異世界かてきょ ~魔王の城の家庭教師~
南川 佐久
第1話 俺氏、SSR
朝起きて、寝ぼけ眼をこすりながら机に向かい、パソコンの電源を付ける日々。いままでのような休日ならゲームをする為に電源を付けていたわけだが、外出自粛が当たり前な世の中になった昨今の平日は高校のオンライン授業の為にこうして朝も早くから電源を付けるというわけだ。
せっかく高校生になって都内の進学校へ入学が決まり、この春から華の一人暮らしだっていうのに。もしうまくいけば彼女のひとりでもできて、今頃オンライン授業にかこつけて半同棲みたいな生活をしていたかもしれないのに……
「はぁ、いくら夢見るだけならタダだからって、妄想すんのも大概にしておこう……余計にみじめな気持ちになる……」
そんなため息が出るくらいには、俺はモテた試しのない童貞だ。しかも、得体の知れない病気のせいで春から碌に高校に行けたこともないんだ、女子の顔と名前なんて覚えてないし、友達だっていやしない。そんな状況で彼女なんて、夢のまた夢……
「えーっと、出席者はここをクリック……」
いつものようにパンツにTシャツ姿のまま出席ボタンを押す。すると――
「アラート、アラート。緊急警告。これより転移を開始します」
「え?」
(間違ってオンラインゲームの画面、クリックした?)
うろたえる俺。だが、オタクも窮地に陥れば人間離れした実力が発揮できるというもので。
(こんなアラート聞いたことない! なんかヤバイ予感がする!)
「あああああ……! せめて、せめてアレだけは……!」
そう思い、およそ自分のものとは思えない速度で、俺は。ズボンを履いたのだった。
◇
「おお、なんと。黒髪の少年が……!」
急いで社会の窓を閉める俺に、ウェーブの銀髪を靡かせた長身の男性が驚きの声を上げる。
「さすが魔王様! 狙い通り『若くて面倒見の良さそうな日本人の少年』を引き当てるなんて! 素晴らしいわ~!」
その男性の隣できゃっきゃと喜ぶ金髪の美女は、奥さんだろうか。だが、問題はそこではない。
(おい、今なんて言った? 魔王様?)
ってことはつまり、目の前にいるのは薬指にお揃いの指輪が光る……魔王夫妻?
「日本の少年は私達の世界に呼び出されてもやたら落ち着いていて適応力が高いって言うし、『元の世界に戻りたい』とかダダこねないし。衣食住さえ提供すれば贅沢は求めてこない諦めの良さがイイって『召喚ガイドブック』の口コミにも書いてあったし。これ以上ない即戦力よねぇ~?」
なんか、日本の青少年すっげーナメられてますけど。安易な低賃金労働者かよ? お~い、労働基準法? 息してますか~?
「うむ。子どもたちと見た目の歳も近いし、教育係にはうってつけだな!」
(え? 教育係……?)
奥様が言う通りお察しのいい日本人の少年である俺は、その一言で理解した。
要は、魔王様は
社会の窓を閉めてから、この間およそ三十秒。俺の新たな世界の窓が、開いたのだった。
◇
「と、いうわけで。今日からキミには私達の子どもの教育係をしてもらおうと思う。キミ……名前は?」
(はぁ……魔王にフツーなんか期待しても無意味、か……)
俺はため息を吐きながら答える。
「……
「まぁ! 賢くて察しのいい『やれやれ系』よ! 絶対、面倒見いいわ! あなた、自炊できるタイプの男子でしょ?」
「半年くらい一人暮らししてたので、多少は……」
「きゃ~! 大当たりじゃない、魔王様! SSRってやつね!」
「うむ! 『神引きの右手』と呼ばれた私に不可能はない!!」
どや! と胸を張る魔王と、きゃっきゃうふふと騒ぎ立てる魔王夫人。なんて俗世にまみれた感想なんだと思いつつ、自分がSSR呼ばわりされたことに関して不覚にもまんざらでもない心地になってしまう。てか、異世界にもソシャゲ・ガチャ文化あったんだ?
