第3話 私と一緒に……やってください!
扉を開けたまま固まってしまっていたひかりさん。
てっきり親御さんか他の人が出てくるとばかり思っていたせいか、俺までもがそのまま固まってしまう。
しかしそんな中でも、俺の目はしっかりとひかりさんを見つめていて、この前会った時とは違い、寝起きなのか少し乱れた髪や少しばかりサイズが大きいと感じる薄ピンク色のパジャマ、そして何よりも一番印象に残ったのはあの時は付けていなかった赤ぶちのメガネだった。
ギャップ萌え……まさにその言葉が今俺の抱く感情を体現していた。
そのうえ、服の胸元に大分余裕があるせいで鎖骨が顔を覗かせていたり、メガネ効果もあってか、妙に大きく見えるサファイアのように綺麗な瞳が上目遣いのまま俺を見つめていて……。
「こ、こんにちは。休んでいたって聞いたけど大丈夫?」
「こんにちは。はい、なんとか……」
間違っていないはずなのに、何故か間違えたような気さえする当たり障りのない挨拶。
そう、ただの挨拶……そのはずなのに、どうして彼女は頬を赤らめながらもじもじしているんだ?
そういえば何故休んでいるのかは知らなかったな。もしかして風邪をひいていて、それでまた熱が?
と、言うかもし風邪だとしたらあの時……。
蘇るこの前彼女と出会った時の記憶。
寒いのが苦手と言っていた彼女、そして帰り際には可愛らしいくしゃみもしていた。……そりゃそうだよな、こんなか弱そうな女の子をあんな場所で放置してしまったのだから。
「ひかりさん!」
「ひゃ、は、はいっ!?」
突然名前を呼ばれびっくりしたのか、やや裏返り気味の声で返事をする。
これ以上無理をさせないように、早く届けものを渡して寝かせるのが良いだろう。
「今日の分のお届けものだよ」
「あ、ありがとうございます。やざわざすみません……」
「俺としては全然手間とかじゃないからいいんだけど。それよりも顔が少し赤いから早めに休んで、ね?」
そう言って半ば強引に預かっているものを渡し、そのまま帰ろうと踵を返した時だった。
「──あ、あのっ!」
「はっい!?」
急に服の裾を引っ張られ、変な返事になってしまう。
もしここに皐月や七海さんがいたら、今頃大爆笑されていたところだろうが、今は状況が状況なのと内気なひかりさんだったからか、そんなことは構わずに話を続けた。
「良かったら、お茶でも、どうですか?」
「でも、ひかりさんは……」
「私なら大丈夫ですっ。風邪も、もう治って今日は念の為って言われたから……。なので大丈夫です!」
「は、はい。じゃあいただこう、かな」
……と、ほとんど流されるがままにひかりさんの家へ。
「──お邪魔します」
中に入ると、花のような優しい香りに包まれる。
部屋の間取りは俺のところと同じで、玄関がありすぐ近くにキッチン、その隣にはお風呂とトイレがあって、他にはリビングの他に一部屋ある。
しかしゲームやパソコン関係のもので溢れている俺の部屋とは違い、掃除が行き届いていて全体的に可愛いもので統一されている。
元は同じはずなのに、女の子が使っているというだけでこんなにも違うように見えるものなのか……。
「お待たせしました。麦茶しか置いてないんですけど、それでも良かったですか?」
「うん、全然構わないよ。ありがとう」
この前よりも少し固い表情のまま、俺と机を挟んで向かい合う形で座る。
折角ここまで来てしまったんだ、謝るのなら今だろう。
俺は軽く息を吸い込んで、
「ごめんなさい!」
先にその言葉を放ったのはひかりさんだった。
自体が飲み込めてない俺は何故? と、はてなマークを浮かべていた。
彼女が風邪をひいたのは俺のせいであるため、俺が謝るのはわかるが、俺は謝られることをされた記憶のない。
「その、私なんかのためにわざわざ立華さんの手を煩わせてしまって……」
「気にしなくてもいいよ。俺はこの近く……ってか、隣に住んでるから」
「そ、そうだったんですかっ!!?」
「う、うん。俺も今日知ったんだけどお隣さん同士だったらしい」
不思議なくらい今まですれ違うことすら無かったからな……。
「まさか立華さんとお隣なんて、こんな奇跡が……。あっ」
「ん?」
突然、ひかりさんが窓の外を見て目を大きく見開く。
それにつられて見てしまったのがいけなかったと俺はすぐに後悔する。
この部屋に入った時には見えなかったが、今は位置が少し動いてしまったのか外に干されている洗濯物が見えていた。
まぁこれだけならただの洗濯物じゃないか、と思うかもしれないが問題はそれが何かということだ。外からは見えないように干されているソレは裏を返せば部屋側からは見えるようになっており、つまり、その、ひかりさんの丸みを帯びた三角の形をした水色の……が、はい。
「ご、ごめんっ!」
それが何かに気付いた時、すぐさま視線を全く別の場所へと移す。
しかしそれを見ていた時間は3秒にも満たなかったはずなのに俺の脳内メモリに保存されるには十分すぎた。
水色のそれを忘れようとしてもそれが裏目に出て意識してしまい、逆に忘れられないものになってしまう。
そんな俺の様子を見てか、それとも純粋な恥ずかしさからかひかりさんは「すみません。少し待っていてください……」と一言詫びを入れてから慌てて隣の部屋からベランダに出てそれをしまい込む。
別にその様子を見ていたかったわけではないのだが、ふと閉まっていた隣の部屋が見える状態になっていれば気になってしまうのが人間というもので、先程の失敗があるにも関わらずチラリと隣の部屋を見てしまう。
