推しのVが引退した。俺はまずイヤホンを置いた。
御都米ライハ
推しのVが引退した。俺はまずイヤホンを置いた。
「みんな、引退配信来てくれてありがとうっ。それじゃあ、いつものやつ、いくよ?せーのっ、おつウミナーーッ!」
冬の寒さが染み入る季節。Bluetoothのイヤホン越しに届く、嗚咽混じりの溌剌な声が俺の鼓膜を震わせた。
俺はすぐさまスマートフォンを操作して、コメント欄に『おつウミナーーーーッ!!』と打ち込む。最後の挨拶の時は、決まってコメント欄の流れが速い。打ち込んだ俺のメッセージは直ぐに数十単位のリスナーたちが叫ぶ『おつウミナー』の中に呑まれ、画面外へと流れていく。
推しのVが引退した。俺はまずイヤホンを置いた。左右分離型のBluetoothイヤホンはコロンと転がり、不格好な姿で動きを止める。
そんな無様なイヤホンの姿を無様と思う自分に嫌気が指して、重たく深く息を吐く。
しかし、Vtuberなる文化が一世を風靡しようとは一体何処の誰が予見できただろうか。Vtuberという概念の始まりは2016年で、俺の知る限りでは2017年の終わりかけの頃にオタク界隈で爆発的に広まったイメージがある。そして、Vtuber元年と呼ばれる2018年。今ではすっかり大手または中堅となった事務所がVtuber事務所として活動を始め、事務所に所属しない個人勢も多く誕生した。Vtuberの爆発的増加は2019年になっても留まることを知らず、世界的動画サイトにはVtuberがたった2年で溢れることとなる。
海浜ウミナがデビューしたのもそんな時期だった。2019年のVtuberブームに乗った1人として、彼女は大Vtuber時代とも言える嵐の海へと漕ぎ出したのだ。
星の数ほどいるVtuberだが、武器とするものは様々。ゲーム実況、トーク、イラスト、演技、はたまた特殊な知識や経歴を武器として活動する人がいる。そんな中、海浜ウミナが自らの武器としたのは歌だった。いわゆる、歌うま系Vtuber。以前Vtuber紹介サイトを覗いた時にはそういう風に大別されていたような気がする。
ただ俺個人の意見としては彼女は決して歌うま系Vtuberではなかった。上手くなんてなかったのだ。確かに上手い方ではあったのだろう。ただそれは、カラオケで高い得点が取れるクラスメイト程度の上手さでしかなかった。星の数ほどいるVtuber。彼女より歌が上手い人なんてごまんといる。だから既存曲のカバーを出しても、歌を歌う配信をしても、数字は伸びなかったのだろう。
正直に言う。引退配信を見届けた俺からしても、海浜ウミナというVtuberは凄くはなかったのだ。
そんなことを思いながら、ふとスマホに目を見やる。気づけば、配信だけではなくコメントすら止まってしまっていた。
俺は、すぐさまフリックして動かなくなった配信画面を閉じる。そうしてスマホの電源も落としてしまった。
彼女はもう今日中に全てのアーカイブを消してしまうらしい。スマホの電源を落としたのは、後ろ髪を引かれる思いを振り切ってアーカイブを見ないようにするため。引退した後のVtuberの配信を見返すのは、なんだか墓荒しをしているようで嫌だった。
これまで多くのVtuberの引退を見送ってきた。そのたびに背中を押すような気持ちで引退配信を見てきた。でも、今日の配信だけは初めて「行かないで」と心の底から願いながら見た引退配信だった。
海浜ウミナだけが俺の唯一だったのだ。
海浜ウミナはVtuberとして凄くはなかった。だが、其処まで惹かれてしまったのは――去ろうとする肩に手を置いて繋ぎ止めようと思ってしまったのは、彼女がひたむきだったから。様々な才能が集い、多くの人が志と情熱のままに自己実現するVtuber界隈。凄い人たちに溢れた界隈で凄くない彼女は凄くないなりに喉を震わせ、中途半端に上手な歌を歌い続けていた。決して腐ることも、自分自身を曲げることもしないで、ただひらすらに。そんな彼女の姿に俺は、そして引退配信に参上した数十人ものリスナーは胸をうたれ、彼女のファンになったのだと思う。
優れたものだけが心を動かすのではない。優れていないからこそ、誰かの心を動かすことだってきっとある。
例えば、ひたむきに頑張る彼女の姿を見て、勉強に疲れた受験生が元気づけられたかもしれない。
例えば、ひたむきに努力する彼女の姿を見て、心折れた夢追い人が再び立ち上がったかもしれない。
眩い完全を見上げるよりも、寄り添うような不完全が成し得た何かの存在を俺は密かに確信しているのだ。
