旅のヒト

 私は旅の途中、童話の聞こえる階段を登っていた。日の光はやけに白く、白磁の焼物のようだ。

「〝終わり〟を見ておいた方がいいよ」

 昨日泊まった宿でそんな話を聞いた。童話の聞こえる階段とその崖の下に作られた終わり。終わり、というのは、崖の下にあるものを指すようだ。

「人それぞれの形が見えるんだ、面白いぜ」

 それが、この階段を登り、童話の森を抜けて断崖沿いに少し歩いた所にあると聞いたから、私は階段を上っていたのだったが、ふと。

「見る前にはお参りをした方がいいよ」

 終わりに向かう前に一つだけやらねばならないことがあったのだ。

 すぐにお参りを済ませておかねば。

 確か、此処まで来る途中の孤島に神社があったか。私は階段を上っていた途中だったが、そんなことを思い引き返すのだった。


「おや、神社に行く前に見て行ってよ」

 神社に向かう途中で詩篇を拾う女に会った。

 磯拾いをしているので、何を拾っているかを問うと「詩篇」と彼女は答えた。

 言葉や音の連なりを拾う。不思議に思い聞いてみれば、それは海岸に流れ着くという。彼女はそれを鳴らして売るのが仕事と言った。

 詩篇は様々な形で流れ着く。瓶詰めの紙片や、海月は数多く、貝殻では意味を成す物は希少だ。

 そうした漂流物が多いのがこの海岸だった。それくらいはパンフレットに書かれていたし、私の地元でも詩篇は流れつくのだ。

「稀に音だけで届くこともあるのよ」

 彼女はそれを歌ってみせようとしたが、売ってしまった為に出来なかった。

 本当に貴重な詩篇は音でしか存在していない。だから、すぐに売れてしまうの。

 残念な事に、今はなかった。

 「お兄さんも探して見たら?」

 別れ際にそう言われ、そのまま海岸を探したが詩篇を見つけられなかった。漂流物はプラスチックの破片と、漂うペットボトルの蓋だけだった。

 青い海が白い空と溶けようとしている。

 恐らくそれは、イリス虹彩の中に確かにあったのだ。


 詩篇を鳴らして売れるのは限られた人達だ。気安く探せるものでもない。

 記念に買った瓶詰めの詩篇は丁寧に鞄に仕舞う。

 今は読むことが出来ない。終わりに着いたら読もうか。

 私は、海岸から見える小島に神社の鳥居があるのを見つける。


 神社は陸続きの孤島の中に建てられている。思えば昨日泊まった宿の主に、一度行ってみると良いと勧められた。どうして私は色々なことを忘れてしまうのだろうか。

 そこに来るまで分からない。旅をしているとそう思うが、聞いたことくらいは覚えていて欲しい。

 神社のある孤島は引き潮の時だけ、道が現れる。誰かが作った訳でもなく、人が歩けるようになった岩の連なり。

 岩で形作られた道は、ぬるぬるとしていて滑りやすい。陽で乾いていなければ渡れないそうだ。

 丁度今は乾いている。私は陽に当てられて渇いている。水を持って来ればよかった。そんなことを思いつつ岩を渡る。

 この孤島はただ神社があるだけだが、釣り人達は必ずお参りをして釣りに出る。帰ってくるとそこで釣った魚を供え、食べる。

 釣り人に会えれば魚が食べられるかも知れない。

 そう言った宿の主は恰幅が良かった。

 さっと最後の岩を渡り、目の前に立つ四メートルほどの大きな鳥居を見上げる。

 大きいからか手入れはあまりされておらず、苔や風化の後が広範囲に見られた。端の方に錆でボロボロになった看板があり「――神社」と名前が読めない。

