間、アゼル(赤ちゃん)はシャスティの服をしゃぶっていた。


「ほーん、なるほどねぇ。あかんぼになっちまったのか、大変だなー」


「他人事のように……まあ、妾からしても他人事ではあるが」


「きゃっきゃっ♪」


 ぷにぷにとアゼル(赤ちゃん)のほっぺたを指でつつきながら、カレンは能天気にそう言う。アイージャは呆れつつも、おおむね同意していた。


「ま、それよりもだ。一つ気になることを見つけてきたんだよ。実はな、帰る途中で暗域に寄ってきたんだけどな」


「なんじゃ、変なところに寄り道しよってからに」


「いや、カルーゾの居場所がそろそろ見つかる頃かなーと思ってよ。そしたらさ、すんげーことになってんの。上の方の階層で、艦隊がドンパチやってんだよ」


「……なに?」


 その言葉に、アイージャたちは何か言い様のない違和感のようなものを感じた。現在、闇の眷属たちの勢力図は安定しており、内乱が起こるような緊張はない。


 仮に内乱が起きたとしても、主戦場になるのは暗域の深部、貴族や王たちが支配する領域がメインとなる。わざわざ、上の方にまで出てくる理由はないのだ。


「その話、気になるな。他に情報はないのか?」


「んー、情報っつえるほどのモンじゃねえけど……裏切りがどうとか、子どもを見つけろとかよ、そんな噂話が広まってたみたいだぜ」


 リリンが尋ねると、カレンはそう答える。アイージャは指を顎に添え、ふむふむと考え込む。


「……子ども、か。もしや……カルーゾの一味が仲間割れでもしておるのか? そうでもなければ、今の闇の眷属どもが内輪揉めをしている理由は思い付かん」


「仲間割れだぁ? つい昨日だぜ、あいつらが攻めてきたのは。いくらなんでも考えすぎじゃねえのか? なぁ、アゼル」


「だぅ~」


 アイージャの仮説を聞き、シャスティはいくらなんでもとかぶりを振る。が、リリンは彼女とは反対に、アイージャの考えに賛同の意を示した。


「私はあり得なくはないと思っている。ま、どっちにしろ調査してみないことには何も分からん。そうだろう?」


「うむ。これは一度、調査に行かねばなるまい。これ以上、余計なゴタゴタを抱え込むわけにはいかん。明日、メンバーを募り暗域へ行くとするかの」


 カレンのもたらした知らせにより、暗域へ調査隊が派遣されることが決まった。……が、この時彼女たちはまだ知らなかった。この決定が、彼女らに良い結果をもたらすことを。

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