4-9

 錦馬の事情について、飯山さんには野上に他言しないことを了解してもらった。

 予定より早く撮影が終わると、番組の出演者や撮影者共々は皆ホテルに帰宿した。


 夕食の時間まで何をして暇を潰そうか考えていた矢先、各部屋を巡り訪ねていたのであろう番組スタッフの一人が、俺と飯山さんの部屋にも来て急報を齎した。

 いわく、小島さんの計らいで特別にナイトプールを開いてくださるので、急遽番組の撮影を行うことが決定して、そのため三十分後に全員プールに集合、ということらしい。


 厚意でナイトプールを開いてくれるのだろうけど、俺は憩いの時間を奪った小島さんを恨んだ。

 ホテルの館内着から再び濡れてもいい薄手のTシャツに装いを戻し、不平を垂れながら飯山さんと部屋を出る。

 一階の廊下をエントランスへ進んでいると、二階から降りてくる東軍グラドルの一行と遭遇し、偶然一行の中にいた錦馬と目が合った。


 他意があるわけでなく居合わせたから俺を見ただけのようで、錦馬はすぐに視線をグラドル仲間の方に移した。

 俺と飯山さんは一行が行きすぎるのを待ってから、彼女らに続いてホテルを後にした。



 レジャープールへの専用路を歩いてゲートを通ると、昼間とは趣を異にした空間が広がっていた。

 各遊具がプールの水面下からピンク色にライトアップされて、夜の闇に明るく照らし出されている。

 ナイトプールなど初めてなもんだから、水面を反射して遊具に幻想的な波紋が映っているのを見て、綺麗だなとぼんやり思った。


「わしの知らぬところで文明は発展しとる。ライトプールというのは実に壮観じゃ」


 飯山さんが横で感に堪えぬ様子でピンクに照らされた遊具を見入り、胸を一杯にしている飯山さん、ライトプールじゃなくてナイトプールです。


「浅葱さん、おじいちゃん」


 俺と飯山さんを呼ぶ声がして辺りに首を巡らすと、プールの右手にある更衣室の方から笑顔の野上が駆け寄ってくる。


「綺麗ですよね、ナイトプール」


 俺の目の前に来ると、ニコニコと俺の眺めていた遊具を指さす。


「確かに綺麗だ」

「浅葱さん、ナイトプール初めてですか?」

「ああ、初めてだ。来る機会がなかったからな」


 カップルが大勢いそうなイベントに、気晴らしの遊楽のために一人で参加する男はちょっと哀れだ。

 俺のそんな寂しい心内など察し付かないであろう野上は、疑わしい目を向けてくる。


「ほんとに初めてですか。大学の頃とか、女の子と行ったことあるんじゃないですか?」

「ほんとに初めてだよ。俺が嘘を吐いているように見えるか?」

「見えません」


 野上は首を横に振って、でもと言葉を続ける。


「浅葱さんが他の人と先に行っていたら、なんか悔しいじゃないですか」

「どうして悔しいことなんてあるんだ」

「さあ、どうでしょうかね?」


 少し首を傾げて、小狡く試すように笑ってはぐらかした。

 更衣室の方に時折目を向けていた飯山さんが、たったいま更衣室から出てきた人物に気が付いて俺の肩を叩いた。


「なんですか」

「錦馬君が浅葱君をじっーと見て近づいてくるぞい」


 飯山さんは俺に耳打ちする。

 ほんとに俺の方を見てるのか? と飯山さんの目線を追った。うっ、確かに、錦馬はもの言いたげな眼を射抜くように俺に向けている。

 錦馬はつかつかと歩いてきて俺の目の前に立つかと思うと、足を止めずに俺の右腕を掴んだ。


「ちょっと来て」


 ぶっきらぼうな声音で言うと、右腕を掴む手にさらに力を加えて無言で俺を野上と飯山さんから引き離す。

 手近の遊具の陰まで俺を連れてくると、背中を向けたまま右腕を解放してくれた。水面からの光に錦馬の蠱惑的な肢体が照らされていて、不思議と艶やかに見える。


「はああ」


 俺が何も言わないうちに、錦馬は腰に手を添えて大きな溜息を吐いた。


「どうしたんだ?」

「疲れたわ」

「そうかい」


 だから何だと言うのだ?

 錦馬は半身だけを俺の方に向け、目を細めて凝視してくる。


「優香に私の事訊かれた?」

「いいや。訊かれてない」


 俺の返答に勢いよく向き直るとあからさまに愕然とする。


「訊かれなかったの? じゃあ一体何を二人で喋ってたの?」

「ナイトプールは初めてですか、って訊かれて、それに答えてた」

「ふうん」


 顔から驚きを消して、錦馬は興味ないという風情をする。


「でもなんで、優香はそんなこと訊いたのかしら?」

「さあ、俺にもわからん」


 俺は肩をすくめて答える。

 それで、と錦馬が話題を替えた。


「私とした約束、ちゃんと果たしてくれるんでしょうね?」

「約束?」

 俺は間抜けに尋ね返した。

 約束というワードに、何ら思い当たることがないのだ。

 錦馬は眉をひそめる。


「私を護ってくれるんでしょ?」

「ああ、なるほど」


 ようやく合点がいった。昼に私を護れって頼まれて、それを承諾した。

 しかし俺は、これまでと同じ類の命令だと思ってたんだけどな。約束って気心の知れた関係性に使う言葉だよな。

 言い間違いでないとすると、錦馬は随分と俺のことを心安く感じてくれているのか。

 信頼してるからよ、と顔を赤くして吐露した時の錦馬を頭に浮かんで失笑した。


「何かおかしい?」


 俺の笑いを見咎めて、不快そうに顔をしかめた。


「俺に信頼してるって言った時の、お前を思い出して」


 途端に錦馬の顔が真っ赤に染まった。恨みがましい目で俺を睨み上げる。


「忘れなさい、今すぐ忘れなさい!」

「俺は嬉しかったけどな。お前いつも仏頂面だから、少しは気を許してくれてるんだなって思ってさ」


 本心を述べて宥めかかると、急に叫ぶのをやめた。俺の正視を避けるようにそっぽを向く。


「嬉しいとか言わないで、人の恥じらう顔を前にして」

「すまん、確かにちょっと失礼だったかもな」

「ちょっとどころじゃないわよ、だいぶ失礼よ」


 錦馬が怒っているのか、照れ隠しをしているのか定かではない。それとも俺からの言葉を待っているようにも見える、感情の判然としない横顔だ。


「撮影開始します。出演者はスタンバイしてください」


 折しも遊具を隔たったところから撮影スタッフの声が聞こえてくる。


「撮影始まるってよ」

「わかってるわよ、あんたもマネージャーの人達のところ行きなさい」


 普段の調子でそう俺に言葉かけをすると、身を翻して端然と出演者の集まる方へ歩いていった。

 俺も行くとするか。

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