 それはそうと、私が一礼して、孤島の入り口に据えられた鳥居を潜ると、途端に息苦しさを感じた。渇いたままにしておいたからだろうか。

「――んんッ……!」

 窒息死しそうだ。本当に息苦しい。

 この島のせいだろうか、何とか進もうともがく。戻ることは頭に無い。

 お参りを済ませようと鳥居をくぐったんだ。何があっても神社までは行かなければ。決めたことをやらないと後悔する。

 孤島の神社は全てが石で出来ていた。石畳とその先にある石の門。何故進んだ。もがく、藻掻く。

 息苦しい理由を尋ねようにも他に人はなく、戻る術も既になく、私は神社で倒れた。


   ・・・

 気が付けば旅の狐娘に介抱されていた。不安げな顔と狐耳が目の前にあった。

「詩篇を買っただろう。ここのモノはそれが嫌いだ」

 彼女は私が目を開けると、ゆっくりと起き上がらせて手に持った詩篇を遠くに投げる。詩篇は独りでに燃えて消えた。

「燃やしてしまったから、後は勝手にすればいい」

 そういって狐娘はスッと立ち上がり、ひらひらとその場を離れて行ってしまった。

 慌てて彼女に名前を問うたが、空しく虚に響いただけだ。

 私は、これ以上境内に踏み込もうとする意思はもうない。詩篇が原因とはいえ拒絶されたように思えた。

 ゆっくりと立ち上がる。どうにか歩けそうだ。境内を見渡す余裕は無く、ただただ鳥居の先を目指す。

 鳥居越しに深く頭を下げ、その場を後にした。終わりを見に行こう。


 先ほどの詩篇売りがいた海岸まで戻ると、彼女は消えていた。海辺には詩篇がポツポツと流れ着いている。

 小瓶の中に混ざって海月や二枚貝、濡れてぐずぐずになった冊子、誰かの衣装などに見える。これら全てが詩篇だった。

 中身が気になって小瓶の一つを丁寧に取り上げる。

 蓋は無く、取り出すには割るしかない。

 瓶同士が擦れ合い、音を出しては離れる。中には割れてしまうものもある。

 私は手近の岩場に落ちていた石片でガラス製の瓶を割った。ガラス瓶の中は透明な液体で満たされていた。

 垂れ落ちたものは色を変えて透明な青を示し、詩篇は外気に晒されたせいかそのまま蒸発して消えた。

 詩篇売りから買ったものは快晴の紙製で、消えることはなかった。

 しかし、詩篇をどうにか見てみたいと思い、二つ目の瓶を手に取る。

 今度は透かしてみてもその中に液体が入ってる様子はない。石を掴み、円柱形の瓶の底を叩く。

 ごん。と鈍い音がして、硝子製にみえた瓶は割れなかった。

 他の場所を叩いてみても、叩きつけてみても、傷一つ付かずどうしようもなかった。


 もう見ることは出来ない。


 海岸に打ち上げられる詩篇は無数にあれど、それを見ることは出来ないと悟る。

 諦めて踵を返した時、ごく稀に届くと言われた音の詩篇が聴こえた。

 ちょっとした狐娘の気まぐれだろう。

 それは言語化出来ない唄に近いもので、広く広く自身の中で膨らむ多幸感を呼び起こす。数限りない愛を謳い、世界を許すものだ。

 しかし私は聞き惚れているわけにはいかない。終わりに向かう為にここに来た。

 童話の森から、絶壁にある黄昏の籠に乗って、壁の下にあるものが“終わり”だ。

 黄昏のかごは小さな小屋の中に作られており、野猿のように手動で昇降する。先導主がいなければ小屋は閉まり、ここまで来た意味がなくなってしまう。

 もう日が傾き始めている。そろそろ行かねば、先導主も帰ってしまうだろう。

 私が旅に出る前に、かつて終わりの先導主を務めた人からこんな話を聞いた。