「ではでは早速、仕事内容について我が娘のリヴィアから説明を受けて貰おう。キミ達の世界でいうところの、『ちゅうとりある』だな。リヴィア、リヴィア~?」
パンパンと手を叩かれて奥から出てきたのは、艶やかな黒髪を腰まで垂らした美少女だった。学校の制服みたいな白シャツにチェックのミニスカート。ブレザーを着ていてもあるとわかる、しなやかでバランスの良い肢体。そして、着こなした制服の日常感とは打って変わって非日常を醸し出す蒼い瞳……
(うわ、可愛い……)
「うむ。絶句するのも無理はない。リヴィアは私の娘たちの中でも随一の美しさを誇る、自慢の娘だからな。どうだ、ママに似て美人さんだろう?」
「もう、パパったら~♡」
「…………」
俺達の目の前でこれ見よがしにイチャつく魔王夫妻を、リヴィアは鬱陶しそうに見流した。そして、おそらく俺と同じ感想を抱いたであろうリヴィアの冷めた眼差しに、一瞬でシンパシーを覚える。
「ごめんなさい、人様がいるのにウチの親はいつまでたってもあんなので」
(あ。この子はまともっぽい……)
「ご紹介に預かりました、北方魔王が第四子。リヴィアと申します。先生、以後お見知りおきを」
「せ、先生!?」
「何を驚いているの? これから私達の教育係をしてくれるのだから、その方に敬意を払うのは当然のことでしょう?」
「でも、君はどう見ても俺と同い年くらいで……」
「先生が気になさるなら呼び方はいくらでも改めますから、ご相談は後で。まずは今後の生活と給与、休日、魔王城の福利厚生についてご説明を――」
「ああ、いい、いい。その説明はもう省いてもらって構わん」
委員長よろしくプリントを読み上げるリヴィアを止めたのは魔王だった。
「お父様?」
怪訝そうなリヴィアをよそに、魔王は俺に向き直る。
「そんなことを話さなくても……恭一君。キミ、別に『帰る』とか言い出さないだろう?」
「えっ?」
俺に拒否権はないってこと? どこまで無視されりゃあ気が済むんだ、日本人男子の人権は。
「キミにはこれから我が子どもたちの教育係として、リヴィアと共に他の兄妹たちの指導にあたってもらう。朝はリヴィアが部屋まで迎えに行くし、困ったことがあればなんでもこの子を頼りなさい。仕事のことでも、日常生活での悩みでも、なんでも。これからキミ達は、『打倒、円卓の騎士』という同じ目標を持つ良きパートナーとなるのだ」
「それは……」
(『打倒、円卓の騎士』とか意味わからんけど、それ以前に、ずっとこのリヴィアって子と一緒ってこと? 四六時中?)
思わず視線を移すと、目が合ったことで照れ臭そうに顔をふいっと背ける美少女の姿が映る。やはり心のどこかで同世代の異性である俺に対して思うところがあるのだろう。さっきまでの凛とした態度とは打って変わって、年相応にもじもじとする様子が愛らしい。
口を開きかける俺に、魔王はにやりと見透かすような笑みを浮かべた。
「ほぉら、もう帰る気がなくなった」
「……!!」
その笑みの、なんと魔王っぽいことか。
つまりこの魔王は、『娘をひとりくれてやるから、教育係を引き受けろ』と無言で圧をかけているのだ。
その手には、『絶対オトす! 日本人男子の丸め方』という本が。はらりと落ちた付箋には魔王らしからぬかわいい丸文字で『まず美少女を用意!』と書いてある。ご丁寧に『済』を示すであろうチェックマーク付きで。
(くそっ! このままじゃあ
「まだ、わからないじゃないですか。お、俺にだって、拒否権っていうものが……」
「ほう? では、教師の職を辞退すると? それなら早々に帰還の手引きを……ああ、残念だなぁ、リヴィア? お前の憧れる『外の世界』。一度でいいからその住人から話を聞いてみたいと、幼少の頃より口癖のように話していたというのに」
「…………」
(あの子、そうだったんだ……)
「次に召喚されてくるのはどんな奴だろうなぁ? もしかすると、お前と二十以上歳の離れた汚いおっさんかもしれないぞ? 話が合うといいのだが……?」
『汚いおっさん』の一言にびくりと跳ねる、華奢な肩。
(たかが……美少女、ひとりで……)
と、思ったのも束の間。
「先生、帰っちゃうの……?」
(……!)
少し潤んだその眼差しに、俺は――
「ひ、引き受けさせていただきます……」
もう、チョロくてもなんでもいいよ。
だってそれしか言えなかったんだから。
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