第二章 第三話「なぐさめて、リリィさ~ん」

 ……このスマホ。機種は同じだけど、私の物じゃない!


 私は焦って、手の中にあるスマホをよくよく確認する。

 ……画面のロック方法も待ち受け画像も違う。


 自分のスマホを探して周囲を見ると、そういえば行きの座席と景色が違う。

 今は最初に座っていた座席の一つ後ろに座っていた。

 もしかすると、疲れてたせいで間違ったのかもしれない。


 慌てて前の座席を見ると剱さんがいる。

 ……そして、私のスマホを握りしめていた。


 画面はロックしてるけど、ロック画面自体が危険そのもの!

 描いたばかりのイラストを壁紙に設定していたのだ。……女の子同士がイチャイチャしている、私の性癖が濃密に詰まった百合イラストを……。


「あぅぅ。み、見ないで!」


「よ、よぉ。このスマホ……空木のか……」


 そう言いながら見せつけてくるスマホは、もうスイッチが入っていて……私の性癖がたっぷり詰まった百合イラストが画面いっぱいに映し出されていた。


「あ、あの……その……」


「空木……。お、おまえ……いい趣味してんな……」


 何とも言えない棒読みの声を出しながら、剱さんはスマホを返してくれる。


 さすがに私が描いた絵だとはバレてないと思うけど、絵の趣味にドン引きしたんだと思う。

 中学校の時のオタクバレ事件を思い出し、私は恥ずかしさで力なく崩れ落ちた。


「あれ、ましろちゃん? 大丈夫? そのスマホに何か問題があったのかな?」

「あぅぅ。秘密ですよぉ~~」


 このショックを説明することは不可能だ。

 私は自分の秘密が知られてしまった悲劇を胸にしまい込み、ガックリと肩を落とす。

 魂が抜けたように、揺れるバスに身を任せるのみだった。



 △ ▲ △



『リリィさ~ん。私の絵が学校の人に見られちゃったよぉ~』


 家に帰るなり、すがりつく想いでリリィさんにメッセージを送る。

 このいたたまれない気持ちを癒してくれるのはリリィさん以外にあり得ない。


 すると、ありがたいことにすぐ返事が届いた。


『それは大変! スノウさんって、創作のことは絶対に秘密にしてたよねっ?』


『もう私、学校に行けないよぉぉ。

 噂が広まって、変態って言われるに決まってるぅぅ』


『きっと大丈夫だよっ!

 絵を見た人はスノウさんのファンになるに決まってるのでっ』


 やっぱりリリィさんは嬉しいことを言ってくれる。

 でも事態は本当に深刻だし、リリィさんが言うような幸せな結末になんて、なるわけない。


『む、無理だよぉ……。

 部活のメンバーだし、これからずっとイジられるに決まってるんだぁ。

 ……その人、なんかドン引きしてたし、呆れてたんだよぉ~~』


 リリィさんの前だと、赤裸々に不安を漏らしてしまう。



 さすがに困らせてしまったのか、返信が戻ってきたのは、しばらくしてからの事だった。


『き、きっとその人は驚きと感動で絶句してたんだよっ。

 元気を出して! むしろ、意外な人と接点が持てるきっかけになって、これがご縁で仲良くなれるかもっ』


 驚きと感動……?

 剱さんの顔を思い出すけど、さすがにそう解釈するのは無理がある。

 ご縁って、私は死神とご縁が結ばれちゃったことになるのかな?


『ふぇぇ……。苦手な人とご縁だなんて、うれしくないよぉぉ……』


『苦手と思ってるばかりだと、ずっとそのままだよ~。

 話してみると、意外と仲良くなれるかも。

 その人も、実は同じ趣味だったりして!』


『えぇぇ~。そんなわけないよぉ~』


『とにかく気にしないで、いつも通りに過ごすといいと思うよっ』


 リリィさんはこう言ってくれたけど、さすがに剱さんが同じ趣味だなんてあるわけがない。

 私は今まで以上に息を潜めて生きるしかなさそうだ。

 そして、剱さんが学校で言いふらさないことを祈るしかなかった。



 そう言えばリリィさんの書く文面を見ていると、ほたか先輩の口調を思い出す。

 ほたか先輩がリリィさんだとすれば、それはちょっと嬉しいかもしれない。

 それは当然あり得ないけど、妄想で気分が高まるならいいことだろう。

 私はほたか先輩と一緒に部室で百合漫画を読み合う想像を膨らませ、心を落ち着かせる。



 その時、突然スマホが鳴り響いた。


 聞いたことのない音にビックリすると、それは電話の着信だった。

 今までかかってきたことがなかったので、こんな音なんだとしみじみ思う。

 そして、なんと相手はほたか先輩だった。


 部活の緊急連絡先として登録してたのを思い出す。

 妄想してた相手からの電話に運命を感じながら、私は恐る恐る電話を取った。


「ましろちゃん、こんばんはっ!

 今日は本当にお疲れ様~。無理にお山に行ってごめんねっ」


「いえいえ……。だ、大丈夫です! ……急にどうされたんですか?」


「今日の帰りのバスで、登山靴のお話をしてたよねっ?

 登山靴は貸し出せるけど、靴はとっても大事だから、本当は自分の足にあった靴を買ったほうがいいの……。

 もしよかったら今度の土曜日、お姉さんと一緒に靴を買いに行くのは……

 どうかなっ?」


「きゅ、急ですね……」


「帰りのバスでましろちゃんが元気なくなっちゃったから、お姉さん、心配で……。靴を買うのは口実で、何かお話できたらいいなって思うんだけど……」


 その申し出は本当に嬉しかった。

 憧れの先輩のお誘いに胸が高まり、剱さんに絵を見られたショックも和らいだ気がする。


 ちなみに、実を言うと登山部に入ることになった日から、登山靴を買うように親から言われてる。

 なにせ、いつも部屋に閉じこもって漫画ばかり描いてる娘がアウトドアをはじめたのだ。両親は二人とも本当にうれしかったらしく、「いい靴を買え!」と言ってくれていた。


「じゃあ……靴のお買い物、ぜひ一緒にお願いします!」


「うんっ。一緒に行こうね、山の道具屋さんっ!」


 電話を切って、あまりの嬉しさに私は床を転げまわる。

 思い起こせば補習授業に先輩が現れたのが昨日の事なのに、アウトドアにまったく興味のなかった私が、なんと登山靴を買う気になっている。

 これは自分でもビックリだ。


 絵筆を持つ手もスムーズに動くようになったし、本当に波乱万丈の二日間だったと思う。

 現実の生活が一気に変わり、私の心は驚くほどに動き始めているのだった――。




 第二章「歩いた分だけ、ちゃんと進む」 完

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