第一章 第三話「山登りでインターハイッ?」
ほたか先輩と天城先生の後について、私と剱さんは女子登山部の部室に向かう。
しかし最初に目に飛び込んできたのは登山道具なんかじゃなく、異様に大きな背中だった。
「デケェ……」
剱さんも目を丸くして驚いている。
剱さん自身も背の高い男子と同じぐらいに背が高いのに、目の前の大きな背中はそれ以上だ。
ひょっとすると二メートル近くあるかもしれない。
まるでアメコミヒーローのような逆三角形の上半身に、スーツ越しでも分かる筋肉の隆起。そして盛り上がった広背筋の圧力が凄まじい。
スカートがなければ女性と分からないだろう。
この人はこの高校の校長先生。確か、
怖いのでほたか先輩の背後に隠れていると、鋭い切れ長の目に
獲物をにらむヘビのような目に、背筋が震えあがってしまう。
校長先生は私たちを見回し、満足そうにうなづいた。
「ふむ。なんとか最後のチャンスをモノにできたようだね」
「あ……あの。五竜校長……。いつもはいらっしゃらないのに、どうして……?」
恐る恐るたずねる先輩を見ると、どうやら校長先生がいるのは想定外だったみたいだ。
「今日がインターハイの選手登録の期限だというのに、部員がそろってなかったからね。
登山部の創設者として、心配にもなるというものさ」
そして校長先生は「はっはっは」と高笑いを始める。
「あ、あの……。この二人は入ると決まったわけでは……」
ほたか先輩は説明しようとするが、校長先生は自分の高笑いのせいで気が付いてないらしい。
「はっはっは。嬉しいじゃないか! 梓川君の勧誘がようやく実ったというわけだ。
あとは大会で成果を出してもらわなくてはなっ!」
「山登りでインターハイッ? ……しかも成果を出せ、ですか~っ?」
私は動揺しながら、言われた言葉をそのまま繰り返す。
登山部というから山登りしてキャンプする程度だと思ってたので、意味が分からない。
ただ、何か大変なことに巻き込まれようとしてることだけは分かった。
「私、登山部の部員じゃないですぅぅ……」
そう言いながら部室を去ろうとしたら、校長先生の太い指につかまれてしまった。
「我が校は部活必須。そして欠員があるのは登山部だけなのさ。
……だから、どこにも所属していない空木君には入ってもらうよ!」
「あぅぅ……。横暴ですよぉ。それに私の名前……、なんで知ってるんですか……?」
「当然さ。可愛い我が校の生徒。全員の名前と顔を覚えているよ」
校長先生は高らかに笑うだけで、まるで相手にしてくれない。
その時、剱さんがグイっと身を乗り出した。
「もし成果ってヤツが出せなかったら、どうするつもりなんすか?」
その問いに、校長先生は余裕たっぷりの笑みを浮かべる。
「我が校はすべての部で全国行きを目指しているっ!
もし次のインターハイ予選で素晴らしい成果を出せなければ、来年のために完璧な筋肉を身に着けてもらうつもりさっ!
アタシ直々に鍛えさせてもらうからねぇ~」
筋肉?
あまりにも予想外の単語が飛び出て、あっけにとられた。
そして、校長先生は妙に嬉しそうにも見える。
私たちを鍛えたくて仕方ないって感じだ。
「それって……ムキムキマッチョになるってことですか?」
「……その通り。筋肉はすべてを解決するからねぇ! はーっはっはっは」
私が……筋肉モリモリの女の子に?