「…………え?」
そして俺は信じられないものを目にする。
別に女の子の部屋に対する幻想が砕かれたなどというわけではない。
ここから見える範囲では綺麗に片付けられているし、パソコンや周辺機器もしっかりとまとまっている。
だが俺がこうなってしまった理由はそのパソコンの画面にあった。
そこに映っているのはとても見覚えのある編集ソフト、そして俺の希望、天野かいりだった。
俺はブイチューバーの動画制作などはわからないが、それでもゆっくりという違う立場で実況動画を作っていたのだ。
いくら距離があるとはいえ、この画面を見ればそれが何を意図しているのか大体わかる。
「……あれは、天野かいり?」
しかしそれでも自分の思考が現実に追いつかない。
ひかりさんと天野かいりは性格というか、方向性が違う。ひかりさんが静かに揺れる炎だとしたら、天野かいりは激しく燃える炎。
両方を知っている俺からしたら真逆にいるような二人だ。突然その二人が同一人物ですと言われても理解するのに時間がかかるだろう。
やがて、ひかりさんが洗濯物を安全な場所へと移動させたのかこちらに戻ってくるが、すぐに事態を把握したらしく普段の彼女からは想像できないほど乱暴に扉を閉める。
そんな彼女だったが、俺はそんな事よりも真っ先に確認しなければいけないことがあって、
「……ひかりさんって、天野かいり、なの?」
「………………はぃ」
瞳に大粒の涙を浮かべさせながらゆっくりと振り返り、小さく頷いた。
これでひかりさん=天野かいりということが立証された。と、なれば俺がやる事はひとつしかない。
ゆらりと立ち上がり少しずつ彼女との距離を詰める。
その目には確かな覚悟を持っていた。
「…………」
「た、立華、さん……?」
不安そうにこちらを上目遣いで見つめる彼女。
今の不安定な彼女にこんなことをするのはどうなのか? そう問われれば、俺は逃げることは出来ないだろう。
だが、漢には引けない時もあるのだ。
俺は彼女の前に立つとそのまま勢いよく頭を下げる!!
「俺とあ、あッきゅしゅ、してくださいっ!」
そして緊張の余りに声が上ずり、更に最悪のタイミングで噛んだのだ!!!
果たして人類の中でこんな時にこうも格好悪く握手を要求出来る人がいるだろうか? 恐らく世界中探しても俺を含めても三人いるかどうかだろう。
恥ずかしい、今すぐ消えていなくなりたい……。いやむしろこのままベランダから飛び降りて死にたい!
あ、でもそれだと下の人に迷惑になるから自分の部屋で首を吊って……。
などと頭を抱えながら様々なことを考えると、突然右手が柔らかい何かに包まれる。
「……こ、これで、いい、ですか?」
たどたどしくも俺にはしっかりと聞こえるひかりさんの優しい声。
俺の右手はそんなひかりさんの小さな手にしっかりと握られていたのだ。
ずっと応援していた天野かいりの中の人と握手出来ているだけではない、初めて知る女の子の柔らかさも相まって、俺は固まったまま心臓だけがうるさいくらいに強く鳴っていた。
「た、立華さん!?」
「…………はっ! お、俺は一体……。って、えっ、あ、あああ握手!?」
名前を呼ばれ、我に返った俺は今起こっていることに驚いてしまう。
「お、俺、一生この手を洗わないかも……」
「えっと、流石に手は洗った方が……。やっぱり食べる時に変な菌とか一緒に口の中に入ったりしちゃいますし……」
「それって天野かいりの何か、とか?」
「一般的なモノ、です。それに私なんかの握手でよければ、立華さんならいくらでも、してあげますから」
「マっジで!?」
「は、はい。マジです」
その言葉に右手は今でもひかりさんの手に抱擁されているのにも関わらず、思い切り両手でガッツポーズをしてしまいそうになる。
「……あれ、でもひかりさんが天野かいりってことはあの時のため息って……」
俺とひかりさんが出会った日。彼女が可愛い顔に似合わず盛大なため息をした理由。
なんだかんだで、その理由は聞いていなかったが……。
「……はい、あの動画、です。ある人に憧れて、動画投稿を始めたのはいいんですが、最近は中々上手くいかなくて、それでもって色々やったけど全然ダメで、それで……活動休止の動画を出したけど、そのまま辞めようかなと思っていたり」
「…………マジか」
「で、でもっ、立華さんとお話して、それでこんなにも天野かいりを好きだと言ってくれる人がいるなら、もう少し頑張ろうかなって思って……」
「…………」
今初めて知る衝撃の事実に俺は口を開けたままになっていた。
もしあのとき、あの場所で彼女に出会っていなかったら天野かいりが終わっていたかもしれなかったのだ。
例え偶然だとしてもあの時の俺に賞賛を送りたい。
「ただ家に帰ってから少し無理をしてしまって……。元々風邪っぽかったってのもあったんですが、そこに無理が重なってこんな結果に……」
「いや本当にすみませんでした……」
「これは私の自己管理の問題なので、あまり気にしないでください。それに感謝しているんです、一時的とはいえ頑張ろうって思えたのは立華さんのお陰なので」
一時的、か。
その言葉に俺は胸の痛みを感じる。
このままでは間違いなく、かつての風月と同じ道を辿ることになるだろう。
だが
彼女はこれからもっと有名になって、いずれは今のトップ達さえ凌ぐような存在になる可能性を秘めているのだから。
…………もし、もしも俺に、彼女の手伝いができるとしたら?
