最後のダニエル

あいさ

出会い

 彼女は気がついたら、人の引けた刑死場の前で立ち尽くしていた僕の隣に立っていた。


「ねえ、ご両親は?」


 僕は黙って、刑死場に吊られている死体の一つを指さした。


「行く場所は?」


 首を振る。


「なら、私と来ない?」


 僕は初めて彼女を見上げた。


 彼女は麗しい乙女だった。喪服のような黒いドレスを着て、青い石がはまった銀色の十字架を吊っている。

 彼女はレースがあしらわれたドレスが汚れるのも構わず、しゃがみ込んで僕に目線を合わせた。

 瞳が星空を詰め込んだみたいだ、と思った。そして、同時に濃い死の匂いがした。


「新しい名前をあげる。それから、新しい人生も」


 彼女は手を差し出した。綺麗な衣装を着ているのにその指先は緑に染まっている。


「……あなたは死神なの?」

「近いけど、違うよ」

「じゃあ、魔女?」

「似ているけど、それも違うね。私は不死者の王と呼ばれているの」

「女王さまじゃなくて、王さまなの?」

「あだ名みたいなものなの。それで、ねえ、私のことが怖い?」


 僕はまた首を振った。彼女が何であっても不思議と怖くはなかった。ただ彼女が何者なのか知りたかった。

 だから、その手を取った。彼女の手は刑死場に吊られた死体と違ってひどく暖かだった。


「私はココ。どうぞ、よろしく。私のダニエル」


 彼女と僕の旅はそうやって始まった。


 彼女は町や村を渡り、様々な野草を煎じては薬として売り歩いていた。僕は大体、彼女の息子だったり、弟だったりした。


 彼女は矛盾にまみれている。

 そのことに気がつくのにさして時間はかからなかった。


 彼女は生者でも死者でもなく、神の意志に反しながら信仰は厚く、王と呼ばれながら誰も従うことはない。

 魔法はひとつも使えず、僕を背負って山を越えれば何日も疲れで寝込む。それでも、肌身離さず吊る十字架を抱いては朝夕に祈りを捧げていた。


 不死者とは生者のように振る舞う冷たい死者で、彼女は不死者たちと同じように老いることも死ぬこともできないらしかった。そして、彼女は触れるだけで死して死を知らない者たちを灰に変えることができた。

 生ける屍は彼女のあずかり知らぬところで勝手に増えて、彼女はそういう者たちに安息を与えるだけの存在だった。

 だから、彼女は真夜中に意思を持って動く死者たちに会いに行った。


 僕はいつもこっそり彼女を追いかけては彼女が死者の話を聞き、指先で触れるだけで一握りの灰に変える様子を見つめていた。

 そして、彼女は決まって、目深にかぶっていたフードを落として僕に微笑んだ。


「おいで、ダニエル」


 彼女に呼ばれると僕は隠れていた場所からまっすぐ駆け出して、その腰に抱きついた。彼女は薬草と死の匂いが染みついた指で、死者たちを灰にしたように僕の頭を撫でた。


 僕は彼女に撫でられることが僕は何より好きだった。

 降る雪に足止められた馬車の中、狼の遠吠えを聞きながら月を見上げた焚火のそば、お祭りの雑踏ではぐれないように手をつないだ帰り道。


「ココ、ココ、こっちを見て」


 いつだって僕がそうねだれば、彼女は瞳を細めて僕の頭を撫でてくれた。

 眠る前の寝物語はいつも、遠い異国の風の匂いや、僕の体の中にない響きで満ちていた。


 夢の中では、大人になった僕が彼女の手を引き、時に背負った。そして、彼女が語って聞かせてくれた海山を超えてどこまでも旅をしていた。


 そんな風にいつまでも彼女と旅ができる気がしていた。

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