春嶺の過去

 乾いた砂埃が舞う中、英人は春嶺を通じて蘭華にも視線を切る。


 その瞬間、英人ではなく操られている春嶺は時が止まったかのような感覚に飛び込ませた。


「いいなぁ……」


 不意に出た言葉が、さらに春嶺の意識を拡張させる。


 彼女の目に飛び込んできたのは誰かを救おうと必死な表情を浮かべる少女。



 誰かのために戦う姿。

 命をかけて護り、護られる関係性。



 それら全て、春嶺が欲しかったものだった。


「私も……」


 自我の回復は最悪なタイミングだったと言えよう。


 引き金を引けず、視線も蘭華へと向いてしまった。


「春嶺! 何をしている!」


 怒号がドローンカメラから飛び、春嶺の意識は再び沈みかけた。


 スタンバトンを構えた蘭華と、拳を繰り出す飛彩はすでに眼前へと迫っている。



 春嶺も英人も敗北と死を感じてしまった瞬間、蘭華は春嶺を飛び越えた。



「えっ……?」


 蹴り上げられた右足目掛けてスタンバトンを叩きつけ、飛彩の動きを一旦止めた蘭華はすかさずメイから受け取ったインジェクターを突きつけた。


「ウッ……オオオォォォ!」


「ぐうっ!?」


 しかし、電流に抗った飛彩がインジェクターごと蘭華を吹き飛ばす。


 握っていたインジェクターが廃墟の中をからからと音を立てて転がっていった。


「くうぅ……本気で蹴らないでよね!」


 いつものように声をかけても飛彩は凶暴な咆哮でしか答えない。


 手元から消えたインジェクターを探していると、背後から頭痛に苦しむ春嶺が歩み寄ってきた。


「何で……助けたの?」


 洗脳に抗う春嶺を見やった蘭華は張り詰めていた表情を解いて、笑みを浮かべた。


「アンタに死なれちゃ、飛彩止められないでしょ?」


 冗談のような笑みだからこそなのか、それは春嶺の心に響いた。


「私は……私はぁ……!」


「春嶺! 抗うな! 私を受け入れろ!」


 頭を押さえて片膝をつく春嶺はどんどん時間がゆっくりになっていく感覚に溺れていた。


 支配を強めようとする英人と揺れる春嶺の抗いが脳内でぶつかり合う。




「私だけがお前の理解者だろう! 春嶺ぇ!」



「!」



 その言葉が春嶺の脳を揺らし、だらんと力なく両腕を下げさせた。


 虚な瞳となった春嶺は記憶の海で意識を泳がせることとなる。







 その少女は、人間としては異常個体だった。


 いつもビクビクしていて人と上手く接せない性格という部分ではなく、彼女はの人間と違う時間を生きていた点があげられる。


「春嶺ちゃんって、前髪長くて鬱陶しくないの?」


「切ってあげよーかー?」


「え……いや、大丈夫だから……」


「いいから切ってあげる! 私たちが可愛くしてあげるから!」


 幼いながらも異質な存在へ向ける悪意が、無垢な春嶺の心を幼いうちから澱ませていった。

 逃げるように走り出す小学生時代。


 ランドセルを抱え、校庭を走っていた春嶺を追いかけた少女たちは男子に頼んで野球ボールを投げつけさせる。


「私の言うことを聞かない奴にはお仕置きなんだから!」


 それは小学生が避けられるような速度ではなかったが、春嶺は一瞬だけ前髪から瞳を覗かせると反射的にボールを受け止める。


「ぁ……」


 また注目を集めてしまった、とハッとする春嶺。


 案の定、いじめの中心人物は激昂した様子で詰め寄ってくる。

 興奮した男子たちを引き連れた小さな女王は慌てる春嶺の顔を下から覗き込んだ。


「何で避けるの?」


「あ、いや、その……」


「私に逆らうなって言ってるのよ!」


 カールのかかった髪が揺れ、平手打ちが春嶺の頬を襲った。

 しかし、その少女の動きをいとも簡単に避ける春嶺は後ずさるように下がっていく。


「っ!?」


「ご、ごめん!」


「アンタうざいのよ! いつもいつもそうやってウジウジしてるくせに……」


 隠れた瞳が揺れた。

 棘のある言葉が何度も何度も頭の中に響き渡り、永遠の牢獄のように悪意に春嶺は閉じ込められた。


 自らを縛る意識を振り切って走り出した春嶺は、運動が一切出来ない容姿をしているが故に再び生徒たちの度肝を抜いて走り消えた。


「あ、あいつめっちゃすげえな……」


「な! そんなことないわよ!」


 呆然と立ち尽くす少年たちを尻目に春嶺は今度こそ振り返らずに走り続ける。

 このような経験が原因で、彼女はとにかく人と関わることを恐れた。



「また見えすぎちゃった……」



 生まれつき備わっている特異な点を疎ましく思う春嶺は悲しみを含ませてため息をついた。

 年齢を重ねてもその異常が元に戻ることはなく、中学生になっても未だにスクールカースト上位の女子に目をつけられる日々に囚われていた。


 帰り道でわざと前髪をかき上げた春嶺は、刹那のうちに世界がゆっくりと動く感覚の中に浸りながその中を自然に歩いていく。






 異常なまでに発達した視覚は遠くを見通すだけでなく、脳内で流れる情報処理速度を異様になまでに高めていた。

 つまり俗に言う敵の動きが止まって見える、という状態である。