 黄昏の籠に乗っていると身投げをしたくなるそうだ。潮が渦巻く急流の中へ身を投じれば終わりすら見られずに消える。

 死にたいと思っていないような人でも、衝動的に動いてしまう。

 彼らは身投げをする前に、一様に『ひどく悲しい。音が唸りをあげる』と言う。

 彼等は全員泣いていた。彼等は全員愛おしそうに渦を眺めて飛んだ。

 記念に買った詩篇を持っていたかもしれないし、お参りを済ませていたかもしれない。身投げをした彼らは夕方に多かった。

 彼らの死体は今でも上がっていない。渦の勢いが強く、引き上げることが出来ない。

 数年前に亡くなった彼は遠くを見つめてそう話した。

 私もそうならなければ良いが。不思議とそうはならない気はしていた。

 先ほどの階段を登り、童話の森に入る。ここでは数編の童話を聞くことが出来る。

――そう聞いていたのだが、装置はどれも壊れていた。感応装置も、ボタンも反応を返すことはなかった。

 それでは始め聞こえていたものは一体誰が話していた? 音の詩篇だったのか。

 遊歩道になっている森の中は、童話と関係する人物や歌について描かれた石碑や像が設置されていた。

 そのほとんどが風化して元の形状を保っておらず、私は立ち止まり何であったかを考える。

 所々の読める文字は意味を成しておらず、像を眺めていても、ブロンズの溶けた様がこれまでの長い年月を示しているだけだった。

 誰かの名前と、子供や動物だったであろう像、何かの教訓めいた話。きっとそんなところだ。

 一度そう考えると、童話の森への興味は失せた。遊歩道をせっせと歩くと森は数分で抜けられた。

 ひらけた断崖が目の前に現れた。左手が海で、遊歩道が真っ直ぐ続いている。

 その先を少し行ったところが突き出ていて、野猿が設置されている小屋が経っているのが見える。

 あそこにあるのが、黄昏の籠。

 終わりに向かう、唯一の道。

 真っ直ぐとはいえ、凸凹した地面に、断崖側は柵も何も付いていない。ただ、荒々しい海のぶつかる様を見ていたくて崖の方へ寄った。

 断崖と打ち付けられる波の音、何処からか笛の様な音が聞こえる。

 少し覗いて見れば、断崖に出来た幾つもの洞窟に風が通り、鳴っている。やや湾曲した断崖は、渦を巻いていた。

 そんな調子で小屋へ向けて歩くと、何者かが扉の前に立っているのを認める。遠目で見ても、目立つ耳だ。

 助けられた時からなんとなく予感はあった。

 旅の狐娘である。

 小屋に近付くにつれて、彼女がこちらをジッとみているのが分かる。

 逆光に目を細め、こちらに来るのを待っているのだ。

 私は少し立ち止まって、断崖を見る。

 急いでいたが、すぐに行ってしまうのもつまらない。

 海の中に突き出た岩場には釣り人が居た。彼等は魚の住む水場とあればどこでも行く。

 対話が好きなんだ、と知り合いの釣り好き老爺は言っていた。


 彼等はほとんど動かない。海と魚に竿で話しかけているのだから。

 釣って食べ、時に逃がし、自然はこの様に出来ている。その流れを無理に塞き止めることはない。

 一心に釣りをする人を見ていると、色々な事を思う。

 狐娘は数歩歩いて、また元の位置に戻る、を繰り返していた。

 釣り人は朝早くから晩の遅くまでいる。対話を楽しむのは人間の良さだ。

 時に波が彼等を打ち、びしょ濡れになっても。釣れずに一日中糸を垂らすだけでも。彼等は満ち足りている。

 これから終わりに向かう僕は、満ち足りた気持ちになるだろうか?

