第20話 突然の嵐


 渡り廊下から足音が聞こえてくる。

 その音に俺の身体が反応して、緊張してしまった。

 そのまま育枝が来る前に落ち着かないと、と思い一度大きく深呼吸をする。

 だが、育枝はそんな俺をチラッと見て気まずそうな表情をしてからすぐにリビングにいる亜由美の方へと向かった。それから何かを二人で話しているのはわかるが、亜由美が食器を洗うために水を溜めているらしく、水音が邪魔で会話がよく聞こえない。


「あ、お帰り~。用事もう終わったの?」


「うん。ごめんね。後片付けは私するからいいよ?」


「いいの。いいの。気にしないで。それよりくうにぃに明日の旅行の事ちゃんと伝えて来たら?」


「え? あっ……うん」


「嫌なら私が全部伝えるけどいいの?」


「だめ! それは私の役目なの!」


「はいはい。だったら早く言ってきたら? 私がいる間だったら何か困った事あったらフォローしてあげるわよ?」

(本当はもう伝えたけどね。二人が話すきっかけになるんだったらいいよね)


「本当に?」


「うん」


「ありがとう。なら行ってくる」


 しばらくすると会話が終わったのか育枝が俺の方へとゆっくりと近づいてきた。

 そのまま俺の隣ではなく、小さいガラスのテーブルを挟んだ先にあるソファー俺と対面になるように座った。


「明日の旅行ってそらにぃも来るんだよね?」


「うん……」


 いつもなら普通に話せていたはず。

 だけど今はとても緊張してしまう。育枝も内心気まずいのかどこか落ち着きがないように見える。


「明日ね、明日十時に『いのり旅館』に集合で三泊四日なんだって。ちょっと急だけど寝る前には用意よろしくね。家は朝の九時に出て、亜由美達と近くの博野駅(はかのえき)からJRに乗って行くから寝坊はダメ。明日の事は以上だけどなにか聞きたい事はある?」


 つまり、休みだからと言ってゆっくり寝ていると遅刻するというわけか。

 最近不規則な生活になってたからちゃんと起きれるかが心配だ……。


「うん、大丈夫……」


「どうしたの?」


 育枝が何かを疑問に思ったのか、小首を傾げる。


「いや……別に……」


 そして小さくため息を吐いて。


「いいよ。明日の朝八時に起こしてあげる」


「なんでわかったの……?」


 すると急に育枝の表情が変わり、不安そうにこちらを見る。


「顔に出てたからだよ。もしかして私に起こされるの嫌?」


「嫌じゃない。むしろお願いしたいんだけど……いいのか?」


 今までだったら普通にお願い出来ていた事が、中々言えない。

 どうしても育枝に嫌われているんじゃないかと思うと、心の中が不安になって変に緊張してしまう。


「うん。いいよ! 明日の旅行でいい気分転換になるといいよね。それに――」


「それに?」


「やっぱり、なんでもないよ」


 育枝は微笑みながらそう言ってくれた。

 あれ? 嫌われてはないのか……?

 でも育枝優しいからな、こんな俺の為に気を遣ってくれているだけな気がしなくもないんだよな。


「そっかぁ」


 本当は話したい事が山ほどあるのに言葉が喉に詰まって出てこない。

 育枝が俺の事をどう思っているのか。

 それがわからない。

 多分嫌われてはないような気がする。だけどその確証がない。となるとやっぱり内心は不安になるわけで。「そらにぃ大好き」って言葉、あれが演技だったのだと思うと、もうどれが本当でどれが冗談なのかよくわからない。簡単に言うと俺が勘違いする事をビビっている。今の俺はそれだけ傷つく事を恐れている臆病者。


「ところで今日は何を食べたの?」


 自覚があってもこればかりは今すぐにどうにか出来るわけじゃない。

 だって理屈じゃないから。


「ご飯と油揚げと豆腐のお味噌汁、後はチキン南蛮と野菜のサラダかな」


「へぇ~。……ってえ!?」


 育枝が驚いた顔をする。


「ちょっとなんでそらにぃのだけそんなに気合い入ってるのよ! それなら私のもちゃんと作ってよ!」


 育枝がリビングにいる亜由美に向かって叫ぶ。


「いくはある意味自業自得でしょ!? なんでもいいから早く用意しろって言ったのは誰でしたっけぇ~住原育枝さ~ん?」


 リビングから聞こえてくる声に育枝が口を尖らせる。


「亜由美のいじわるぅ~~~~~!」


 返事が返ってこない。

 本当に聞こえていないのか、答える気がないのか。


「育枝は一体何を食べたんだ?」


「ご飯とお味噌汁とカレイの味醂だよ。まぁ美味しかったから文句はないんだけど、何か私と違う。ズルい、そらにぃだけ!」


 上目遣いでフグの様に頬を膨らませる育枝。

 これはこれで可愛い。

 つい頬を指で突いてしまいたくなる可愛いさだ。


「まぁまぁ、落ち着いて」


 俺は両手で手振りを入れて落ち着かせる。


「むぅ~。だって一人だけズルいんだもん!」


「まぁまぁ育枝がチキン南蛮が大好物なのは俺も知ってるから今度また亜由美に作ってもらえるように俺から頼んでみるからさ」


「うぅ~、だったら我慢するぅ」


 物凄く子供っぽいというか妹っぽい。

 我儘な妹……めっちゃいいじゃないか!

