2-8

※注・この話にはヒロインが誰一人として登場しません。


 焼酎のボトルが二本と缶ビールが七缶とウイスキーのガラス瓶が三本、大量の酒が空けられた頃、飲みの悪い俺以外の四人はすでにアルコールで胃も心も満たされ、完全に出来上がっていた。

 酔ってタコのように頬の赤い加山さんが、ふらふらと立ち上がる。


「宴もたけなわだあ! そろそろいつものゲームをおっぱじめようぜ」

 と出し抜けに何かの開幕宣言をした。


「やりましょう!」

「よい頃合いかと」


 佐々木さん、米倉さんが寸分も置かずに呼応する。

 ゲームって何すか、とすぐさま質問しそうな滝島は、先輩三人組に後れを取らないよう酌み交わしているうちにダウンした。今は死人のような形で畳の上に仰臥している。

 心証を良くするため中年三人に付き合った彼には同情する。


「なあ、浅葱マネージャー」


 加山さんが腹に一物ありそうな、だが人の良い笑顔を向けてくる。

 滝島が脱落した現状では、標的にされるのは目に見えていた。


「ゲームに参加するよな?」

「え、ゲームって?」


 そんな常識も知らないのか、みたいな顔をされる。


「飲み会での定番ゲームと言ったら、あれしかないだろう?」

「なんです?」

「野球拳だ」


 野球拳って、じゃんけんで負けた方が一着ずつ脱衣していくゲームのことだろう。

 俺がよほど渋い顔になっていたのか、加山さんは目つきを鋭くする。

「飲み会に参加しておいて、野球拳には参加しないと言うのか?」


 拒否したら酔っている加山さんにぐちぐち言われる。それに佐々木さんと米倉さんも賛成となると、拒否する道はないと思っていい。分が悪すぎる。


「わかりました。やりますよ」


 もう自棄になって参加の意を示した。

 俺が参加を表明して、加山さんは途端に機嫌を良くする。


「ようし、これで参加者は四人だ」

「気合が入るな」

「前回の雪辱を晴らさせていただきます」


 酔いのせいか中年三人は大声を出して盛り上がっている。この三人のノリには、とてもじゃないがついていけない。


「さあ、全員立てい!」


 加山さんの疾呼を合図に佐々木さんと米倉さんも腰を上げた。かなり酔いが回っているのだろう、足元が不安定でふらふら揺れている。

 参加は不本意だが、俺も渋々立ち上がる。そもそも男同士の野球拳のどこが楽しいのか疑問だ。挙句に全裸になった男の陽物なんて見たくない。


 三人は同時に右腕を振り上げ、

「「「よよいのよいっ……」」」

 掛け声とともに握りこぶしを振り下ろした。

「「「じゃんけんぽん!」」」


 加山さんと佐々木さんはグー、米倉さんはチョキだ。俺はルールがわからないので、見咎められないうちは静観することにしよう。万一負けて服を脱ぐのも嫌だしな。というか俺がじゃんけんに参加してないのを三人の誰も気づいてない。


「いやあ、いきなり負けてしまった」


 米倉さんは負けたというのに上機嫌だ。座卓のグラス一つにハイボールを注いで一気に飲み干してから、紺色のスウェットに手をかける。


「よいしょ」


 グラビアアイドルのように裾を捲り上げて身体をくねりながら脱いだ。米倉さんは薄いタンクトップだけの姿になる。男がその脱ぎ方をするのは、気持ち悪くて見ていられない。

 脱いだ服を背後に放り捨てた矢先、ぐらりと彼がバランスを崩す。


「あれ――」


 驚きの声を漏らした時にはすでに遅く、手をつく余裕もなく横に倒れた。倒れた勢いが軽減しないまま、強烈に床に肩をぶつける。


「いたたた」


 肩を押さえて苦悶してのたうち回る。

 加山さんと佐々木さんは腕が中途半端な高さのまま目を瞠って、中年仲間が痛がるのをぽかんと見下ろしている。

 ガクンと米倉さんの身体から力が抜け、瞼を閉じて泥のように眠ってしまった。

撮影の疲れや飲酒による酔いが睡眠欲を増進させたのかな?


「米倉?」


 起き上がらない彼を不審に思ったのだろう、加山さんは横たわる米倉さんに心配そうに呼びかける。


「加山さん。まさか、これは……」


 喜色に溢れていた佐々木さんの相貌が恐怖に染まり、震えた声を出した。

 少し心配になって俺も米倉さんを見ると、倒れた直後の苦悶はどこへやら、表情を緩ませて静かな寝息を立てている。


 酩酊した加山さんと佐々木さんは、米倉さんの寝顔が視野に入っていないのか、彼の容態を判定できる状態でないらしく――


「「心筋梗塞!」」

 と傍目にも狼狽えて、よく聞く病名を口にする。


 どう考えても見当違いだろ。もしかすると中年男性の潜在意識には、常に急病への危惧があるのかもしれない。

 俺が中年の心理について考察していると、酔いのせいで正常な状態でない佐々木さんが矢庭に表情を引き締る。


「心肺蘇生を施すしかありません」


 何を血迷った事を。

 安眠している人間の心臓や肺臓を突然に圧迫なんてしたら、具体的にはわからないがエライことになるのではないか?


「心肺蘇生はやめた方が……」


 俺は思わず口に出した。が焦る二人には俺の制止の声も耳に入らなかったらしく、佐々木さんは米倉さんの横に屈み、呼吸を確認することなく胸に両掌を重ねたた。

 ラガーマン並みと思われる体重を乗せた圧力が、米倉さんの胸部にのしかかる。


「うっ」


 胸に強い圧力がかけられた米倉さんの口から、断末魔のような喘ぎが漏れる。


「死ぬな、米倉!」


 佐々木さんの傍らから、加山さんが無茶苦茶真剣に励ましている。


「う――――」


 米倉さんは瞼をひん剥き、口から胃液とアルコールの混じった吐物を、汚染された土壌から湧出した濁水のように吐き出した。吐物を唇から滴らせたまま苦しげに上体をよじって、胸部へ強い圧力をかけてくる手から逃れた。

 床に手をついて頭を垂れ、ぜえぜえと過呼吸気味に息を整え始める。


 今まで嗅いだことのない酸っぱい悪臭が、窒息で殺されかけた米倉さんの恨みを肩代わりするように鼻腔を襲ってきた。。

 俺は急いで鼻を手で覆った。段々と気持ち悪くなってきたよ。


 米倉が息を吹き返したと思い込み、歓喜で涙を流す加山さんと佐々木さん。

 そんな二人へ、呼吸を乱したままの米倉さんが振り向いた。

 眼鏡の下の瞳がこれ以上ない憤怒で爛々と発光している。


「貴様らは私を殺す気かああああ!」


 吐物の出す臭気で気分が悪くなってきた俺は、喉の奥に逆流してくる物を感じて、米倉さんの横を抜けて部屋を横切った。


「なんで怒ってんだ、米倉」

「俺達が何をしたって言うんだよ」


 米倉さんの憤怒を理解できず、判然としない声で抗議する中年二人。

 俺が廊下に出てトイレに走り出す直前、加山さんと佐々木さんの悲鳴が部屋から響いてきた。

 米倉さんの怒りの原因を中年二人に説明するべきなのだろうが、吐き気を催している今はそれどころではなかった。

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