 私が釣り人を見るのを止めると、ようやく歩き出したとばかりに、狐娘は腕組みをして小屋にもたれる。

「待ち草臥くたびれた。ここからはわたしも一緒だ」

 狐娘の行動に理由をつけるのは難しい。彼女はいつも唐突だから。

 扉を開けて、先に入る。これを野猿といっても良いのだろうか。野猿はロープを手繰り寄せて前後に進む。その様子が猿にも似ているから野猿と呼ばれる。

 これは単に昇降機のようにも思えるが、細かいことだ。奥は断崖に開けていて、ロープが左方に伸びている。

「乗るならサッサとしな」

 小屋の受付に座る老婆が言う。

「行こう」

 と、狐娘はさっさと籠に乗り込む。老婆は顎で私にも乗るように示し、狐娘は籠の中から顔を出して待っている。耳と尾は時折動く。

 この乗り物に少し不安を抱いたが、乗るしかなさそうだ。

「あんた達、今日の“終わり”はあんまり機嫌が良くないから、気をつけな」

 私が乗る前に老婆はそう呼びかけた。

「揺れっから掴まっとけよ」

 籠の中では白い短髪の先導主がロープを握っている。

 いつでも準備万端といった様子だ。

 私は狐娘と隣り合って座る。この小さい籠は二人乗りだ。特に落下防止措置はなく、身を投げようと思えば容易だ。

 左方に伸びているかに見えたロープは単に滑車に繋がっている。手前を引けば降り、奥を引けば昇る。

 非常にゆっくりとした速度だった。

「後な、下。滑りやすいから海に落ちないようにしろよ」

 体重をかけてロープを引く。その度に掛け声を発して。

「音が聞えたりはしないか?」

 横に座った狐娘はこちらを見てそういうと、安堵した様子で頷いた。

 私は悲しくない。音が唸る感じも無かった。

 彼女は返事をせずとも納得し、私はただ籠の揺れるままに任せた。

「ここにゃ本当に人が来ねぇんだ」

 先導主が言うには一週間に一人か二人。老婆と二人で毎日ここにいると、人が来るのがとても珍しく思えるのだそうだ。

「でもな、狐の嬢ちゃんが来るのは初めてだ」

「わたし達は大抵ヒトのフリをしている。分らないのも無理はない」

 生憎私は尻尾と耳を隠すつもりはないが。彼女にとっては誇りでもあるようだ。

「また難儀なことをしよる」


 そんなことを話していると、籠は緩やかに静止する。外壁を見た時には結構な高さがあると思っていたが、降りてみるとそうでもない。

「着いたよ。今日はもう最後だから、ゆっくりしていくといい」

 先導主はふうふうと息を切らせながら煙管を取り出して、煙草に火を点けた。

 私と狐娘は籠から降りる。

 籠は地面から数十センチ浮いていた。私が先に飛び下りた所、潮で湿気ていた床で滑りそうになった。

 籠の周りは草木で編まれたマットが敷かれている。

 私は彼女が転ばないよう、近くで腕を伸ばし把持出来るように待った。

「……。」

 狐娘は何も言わず少しの試案の後、飛び降りる。

 飛び降りるといっても、籠から足を出してただ立つだけで済んだのだが、彼女は足を滑らせた。

 転ばないように背中を支えてやると、恥ずかしそうに言った。

「有難う」

 良いんだ。当たりを見渡すと、歩きやすいように岩場が削られて道が出来ている。その脇には苔が生えた石碑が立っていた。

 石碑には文字が書かれているが、判読出来ない。

「此処に辿り着いた人々を祝福する。或いは詩篇の音を聴く者に生を。母上が過去に描かれた物だ。終わりとは何か?」

 私は少し考え、到達することだ。そう答える。

 狐娘は首を振った。

「詩篇を描いたのだろう。読んだのだろう。あの先に何が見える?」

 道の先には終わりが見えた。

 確かに、到達する。といった概念的な話でなかった。

 それは球形で、箱状で、人型をし、無形の詩篇で、色とりどりのガラス細工から見えた光の乱反射であり、一言で表すならば《台座》だった。

 潮が満ちているからか道は途中で海の中に迷い、目の前まで行くことは叶わなかった。

 礎。それが終わりだ。

 彼女は死を考えているのか。私は“終わり”を見て、何がしたかったのだろう。特に理由は無かった。

「それは違う。母上が創られたものを一目見ておきたかった」

 無形の詩篇が鳴らす音を聴く者に生を。それはこの世界に言えることだ。

 終わりの台座に着く事。それを形にしたものが、目の前にあった。

 夕焼けが《台座》と私達を照らす。

 ちょうど《台座》の上に夕日が来ると、太陽は蒸発して消えた。

 波も、風も、自らの呼吸、鼓動、何もかもが音を失い、現実感が無いままに、自然と《台座》に足が向いた。

「○○○、○○。」

 私か彼女かが何かを口にしたが、声は無い。

 今や海に沈んでいた道が現れ、終わりに近づくことが出来る。

 消え去ったのは感覚。《台座》に近づいても、それはただそこにあるだけだ。

 赤銅色をした石は海に曝されても侵食されず、藻や藤壺はついていない。

 側面にはデフォルメされた狐が彫られていた。

 旅の狐娘はそれに触れ、蒸発して消えた筈の太陽をその手で引っ張り出して抱えた。

 それは光る金魚鉢だ。

 彼女がそれを手に抱えた瞬間、私達は《台座》に近づいてすらいなかった。