 なんかこう抱きしめて、我儘を聞いてあげたくなるような子供っぽさがかなりの高得点。って俺は一体何を考えているんだ。俺の想いが増せば増すほど育枝には迷惑がかかるんだ。育枝の求めているのは多分兄妹愛なんだ。多分……。


「な、なぁ育枝?」


「なに?」


 ここは俺からビシッとやっぱり聞いておくか。

 もしダメだったら明日白雪に全力で甘えて慰めて貰おう。

 どうせ明日も学校はない、例え二度目の玉砕をしてもきっと一握りの人間にしか知られないだろう。

 それくらいの覚悟を持って、いざ!


「俺がやっぱり近くにいたら……迷惑だったりする? その……俺の勘違いが原因で育枝が傷付いた事は知っているし、今もなんとなくだけど距離を取られているなって感じがしてるのはわかる……。もし育枝が俺と距離を取りたいって思ってるなら明日は家で待っているからさ……そのまた……前みたいに――」 


 育枝の表情から笑みが消えた。

 そして真剣な表情で俺の目を見て言葉を重ねるようにして言う。


「ちょっと待って! それは私が先に謝らないといけないの。そらにぃゴメン……」


「うん」


「私のせいなの。全部……。私が嘘ついたから……」


 嘘……?

 もしかしてあの演技の事か……。

 違うんだ、あれは元々俺があの日育枝の事をちゃんと見れていなかったから、勝手に癒しを求めて都合のいいように解釈していただけなんだ。

 言わなくちゃ、逃げちゃダメだ、ここで言わなかったら……。


 ――兄妹にすら戻れないかもしれない。それは絶対にダメだ。


「違う! 育枝は何も悪くない!」


 俺はソファーから立ち上がって言う。


「これは俺の本心だ。だから育枝頼む。俺に気を遣わなくていいから、明日どうしたいかをまずは教えて欲しい。明日の事で実は俺……今……めっちゃ不安なんだよ。育枝の邪魔になってないかな……。本当は一緒に行った方がいいのかな……、むしろここは一人で行ってもらった方が育枝的にはいいのかな……って」


 あーあー言っちゃった。

 てか俺今めっちゃ恥ずかしいんだけど、鏡見なくても顔に熱が帯びているのがわかる。

 これじゃあ、未練がありますって遠まわしに言っているようなもんじゃないか。

 相手の考えが知りたいって思うって事はやっぱりそれだけ気になる存在っていう意味なわけで。って、あれ?

 育枝は可愛らしい目を大きくして、ポカーンと口を開けて驚いている。

 開いた口が閉じられないのか、そのまま育枝の時間が数秒止まった。


「うん?」


「え?」


「そらにぃ一緒に来てくれないの?」


「いや……だから……育枝がいいなら行きたい……です」


「なら一緒に行く! がいいなぁ」


「よかった……」


 俺は心の声を呟きながら、胸に手を当て安堵しながらソファーに座る。


「全く謝らせてもくれないなんて。マズいな……そらにぃやっぱり勘違いしてる……。恋の神様お願い私に力をちょうだい」


 育枝はボソボソと何かを言っているが、何て言っているか声が小さくてよく聞こえない。


「ごめん、もう一回いい?」


 なので聞き返してみる。


「一緒に来ていいよ。そうしないと一番私が困るから。だって私達超絶仲良しの兄妹だもんね。流石に私達もう演技止めていいよね?」


 そう言って育枝が笑顔を向けてくれる。


「えっ……? 演技……?」


 つい俺の頭がついていけなくなり、真顔になってしまった。

 だけど今はそれどころじゃない。育枝があろうことか俺の隣に来たかと思ったらそのまま通り過ぎて目の前に来て立ち止まったのだ。


「うん。だってあれは白雪七海にあの日『異性としては好きではない』って言った事を後悔させたい私とそらにぃの演技だったんだよね? だから最大火力で白雪七海に後悔させるために私に嘘の告白をしたで正解だよね? 良かったぁ、私これいつまで続けるか心配だったんだよね。あ~安心したら眠くなってきちゃった。今日は私が先にお風呂入るねぇ~。それと私今もそらにぃの事大好きだから!!!」


 そう言って、今度は開いた口がふさがらない俺に笑顔で言ってきた。


「……………………はぁい?」


 ちょっと待って。

 もしかしてこれって俺と育枝の勘違いから生まれてたギクシャクだったの。

 そして俺が変に意識していたせいで、育枝もどうしていいかわからなかったって感じなの?


「えぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!?」


 もしかして育枝の中で俺は振られてない状態?

 なら、もしかして……ワンモアチャンス!?

 それより、俺の一世一代の告白は!?


 俺の心の中で育枝から嫌われた、迷惑をかけてしまったと言う不安が一気に消えた。

 そして今度は俺の心の中に、嵐がやってきた。


 昨日は散々色々とやり直したい、やり直したいと思って考えていたら、今日の朝はご近所さんに注目され、亜由美の部屋に避難したらまさかの全員集合、それから水巻が怒り、逃げるようにして近所の川辺に行って時間を潰していたら水巻からの電話。

 それが終わり急いで家に帰宅したら亜由美が俺の家にいて夜ご飯を作ってくれていて、その後は育枝との会話。

 かと思いきや最後にこれで、明日からは六人で旅行。


 俺の頭はもう何をどうしていいのかがよくわからなくなっていた。


 そもそもそれなら俺は今まで通り育枝と関わっていいのか……。



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後書き



 次話から第二章です。多分ここでは疑問に思う事や、うん?と思う事があると思います。第二章でどうなっていくかを次話から見て頂ければなと思います。

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