Monte Carlo -17-



───我がワイルドウイングを味方につけている限りは、快適なクルージングを保障しよう。


ヒューガがワイルドウイングに入って間もない頃、JVにそんな言葉をかけられた記憶がある。


4台のベントレーに追われながらその言葉を回顧してしまうことが可笑しくてたまらない。


目前に控えるは、ダウンヒルの左ヘアピン。


道幅は狭く繊細なステアリングワークが必要になるコーナー。


しかし既にそんなことを意識せずとも抜けられるレベルに到達していると自負している。


後ろの4台のベントレーがどれだけ付いてこれるのかが楽しみだ。


ブレーキ。


エヴォーラの赤いテールランプを目にして、ここぞとばかりにベントレーから放たれる銃弾。


車体に何発か風穴が空くが、ヒューガの気を乱すまでには至らない。


ハンドルを左へ。


そしてサイドブレーキ。


サイドブレーキは単なる誘爆で、それは彼女が再びアクセルを踏み込んだ瞬間に起きる。




  キィァァアアアアアアッ!!!!!!




上がる白煙と、悲鳴を上げるリアタイヤ。


反時計回りに回り出す車体。


それも完璧なラインを描きながら、道路端の観葉植物を靡かせるほどの速度で。


ミラノ最速の女、ヒューガ・エストラーダ。


彼女の織り成す大胆すぎるドリフトは、もはや、芸術だった。




カウンターステアリングを当てると、エヴォーラはドリフトを保ったまま安定する。


コーナーをクリアしながら目線は背後へ。


4台は相変わらず蛇のようにして同一の走行ラインを描き、グリップで差を詰めようとしてくる。


アクセルを空ける。


タイヤがアスファルトを捕らえる。


再び加速を始める深緑色の蛇。


爬虫類は好きではない。


いっそのことミミズとか、ウナギとか、その辺で喩えられるならまだ可愛げがあるのに。





《ヒューガ、応答するである》





不意にヘッドセットから流れ出す、ボスの声。


JVの幼い口調の違和感は相変わらず拭えないが、ヒューガは業務と捉えて間を置かずに通話ボタンを押した。



「はい。どうされました?」


《いま電話できる状況か?》


「いいえ。あっ、でも大丈夫です」


《大丈夫なのだな?》


「あっ、はい」



エヴォーラが良い車なのは間違いない。


だが、この車のクラッチはあまりに軽過ぎて踏み応えがない。


やはり、愛車。


このダウンヒルをエヴォーラではなく、愛車のムルシエラゴで下っていたならば、JVとの通話にも冗談を交えながら応じられただろう。



《レオナルドがハックされた》


「えっ、マジですか? 足は遅いのにヘマするのは早いですね、レオさん」


《全くだ。これだからバカの扱いは困る》



まだ夜が明けないモンテカルロを、甲高いエンジン音と青白いヘッドライトが貫いてゆく。


長い下り坂だ。


それに加えてこまめに訪れる鋭いコーナー。


繊細なアクセルワークを保ったままヘッドセットで通話するのには、少しコツがいる。



「ハックされた相手は? 一台だけレオさんに付いて行った車ですよね?」



ブレーキ、ステアリング。



《うむ、左様。レオナルドがハックを仕掛けようとしたところカウンターを当てられた……まぁ例えるなら、ナイルパーチを掴みにいった腕をピラニアに噛まれたというところであるか》



サイドブレーキ、アクセル、ドリフト。



「なるほど。ピラニアに噛まれるレオさんが容易に思い浮かびます」



カウンター。



《ヒューガ、貴様のWILD HACKでレオナルドのスマートフォンを救出するである。このままではレオナルドと連絡が取れぬ》


「嫌ですよ、めんどくさいですし」



アクセルオフ、安定。



《報酬に200ユーロ上乗せしよう》


「やります」


《うむ。頼んだである》



再び、加速へ。



 


サイドミラーに映るアゲラトスのベントレーは、相変わらずの馬鹿元気だ。


さながらストリートレースの速度を保ちながら、視界が開くたびに弾丸を放ってくるベントレー4台から逃げ続けるのは至難の技。


しかもその最中にスマートフォンで仲間を救出?


ふっ……やすい。


それは応酬が安いという意味ではなく、仕事が易いという意味だ。


フットブレーキ。


左手でハンドルを回し切る。


右手でセンターコンソールからスマートフォンを拾い、画面ロックを解除しながらサイドブレーキを引き、すぐに戻す。


アクセル全開、ドリフト。


カウンター。


スマートフォンのホーム画面をフリックし、WILD HACKのアイコンがあるページまで飛ぶ。


フットブレーキとアクセルオフ。


タイヤがアスファルトに食いつく。


アイコンをタップ。


安定。


ヒューガが次なるコーナーを探す頃、ヒューガのスマートフォンは自動的にレオのスマートフォンを捕らえていた。



 


《───よお。そんなところで何してんだ、お前》


「……えっ……?」



ヒューガのスマートフォンに「Connect」の緑色の文字が表示されると同時に、ヘッドセットからはレオの声が流れ出してきた。


いや、この問い掛けはヒューガに対して投げかけられたものではない。


おそらくレオが話しているのは、レオのスマートフォンをハックした張本人。


5台追ってきたアゲラトスの、1台だけ異なっていたあの車両のドライバー。



 

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