 瞬きをする一時で潮は満ちていて、道は海に隠れたまま変っていない。その場から動いてもいない。

 ただ、光を湛えた金魚鉢だけが狐娘の腕の中にあった。

「詩篇は斯様な形で終わりから現れる。これは私の」

 戻ろうか。自然とそういう気持ちだった。

「うん」

 彼女は溢さないよう、静かに歩き籠まで戻る。私もそれに続いた。

「不思議なこともあるもんだ。この金魚、白く光ってやがる」

 中で煙草をふかして待っていた先導主は金魚鉢を受け取り、まじまじと見ていた。鉢ではなく、金魚が光っている。

「こっから町までは遠い、きっと上の婆さんが車を呼んでらあ」

 電話はあるのに、町には人力車しかない。

 理由を尋ねると、こんな答えが返ってくる。

「健康の為だよ。はっ!」

 町の人間でない老婆と先導主はトライクで来ているそうだ。

「流石に遠いからな」

 狐娘は金魚鉢を大事に抱えて黙っていた。

 金魚はゆらゆらと鉢の中を漂い、時折水面で餌を求めていた。

「彼は詩篇しか食べない」

 狐娘は全てを承知していた。

「そりゃ面倒だ。流れ着く海辺はそんなに多くないぜ?」

 伝え聞く限りでも現在地を含め五ヶ所。

 そのどれもがここからは遠い。

「ここに置いて貰えないだろうか」

 彼女は言う。

「仕方無え、婆さんに頼んでみよう」

 俺は生き物の世話はてんでダメだ。それに、婆さんは詩篇を見つけるのが得意だ。

 丁度話が終わる頃に小屋に着く。

「おい婆さん、狐の嬢ちゃんがこの金魚鉢置いて欲しいってよ」

「イヤだね。詩篇を喰う金魚だなんて」

 そう言いつつ、机のスペースを空けた。

「置いとけ置いとけ、どうせ本心じゃ言ってねぇ」

 口振りは否定していても、態度では是としている。

「時々は様子を見に来なね」

 狐娘から金魚鉢を受け取った老婆はそう言って、小さな詩篇を水の中に落とした。

 金魚はそれを啄ばみ、更に小さな欠片にして食べている。

「もう車は来てるからね」

「有難う。また来る」

 二人は御礼を言い、小屋の外に出る。

「町に行くのは一人でいいかい?」

 人力車の青年は元気よく挨拶をして言った。旅の狐娘は乗らない。それは誰もが知っている。

「また、何処かで」

 彼女は編笠を被り、スタスタと歩いて行ってしまった。

 私は人力車に乗った。

「今は電駆の時代だと思うんすよね、車はこれが最後の一台でさ」

 ゆっくりでいいと告げると、青年は気さくに話しかけてくる。

「と言っても、あっこに行く人は殆どいないや。車も持ち回りでね、いつもは埃被ってっから」

 歩いて行った私は更に珍しいらしい。

 町まではどのくらいか、尋ねてみる。

「一時間は掛からない。お客さん、宿がまだなら紹介するよ」

 よろしく頼む。そう言うと、一枚のチラシを渡してくれる。

「きっとそう言うと思って、親戚が宿を空けてる」

 全て承知した様子だ。狐娘にも似た何かを感じる。

 童話が聞えた方向とは逆方向に町はある。私はそちらから来ていないから。

 もう日も落ちる。宿に泊まるのは必定だ。

 ここまでは野宿もした。終わりまで歩いて来たかった。疲れが肩にそろそろと登り、頭はぼんやりと幕を張る。

「それにしても、金魚鉢が出てくるとはね。俺は緑色の眼鏡だった」

 人力車の青年はポツリと言った。小屋の中の話も聞えるとは耳が良い。

 耳が良いんですね。ぼんやりとしていて思ったことが口を衝いて出た。

「それはまぁ。うん。さっきの旅のヒトと似たようなモンだからさ」

 先ほどまで見慣れていた耳と尾っぽが顔を出す。

 私は目が冴えてしまった。行き先は狐達の町だったのだ。

 それでは、旅の狐娘との関係は? 彼女の母上が終わりを創ったのだとしたら? 自ずとそこが彼女の出生に関係があることが分かる。

「言いたいことは分かるけど、旅のヒトの生まれは此処にない」

 私に背を向けているにも関わらず、考えていることは透けていたようだ。

「ついでに、彼女の母上があの終わりを創った、というのも認識間違いなんだ。俺は他に何人か同じようなことを言った旅のヒトを知っている」

 その話を聞くに、彼女達は全く同じ特徴を持ち、同じような話をして、終わりに向かい、去っていくそうだ。

 そして、いつも他に一人連れている。

 それが偶々私だった。個人の意思のように見えて、一つの流れに沿っただけだ。

「時々来るから」

 勝手は分かっていて、私はそれに任せるだけで良い。

「旅のヒトは色んな所にいるし、何処の生まれでもない」

 旅のヒトは場所に関係なく、偏在があるだけと言っている。

「降ろしてくれ」

 少し逆らってみたくなった。

「良いけど…どこに行くんだい?」

 ずっと遠くさ。

 私は何か考えがあるわけではなかった。

「そっかぁ…うん。気を付けて」

 人力車を降りると、青年と別れた。

 特に理由はなかったが、旅の狐娘を探そうと思う。

 終わりを見た後だから。


 ~~終~~

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