適度なシェイプアップができるぐらいならうれしいけど、結果が出せなければ、校長先生のような鋼のボディを手に入れる羽目になるらしい。
ボディビルダーのようにムキムキで黒光りする体の自分を想像すると、目を覆いたくなった。
私、そんな自分を望んでないよぉ。
美少女とテントの中でイチャイチャできると期待してただけなのに……。
そして校長先生は
「さあ、大会が楽しみだ! ……天城君、来たまえ。さっそく選手登録だよっ!」
校長先生は天城先生を引き連れ、高笑いしながら部室を出ていく。
嵐のようなひと時が過ぎた時、登山部の部室には私たち生徒だけが取り残されていた。
△ ▲ △
「くそ……。アタシとしたことがビビっちまった……」
剱さんは誰もいなくなった扉を前にして、悔しそうにこぶしを握りしめている。
すると、ほたか先輩がおろおろしながら頭を下げてくれた。
「ご……ごめんねっ。まさか五竜校長が来てるなんて思わなくって……」
どうやら先輩も、この事態は想定してなかったらしい。
「今日がインターハイの選手登録の提出期限だから、顧問の天城先生に相談しに行ったのがさっきのことなの。
先生が『ちょうどいいから』って、二人を紹介してくれたんだけど……」
それを聞いて、補習時間のときの先生と先輩のやり取りを思い出した。
「天城先生って、登山部の顧問だったんですね……」
「うん。補習クラスも受け持ってるから、普段の部活にはあまりいらっしゃらないんだけどね」
その事実を知ると、なんだか私が登山部に入れさせられるのは運命だった気がしてくる。
「……っつーか、登山でインターハイなんて、そんなのがマジであるんすか?」
剱さんがいぶかしげに尋ねる。
その気持ちは私も同じだった。
インターハイって、たしか陸上とかバスケで目指すスポーツの全国大会のことだったと思う。
そんなバリバリの運動部みたいな大会に、山登りが関係あるのが信じられなかった。
「やっぱり意外だよね……。お姉さんも、一年生の時には驚いたんだよぉ」
「えっと……。な、何を競うんでしょうか? 早く登ったほうが勝ち……とかですか?」
「山で走っちゃ、あぶないよぉ~。さすがに、登る速さで競うわけじゃないんだよ」
ほたか先輩はふわふわとした優しい口調で説明してくれる。
「一チーム四人で参加して、登山隊の歩くスピードから遅れてしまうと減点なの。
ほかにも、テントを張ったりお料理する審査もあって、最終的に一番得点が多い学校が優勝なんだよ~」
具体的なことはもっと詳しく聞かないと分からないけど、どうやら山登りやキャンプの行動全般が審査されるみたいだ。
そして、ちゃんと確認しておかないといけないことが一つあった。
「ところで……。校長先生が言ってた『素晴らしい成果』って、なんのことでしょう?」
「インターハイの予選で素晴らしい成果っていえば、優勝……。全国大会に行けっていうことに決まってるんだけど……。うちの部は、一度も……優勝したことがないの……」
「あぅぅ? じゃあ、マッチョになるのは決まったも同然なんじゃ……」
「お、お姉さんが頑張るよぉっ!」
ほたか先輩は必死そうに笑顔を作るけど、ひきつった笑顔が優勝の難しさを物語っていた。
このままでは、補習以上にツラそうな特訓地獄が確定したも同然だ。
そんな中で、剱さんが大げさなため息をつく。
「どうせ、やるしかないんすよね?
あの校長、選手登録するって言ってたし、あの覇気には有無を言わせないものがあった……」
「う……うん。五竜校長は一度言い出したことは本当にやるし、止められないの……。
本当にごめんね。
……で、でも。せっかくだから、みんな仲良くしようね!」
「はぁ……。アタシ、チームワークとか苦手なんすよ。仲良くすんの、めんどいっす」
そして剱さんはダルそうに部室の扉を開ける。
「要するに大会に出るだけでいいんすよね? 大会前になったら声かけてくださいよ」
「え……? ちょっと美嶺ちゃん、待って……」
ほたか先輩が呼び止めようとした瞬間に扉が閉まり、剱さんはさっさと帰ってしまった。
……剱さんの冷たい態度に身がすくみつつも、彼女がいなくなって安心する。
ただ、運動部の大会なんて私のガラじゃないし、剱さんも大会に出るのなら、居心地が悪い。
「あ……あの。私、校長先生に謝ってきます。入部しないって!」
今からでも追いかけて心から謝れば、見逃してもらえるかもしれない。
私は何とか入部を取り下げてもらおうと、部室の扉に手をかけた。
その時、視界の端に何かが見えた。
見上げると、そこにはロープが宙を舞っている。
まるで新体操のリボンのように円弧を描いて回るロープは、急速に輪を狭めて私の胸あたりを縛り上げてしまった。
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