 その人とは違う点が春嶺を負の連鎖へと導き、年頃の少女にも関わらずロクに友達も作れず孤独な日々を好むようになっていった。



 それでも前向きになろうと努力した春嶺は目の良さを生かそうとして弓道部に所属した。

 心が乱れさえしなければどんな的でも百発百中ということもあり、春嶺は部の中心人物へと躍り出る。


「すごいよ春嶺!」


「全国行けるね今年は!」


 初めて感じる心地よい世界だった。

 自分の力が初めて発揮出来ると思った彼女は快進撃を続ける。


 そして全国中学生大会の決勝にまで駒を進めるほどに躍進した。


 団体戦、最後に春嶺が的を射れば優勝が決まる。

 そんな熾烈な戦いの中、こみ上げる緊張が脳内を乱反射して必要以上に気負ってしまった。


「はぁ……! はぁ……!」


 乱れた心で放つ矢が的を射抜くことはなく。

 決勝戦とは思えない素人のような一矢が不安定な軌道を描き、沈んでいく。


 結果は確認するまでもなく敗退。

 最後の年だった上級生は春嶺の力に虎の威を借る狐だったにも関わらずたった一度のミスを糾弾した。


「ふざけんな! 最後の最後でなんで足引っ張んのよ!」


 優しい笑顔を向けてくれた先輩は仮初の存在だったことに春嶺は気づいた。

 自分が手に入れた絆は真なるものではなかったと。


「やめて……やめてぇ!」


 優しかった仲間の言葉も脳内でゆっくりと時を刻み、春嶺を癒していたが悪しき暴言もまた何度も反芻される。

 この転落がますます春嶺を殻へと閉じ込めた。



 そう、人と関わるのが怖くなったのだ。

 何度も聞かされた迫害の言葉、容姿への暴言、それらは耳を塞いでも春嶺の頭の中を回り続ける。


 時がゆっくりと流れるような感覚は、悪意の停留を促すにすぎないらしい。


 学校と自宅の往復は春嶺の心を削っていく。

 故に春嶺は自分を全て受け入れ、一切否定しない心地よい居場所を求めた。


(傷つきたくないって思うのは……当然じゃない?)


 真っ暗な自室に寝転ぶ春嶺は桃色の髪を投げ出し、死体のように転がっていた。

 傷つくことのない理想郷を夢見て、見え過ぎてしまう瞳をゆっくりと閉じた。



 そんなある日、いじめから逃げるように学校を飛び出したことがあった。


 道路をろくに確認もしなかった春嶺は、避けられるはずのない体勢から突っ込んできた車を躱したのだ。

 すぐさま運転手が降りてきて安否確認をしようとするが春嶺はそれからも逃げ出そうとした。


「だ、大丈夫かい!?」


「平気です! 平気ですから! わ、私、急いでるんで!」


 カバンも何も持たずに走り出そうとした瞬間、黒塗り高級車の後部座席から投げ掛けられた温和な声が春嶺の耳を撫でる。


「そうかそうか。君はテロリストが引き金を引こうとした時には逃げられるんだね」


「え……?」


 ゆっくりと開いていく窓。


 そこにいたのは笑顔の仮面を貼り付けた髪をオールバックにまとめたスーツ姿の英人だった。


「ど、どうして……」


「わかるさ。君の今の動きから能力を逆算した」


 この男もまた天才だった。


 しかしそれを超える天才には勝てない。

 自棄に陥る寸前に彼らは運命の出会いを果たしたのだ。


 困惑する春嶺。何かを確信する英人。

 そこから春嶺がヒーローになるのはそう遅くなかった。


「私をヒーローにするって……どういうことです?」


 本部の応接室にまで連れ込むという半ば誘拐行為だったが、英人は直感していたのだ。


 春嶺を飼い慣らせるということを。

 能力から発生する苦悩を見抜き、それを逆撫しないように優しく扱う。


 これが彼女の望むことだと決め付けて。


「ここでは力が全て……誰もお前を否定しない」


「——もしかして、私のことがわかるんですか?」


「ああ。私はこれでもヒーロー本部の技術本部長でね」


 見透かされた気持ちでいる、と春嶺の読めない表情を鋭敏に感じ取った英人は春嶺が告げてほしいことだけを慎重に選んでいった。


「君こそ私が求めていたヒーローになれる。どうか私に協力してくれないか?」


「私なんかにヒーローが務まるわけがないです……きっとまた見限られる」


「そんなことは私がさせない」


 その言葉は春嶺の脳内を優しく何度も反響しする。

 もっとも春嶺が求めていた揺るぎない他者との絆。


 心地よい繋がりを、殻を破って包み込んでくれる優しい手をずっと待ちわびていたのだ。


「誰もお前を嘲ることなど出来ないような力を授けようじゃないか」


「英人さん……」


 この人についていけば変われるかもしれない。

 そう感じた春嶺は、様々な修行と改造を乗り越えて冷酷な戦士へという変貌を見せることになる。






 意識が鮮明になるにつれて、春嶺は理解できた。

自身の脳処理能力の高さを用いて英人の意識を脳に入れても壊れない操り人形を求められていたことを。


心地よい嘘に抱かれて、現実から目を背けていたことも。

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