第20話
わたしが高校三年、まほろが二年のゴールデンウィーク、わたしたちは取材旅行と称して日帰り旅行を敢行した。新作の背景資料を収集するためだった。
まほろと仕上げた第一作は、結局投稿までには至らなかった。ほとんどの背景がネットで拾った写真を参考にして描いたものだったからだ。
個人で描いて楽しむものだったら問題ないが、それを何らかのかたちで発表するというと話は別だ。だけど、まほろの練習にはなったから、完成させたのは無駄ではなかった。
次の作品は投稿したい、と改めてふたりで話しあった。そのためにも、背景の資料を自分たちで用意しなければならなかったのだ。
新学期を迎えても放課後の美術室はふたりきりだった。わたしとまほろは顔をつきあわせて話しあった。
いや、話しあいは進んでいなかった。今までは描きたいストーリーが次々湧いてきたのに、読者の存在を意識した途端、何も出てこなくなってしまったのだ。
お茶を飲むばかりで、言葉はもう十分も交わされていない。そんなとき、まほろが思いついた顔で「あ」と口を開けた。アイデアのとっかかりが掴めたのかと、一応構えたままでいたシャーペンを握り直した。
「先輩、あたし沖縄行ってみたいです」
「いきなり何? 今は新しいストーリーの話してるんだけど」
「だからー、取材旅行で沖縄に行きたいから、舞台を沖縄にしましょう」
「沖縄に行くほど資金があるの?」
「あたしはないです」
「わたしだってない」
まほろは真面目なのかふざけているのか、へらへらと笑っている。わたしもつられてふっと息を吐き出していた。下層がスカスカになったジェンガが崩れてしまったような、不思議な安堵感があった。
「でも、ストーリーが思い浮かばないなら、こうやって別な方向から考えてみるのも手じゃないですか? 舞台とか、キャラクターとか、好きなトーンの模様とか」
たしかに、そういう考え方はしたことがなかった。沖縄は極端だけど、はじめに背景を原稿用紙に思い浮かべてみるのもおもしろいかもしれない。
「じゃあ、次に行きたいのは……京都!」
「秋に修学旅行で行くでしょ」
「あたしの学年は九州なんです。あと行きたいのは……北海道?」
「海渡るのはお金かかるよなぁ」
「先輩も完全に旅行気分ですね」
「最初に言い出したのはまほろでしょ」
だけど、旅行気分なのは否定できなかった。
まほろとは学校周辺か、駅前に買いものに行く程度しか出かけたことがなかった。遠出するからには、飛行機まではいかなくとも、新幹線か電車に乗ることになるだろう。
友だちと鉄道で旅行するなど、去年までのわたしなら絵空事といって過言ではなかった。
まほろは相変わらず、有名観光地を列挙しては名物や名所などをひとりでしゃべっている。
まほろがこんなにわかりやすくはしゃぐ姿ははじめてだった。
「先輩は? どこか行きたいところないんですか? このままじゃ、金閣寺か、東京ドームになっちゃいますよ。東京ドーム一個分の東京ドーム、先輩も見たくないですか」
「何それ。わたしは……スカイツリーがいいな」
「スカイツリー? そういえば、あたしもまだ行ったことがないです。先輩、高いところ好きなんですか?」
「頑丈な高いところなら……でも、展望台からの景色じゃなくて、下から見上げたところを描きたい……スケッチしてみたい」
まほろはその旅程を思い浮かべているのか、ぼんやりと視線をななめ上に投げかけている。
「スケッチかぁ……東京で……さすが先輩ですね」
「あ、やっぱ迷惑だよね。スケッチはいいや。旅の目的は背景資料を集めることだし。写真撮れば十分だよね」
「え、でも先輩、スケッチ……したいんですよね」
わたしは人混みの中で地面に座りこみ、スケッチブックを開いているところを想像する。行き交う日本人や外国人が、ちらちらとこっちを見てくる。通行の妨げにもなっている。
結局スケッチブックに一本も線を描くことができず、写真を数枚撮って退散する自分が見えた。
「無理だ。そんなこと、学校の真ん前でもできない」
まほろはしばらく無言でケータイを操作していた。わたしは頬づえをつき、スカイツリーが背景の漫画ってどんなストーリーだろうと考えを巡らせていた。都会暮らしの実態を知らない自分の手に負えるものではないなと思った。
「先輩、ありました! 東京ドームと、スカイツリーと、国会議事堂と……金閣寺までいっしょに見られちゃうところ!」
まほろがケータイの画面をわたしの方に向けて突きつける。わたしは画面が近すぎるので少しのけ反り、表示されたページに焦点を定める。
「東武ワールドスクウェア……何? どこ?」
「栃木です。温泉地にある観光施設。小さいころに行ったことがあったのを思い出したんです。世界中の名所が、ミニチュアで再現されているんですよ」
栃木県ならおとなりだ。交通費はかなり安くつく……と、また旅行気分なのに気づいて心の中で笑ってしまう。
「あたしが行ったのは小学校低学年だったから、ミニチュアといっても普通に大きく見えて、そのあと二年くらいは、あそこにあったのが本物だと信じて疑わなかったくらいにリアルだったんです」
「タージ・マハル、サグラダファミリア、ピラミッド……一生かかっても絶対生では見られないやつだ」
施設マップを見ると、現代日本の景色から世界各国の世界遺産まで、時代も国も満遍なくミニチュア化されているらしい。
ミニチュアは本物と見紛う完成度なのだが、エッフェル塔の背景に純日本な山が聳えているという、違和感のある写真が掲載されている。
「東武ワールドスクウェアでスカイツリーをスケッチして、温泉街の写真を撮って歩きましょう。日光は湯葉とか、雪みたいなかき氷とかが有名なんですよ」
「温泉街を舞台にしたお話……おもしろそうかも。あ、せっかくだから温泉にも入りたいなぁ。泊まらなくても、日帰りで温泉入れるところあるよね」
椅子にもたれかかりながら、何気なく言っただけなのに、まほろは「えっ」と大きな声を上げた。見ると、まほろは午後四時すぎの太陽に照らされているわりには赤すぎる顔をしている。
「あ、ごめん。温泉苦手だった?」
「いっ、いえっ。別にそういう訳じゃないんですけど……でも、たぶんゴールデンウィーク中で混雑するだろうから、期間中は宿泊客のみってこともあるんじゃないなかぁと思って」
まほろは早口で言うと、顔を手であおぎながらケータイに向き直った。少し釈然としない気もしたが、どうしても温泉に入りたいわけでもないので、うなずいてその話を終わらせた。
「あたし、電車の時刻表調べてみますね。新幹線と鈍行、どっちにします?」
「わたしは朝早いの平気だから、鈍行の始発でも行けるけど……まほろは?」
「あたしも平気です。いざというときは電車で寝られます」
まほろは器用にケータイを操り、電車の乗換を検索した。六時十五分の始発に乗れば、九時半頃に日光駅に着くらしい。乗換は三回。
帰りも六時くらいの列車に乗れば、九時台には帰ってこられる。九時間もあれば、十分満喫できるだろう。
「来週は栃木で世界一周旅行ですね」
まほろはケータイを胸に当て、楽しそうに笑った。舞台が温泉地と決まったおかげで、ストーリーやキャラクターの構築もはかどりそうだ。
わたしはさっそく、思い浮かんだキャラクターをスケッチブックに描きはじめた。まほろは鉛筆の音を楽しむように、淡いえくぼを作っていた。
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