そのとき、ずっと燻っていたモノに火が灯るのを感じた。
俺は諦めてしまったけれど、俺が培ってきた知識は、経験は、無駄ではない。
三年間なにも研究せずに実況を続けていたわけではない。
それに俺はずっと彼女のチャンネルを応援し続けていた。そして俺は実況者というまた違った視点からもアドバイスが出来る。
そんなことを言う俺を思い上がりだと言うやつがほとんどだろう。そうさ、そんなことはわかっている。
でも、それでも……。
「…………ひかりさん。俺に、俺にも手伝わせてほしい! 天野かいりが何に悩んで、何に困っているのか、それを聞かせて欲しい。それでもって一緒にその壁を乗り越えたいんだ!」
俺の想いにひかりさんは「で、でも……」と弱気な返事をする。
それはそうだ。ひかりさんからしたら言ってるのはただのファンであり、言わば何も知らない素人なのだから。
「一応これでも昔はゆっくりというものを使った動画を出てたから。多分少しくらいはサポート出来ると思うから!」
「……昔は?」
「え、あ、うん。風月って言ってもわからないと思うけど、丁度一年前の今頃まで三年間近くやってた──」
「風月って、あの風月ですか?」
ぐぐっと、いきなり距離を詰められる。
余りにも突然の事だったので、何回も頷くことしか出来なかったが、それでも彼女は満足したようで、
「私、風月のチャンネル……ずっと応援してました。最後の最後まで、毎回コメントだってしていました。もちろん天野かいりのものではないですけど……」
「……そう、だったんだ」
つまり俺は彼女のファンであり、また彼女も俺のファンだったってこと?
これってどんな運命だよ……。
「私が動画を投稿しようと思ったのも、実は風月の影響も大きくて……。だからこそあの時の動画はショックで……」
「……ごめん」
「い、いえっ。風月……立華さんの事情もあったと思いますし、それに私が色々言うのは違うなって理解してましたけど、それでもやっぱり悲しくて……」
胸がズキリと痛む。
あの動画を公開したあと、彼女が言ったことと同じようなコメント沢山はあった。
だが、それでも今の一言はそれら全てのものよりも心にきた。
「……立華さん」
「?」
「さっき、私と一緒に壁を乗り越えたいって言ってくれました、よね」
「うん。言ったよ。天野かいりはこんなところで終わっていいなんて思ってないから」
「……では、私からもお願いがあります」
「俺に出来ることなら。それが天野かいり存続に繋がることならなんでもするよ」
「立華さんさえよければ、ですが……。私と一緒にブイチューバー、やりませんかっ!」
「……俺が?」
「はいっ。モデルとかは私の方でなんとかしますっ、だから私と一緒に……やってくださいっ!」
ブイチューバー。それは今まで観ているだけの存在だったもの。一度は離れたあの場所に新しい身体で再び舞い戻り、その隣には憧れの天野かいり……。
こんなもの、答えは決まっているし、そうでなくとも元々そのつもりだ。
「こちらこそよろしくお願いします!」
「はいっ!」
こうして俺たちは運命のような偶然な出会いから、共にチャンネルを盛り上げる言わば運命共同体のようなものになった。
「──っと、そう言えば自己紹介がまだだったね。俺は風月こと、塩崎学園高等部二年の立華樹です」
「……私は天野かいりこと、塩崎学園高等部一年の佐倉ひかりです」
「同じ学校で先輩後輩って、こんな偶然もあるんだね」
「ふふっ、そうですね立華先輩♪」
「…………」
「えっと、もしかして嫌、でした?」
「あ、いや、ずっと立華さんだったからなんか慣れなくて……」
「……では樹先輩?」
「や、やめっ、それは恥ずかしい」
「くすくすっ♪」
ただでさえ慣れない女の子からの名前呼びもあって顔が一瞬で赤くなる。
そんな俺を見てこの天使は最上級の笑顔を見せてくれた。
「では、改めてよろしくお願いします」
「……こちらこそ、よろしく、お願いします立華先輩っ」
俺たちはこれからパートナーとなる相手と握手を交わす。
最後の最後で完全に立場が逆転してしまったが、これはこれで良かったかもしれない。なんてことを思う俺だった。
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