だからVtuberの価値は、チャンネル登録者数とか再生回数とか、そんな数字で表せるものではないのだと思う。Vtuberは端末一つで繋がれる電波越しの隣人だ。ラノベやアニメ、映画のような静的なコンテンツとは異なり、Vtuberは日常的に更新される極めて動的なコンテンツ。どれほどの時間をリスナーと共有できるかに価値がある。勿論、数字も大事だろう。特に企業に所属しているものであったり、Vを生業にしているものにとっては無視できない価値基準だ。でも、それでもVtuberの本質的な価値は数字ではなく、リスナーとの関係性にあるのだと俺は信じている。
そして、そんな価値観を持つ俺だからこそ彼女の引退は胸に重たく響いた。彼女の引退は、いわば生活の欠落だ。日々の習慣の1つとなっていた海浜ウミナがいなくなるのは、学校や職場が変わってしまうことと同じくらいの生活の変化を生む。戸惑いは隠せない。
明日から何を楽しみに生きていけば良いのか。気持ちはさながら迷子の子供のようだった。
でも、まぁ、だけど。きっと3日くらいはロスで気持ちが沈んで、5日目くらいからはまた新しい日常を作り始めて、1週間くらい経てば何食わぬ顔で新たな日常に慣れてしまうに違いない。
そうして忘れていくのだ。海浜ウミナという推しVtuberの存在を。
いつだったか。人に関する記憶で最初に忘れるのは「声」だと聞いた。おそらく彼女の声も俺は直に忘れてしまうのだろう。あんなに推していたのに、引退配信は唯一いなくならないでと思っていたのに。それでもきっと、最後にはすっかり忘れて、時々ふと思い出す程度の存在になっていくのだ。
所詮、リスナーとVtuberは回線と端末を通じて繋がってるだけの関係性。それも繋がっているのは、たかだか1時間だか2時間程度の1日でも短い期間でしかない。いなくなってしまえば、それこそそれまでだ。日常的なものだからこそ、日常から消えてしまえば早くいなくなってしまう。小学生のころの習慣を覚えていないのと一緒だ。特別ではない日常は簡単に記憶の中から消えていく。
嫌だなと素直に思う。でも、そう思ったって仕方がない。俺の日常となった彼女はもう今日でこの世から消えてしまう。俺にできることなど何もないのだ。
だから重たい気持ちを振り切るように立ち上がり、電源を入れなおしてスマホをポケットにしまう。
もう何もかもを考えないように、酒でも呷って眠ってしまおう。酔いつぶれてしまえば、悲しみも後ろ髪を引かれるような思いも感じなくて済むのだから。
マンションの一室の扉を開ける。飛び込んできたのは冷たい冬の空気。聞こえてきたのは閑静な住宅街に響く酔っぱらないの戯言と自動車が通り過ぎる音。
あまりにもいつも通りな光景に、世界が少し憎らしかった。
■■■
人の群れに紛れながら、電車を降りる。注意のアナウンスと同時に両開きのドアが閉まり、「ぷしゅー」という間抜けな鳴き声を上げて快速電車が去っていく。
時刻は夕刻。闇が混じった橙が世界に降りる頃。だから帰宅する会社員や学生で駅はごった返していた。人をかき分けながら急ぎ足で進むサラリーマン、一目を憚らず大きな声で笑う女子高生二人組、人が大いにも関わらず走り回るランドセルを背負った小学生。他にも、他にも、他にも。様々な人間が構内に闊歩している。
そんなむせ返るような雑踏の中、俺は左右分離型のBluetoothイヤホンを耳に嵌め、人の流れに身を任せていた。いつもの通りに。イヤホンから流す音楽は大手Vtuber事務所がプロデュースするユニットの歌。激しい曲調がカッコいい、聞いてて熱くなる曲だ。
だから、なのだろう。海浜ウミナが引退して、既に一週間が経っていた。引退配信直後に思った通り、俺は既に彼女のいない日常に慣れ切っている。
薄情だな、と自分でもそう思う。そして、そうした自己嫌悪ですら受け入れられてしまう辺り、俺にとって海浜ウミナというVtuberは過去の人になってしまったようだった。
生活が変わったのが良い証拠。海浜ウミナが居なくなった穴は既に他のVtuberに埋められ、空白感は既にない。
人間とは環境に適応する生き物だ。だから、環境にそぐわない物を忘れ、そして生きていくのだろう。それが、かつてどれほど大切であったものだったとしても。
諸行無常と言う言葉が頭に浮かぶ。特別なんてない。時間というのは等しく全てを風化させる暴力だ。
