忘却の国

仁藤 世音

三人の商人

 エルガモンドの名が歴史の彼方に消えて久しい。あらゆる記録もあらゆる記憶も、大きな感情によって絆され、自ら息を引き取った。


◆ ◆ ◆


 エルガモンドは広大な平原に位置する国であった。海も遠く、湖も川も近くにない土地が栄えたのは奇跡的な偶然だった。

 まず世界的な商人が同時期に三人も生まれた。彼らは若くして巨万の富を築き、祖国エルガモンドの発展に貢献した。三者三様の人脈はそれまで長閑な田舎だったエルガモンドを数年で文明都市へと成長させ、城を築くまでになった。偉大なる商人の街としての顔を持ったことで唯一無二の物流拠点となり、街は広がり、人口も増えた。


 しかし彼らが行政の手綱を握ることはなかった。それどころか、進んで手放したのだ。それというのも彼らよりもずっと若い領主、ファルナに魅了されたからであった。ファルナは才色兼備の女性であった。剣術も馬術も男性を圧倒し、知恵比べで適うものはいない。ファルナの両親はこの才能に打たれ、彼女がまだ14の時、領主の座を譲った。就任当初はちょうどエルガモンドの開発が始まりだした頃だった。三人の商人がそれぞれの理想を衝突させ、自治権を得ようと画策していた中で当然ファルナも敵視された。


 商人の一人、ザムリクフは真っ先にファルナに取り入ろうとした。小娘一人、自分の傀儡にすることなど訳ないと考えていた。ザムリクフは就任式のその日、一番上等なドレスと馬、そして剣を献上し、パーティーの席で理想のエルガモンド像とその実現プランについて語って見せた。ファルナは終始黙って話を聞き終えると、首を横に振った。


「良い国です。貧しい者のいない国は治安も良いでしょう。しかし、あなたは幸せになれません」

「え……?」

「ザムリクフ。そのクニであなたが王になったとき、その隣には誰もいません。商人ザムリクフが追い求めたのは富でも名誉でもありません。ひと時の安らぎです。我が先祖はこの地を発展させることが出来ませんでした。それ故、あなたには我慢を強いてしまいましたね。しかしもう、あなたはエルガモンドに縛られる必要はありません。この地の発展には時間がかかります。あなたは他の地で、幸福な愛に囲まれた生活を送るべきなのです。でも……、このエルガモンドに帰ってきてくれたことは、領主として誇りに思いますよ」


 ザムリクフは数分間動けなかったという。そこにいたのは14歳の世間知らずではなかった。一瞬にして自分よりも自分を看破した、聡明な賢人だった。この瞬間からザムリクフはファルナに忠誠を誓い、彼女の願いを叶えることを安らぎとした。


 この話を聞いた商人ユミーナは大笑いしてワインを飲んだ。ユミーナは自身が少女の頃に奴隷娼婦として売り飛ばされてから、主人に取り入り、逆に奴隷商人となることで財を成した。このエルガモンドに帰ってきたのは自分の名誉を破壊せしめた貧しい国を乗っ取り、領主を処刑するためだった。ザムリクフの醜態を聞いたユミーナはファルナが人たらしであるに違いないと考えた。才能豊かであの美貌、この上人たらしとあっては、女をものとしか思ってないような男さえ隷属させるに違いない。

 ユミーナは伝手を辿って、大陸一の暗殺者を雇った。真夜中の暗殺は上手くいくはずだったが、朝になってみると暗殺者がファルナに敗北し、捕縛されていた。ユミーナは意地になって次々と優秀な刺客を雇ったが、誰も彼も返り討ちにあった。そんな中、ファルナと二人、会食する機会が訪れた。業を煮やしていたユミーナは毒殺を企て、まんまと紅茶に毒を仕込んだ。

 会食が始まってしばらく経つと、ファルナはお互いの従者を下がらせた。そして紅茶を手にし、ゆらめく水面を眺めた。


「これを飲めば、わたくしは果てるのでしょうね」


 ユミーナは息を呑み、人生で初めて冷や汗をかいた。


「ユミーナ、あなたが欲望によってわたくしを殺そうとしているのであれば、わたくしは剣を取らなくてはなりません。しかし、あなたは怒りによってわたくしを殺そうとしていますね。復讐は虚しいなどと言いますが、わたくしはそう思いません。きっと進むために、止まった心の時間を動かすために、復讐を必要とする方もいます。そしてユミーナの時間が動いた先には、幸福なエルガモンドを築いてくれると信じております」


 何も言い返せないユミーナに、ファルナは儚げに微笑みかけた。


「こうしてあなたをお招きしたのは謝りたかったからです。ユミーナ、辛い時を送らせてしまってごめんなさい。わたくしが父と、祖先に代わって謝罪いたします。この毒はその贖罪としてこの身に注ぎます」


 そう言うとファルナはザムリクフを呼んだ。ザムリクフの手には大きな袋が握られ、中には大量の金貨が入っていた。


「それはあなたが殺し屋を雇うのに使ったお金です。ごめんなさい、あなたの努力の証、あんな者たちに渡すのは我慢ならなかったのです。同じ女性として、わたくしはユミーナに会えたことを誇りに思いますよ。ザムリクフ、わたくし亡き後はユミーナに力を貸して差し上げるのですよ」


 ザムリクフは黙って頷き、大粒の涙を流していた。ファルナはもう一度ユミーナに微笑みかけ、もうとっくに冷め切った紅茶を口元に運んだ。


ガシャン!と大きな音が響いた。



 金貨の入った袋は床に落ち、毒の入った紅茶は床に飛び散り、ユミーナはファルナに覆いかぶさって倒れていた。

 ユミーナは驚いて目を丸くするファルナにかかった紅茶を必死にふき取った。


「わたくしを、殺さないのですか?」

「言うな、幼き領主よ。今お前を殺せば、私は自分をも殺してしまう。そんな予感がしたのだ。時が来るまで、ファルナ、生きてもらうぞ」


 それ以降ユミーナはファルナの片腕となった。


 三人の商人の中でも最も若く、財力を持ったリンドバーグは首を傾げた。商人たるもの、そう易々と懐柔されるものではない。ファルナはよほどのキレ者なのだろう。リンドバーグはまだファルナに会ったことが無かったが、幼い領主を十二分に警戒することにした。

 リンドバーグには野望がある。大陸を統べる王になるという夢がある。このエルガモンドは確かに生活するにはあまり便利ではないかもしれない。しかし戦場としての立地にはかなりのポテンシャルがあった。隣国マルズィ帝国と戦っても勝算があることを見越していた。そこを足掛かりに大王となる、そんな壮大な野望を現実的に組み立てていた。

 彼はまず、エルガモンドの宰相になろうと考えた。農民出のリンドバーグにもそのようなチャンスがあるのは財力というより、貴族制度すら存在しないエルガモンドの田舎ぶりが関係していた。もはや平等な貧しさを抱えていた。これも彼にとっては好材料だったが、その覇道は第一歩目で躓くことになった。

 彼は貿易に関する大きな話を持って来た、という名目でファルナに謁見したはずだった。そこにはザムリクフもユミーナもいたが、彼の眼にはファルナしか映っていなかった。


一目惚れだった。


 十は歳の離れた娘に恋をしてしまった。まるで銅鑼で殴られたようなショックで、後で何を話したのか思い出すこともできなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る