そんなことを考えながら、人混みの波に揉まれ、俺は駅の改札口を出る。いつもと変わらないルーティーン、いつもと変わらない日常。彼女が消えても、何も変わっちゃいない、何も変わらないのだ。
思い出すように、あるいは傷口を抉り出すように彼女の存在を日常に掘り起こす方法はある。例えば、次の活動場所――V界隈で言うところの転生先を探すとか。だが、そんなことはしたくないと思った。彼女はいなくなったのだ。自分の手で、自分自身を殺すように。だったら彼女の後を追うのは墓荒しをするようで気が引ける。彼女の思いを蔑ろにしてしまうよりは、忘れてしまうほうが良いと俺は思う。
Vtuberとリスナーの関係性。それはあまりにも希薄だ。画面一枚隔てた先で、コミュニケーションは一方的。相互理解なぞあり得ず、俺達はお互いにお互いの認識を見ているに過ぎない。Vtuberはリスナーに嘘を織り交ぜた自分を見せるが、リスナーだってVtuberに自分自身の全てを見せているわけじゃあない。つまり、お互いがお互いの虚像を見て、勝手に幻想を抱いているだけ。真実なのは声くらいか。だからVtuberはあまりにも呆気なく、俺達の前から消えてしまう。
V界隈でよく声高に叫ばれる格言がある。「推しは推せるときに推せ」。至言だ。機を逸するな、と我々に教えているのだ。Vtuberの儚さを突いた見事な言葉に脱帽するしかない。
俺は彼女を後悔がないように推せていただろうか。自問自答し、結局導き出した答えは「わからない」だ。だから、きっと俺は機を逸したのだろう。Vtuberは何処までも日常的なもの。俺は彼女の存在を当たり前だと思って、そして流してしまっていた。自分が明日も生きているのだと無邪気に信じ込んでいるように。何の確証もないにも関わらず。
はぁ、と自分の至らなさに一つ溜息。それは白い息となって、世界に混じった。頬に突き刺さる冷たい外気に、俺はいつの間にか駅のコンコースに出たのだと気づく。考えごとをしていたら、外に出てしまっていたようだった。
ほぅ、と、もう一度だけ宙に白い息を溶かす。あまりにも消えてしまう白い息。其処に彼女を重ね合わせる。たった一週間で俺の日常から消え去ってしまった彼女もまた、冬の白い息のように何も残さず消えてしまったのだろうか?
嫌な考えだ。それを振り払うように俺は頭を振る。コンコースですれ違う人はやはり様々で、いつもと変わらない顔ぶれだ。疲れた顔をした社会人、無駄に速度を上げて走り去る男子高校生、ベンチでつまらなそうにスマホを見る女子大生など。多くの人が同じ空間を共有している。
そんな空間を横切る中で、ふとBluetoothイヤホンを貫通する楽器の音が消えた。何の気なしにその音源へと目を見やる。
ジャカジャカとかき鳴らされるのは然程上手くはないギター。道の隅で、1人の男が音楽をかき鳴らしている。ストリートミュージシャン、というべきなのだろうか。ギターを持ち運ぶための入れ物をおひねり入れにする、お手本のようなストリートミュージシャンが其処にいた。
そんな彼を見て、ふと思う。
多くの人を惹きつけた、ひたむきな彼女は今なお何処かで歌っているのだろうか。歌うことにひたむきだった彼女は、活動場所を変えて喉を震わせているのだろうか。
問うたところで答えが出るわけではない。俺が知っているのは「海浜ウミナ」というVtuberであって、中の人ではないのだから。中の人が今、何を思って、何をしているのかなんて知る由もない。Vtuberとして引退してしまえば、それまでだ。
Vtuberとリスナーの関係性なんて所詮はそんなもの。当然だ。最も忘れやすい声しか繋がりがないのだから。此の世で最も希薄で、脆い関係性に近い。ただ、だとしても、だとしても、だ。
多くが失われるかもしれない。ただそれでも残るものだって、きっとあるはずなのだから。
ストリートミュージシャンから目を離し、俺は再び歩きだす。
左右分離型のBluetoothイヤホンを外して。
世界の暴力的な音が波のように押し寄せてくる。それに身震いしながら、俺はイヤホンをケースにしまう。
そうして俺は世界を行くのだ。
海浜ウミナだった誰かの、中途半端に上手い歌声が同じ空の下で響いていると信じて。
帰宅ラッシュの喧騒に紛れ、駅前のストリートミュージシャンの荒削りの歌声が聞こえてくる。
「miss you、miss you」と繰り返される洋楽のフレーズを背中で受けて、俺は帰宅を急ぐのだった。
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