『幸福が生まれた夜』

ボンゴレ☆ビガンゴ

その1

 よう。みんなは猫が好きか?


 俺は嫌いだ。


 飼い主に対して感謝の「か」の字も感じさせないあの憮然とした態度。

 ふてぶてしいまでに身勝手でわがままで偉そうな態度。

 腹が立つ。

 あいつら、人間をなんだと思っているんだ。


 時に爪を立て畳を痛め、時にネズミの死骸やゴキブリを咥えて現れる。そんな疫病神みたいなナマモノを飼おうとする奴の気が知れない。知れないったら知れないのだ。


「……まあ、それは好き好きだからのぉ。お主が猫を嫌いでも儂は一向に構わんがのぅ」


 狭いアパートの一室。テーブルの向こうに座る少女は俺の言葉に耳を貸さず、皿に入ったミルクをぴちゃぴちゃと舐めている。

 俺はため息をついて行儀が悪い少女を睨みつけた。


 少女は中学生くらいの年齢に見える。だが、それはまやかしかもしれない。


 だって、少女の黒い艶のあるショートカットの髪の上に、ぴょこんと白い二つのケモノ耳が生えているのだ。

 そして、白い尻尾らしきものまで、背後から延びている。

 見間違いではない。本当に生えているんだ。


 そう。この少女は人間ではない!!


「ってか、あんた化け猫じゃん!」


 指摘すると猫耳少女は頬に空気を入れてむくれて見せた。


「むむ、だから、昨夜から何度も言っておるじゃろ。儂は化け猫ではないぞ。幸福を呼ぶ『招き猫』のタマ様なのじゃ」


 クイックイッと右手を上げて手招きをしてみせる。


「しかも、人間好みの美少女っ☆ どれ。可愛いじゃろ? にゃんにゃん♪」


 ウインクなんかしてあざとい笑顔を俺に向ける。

 真ん丸の大きな瞳、高くはないがきれいな鼻筋に薄い唇。確かに整った容姿の美少女ではある。でも、化け猫だぞ。関わりたくないって。


「……俺は猫アレルギーなんだ。友達の家が猫を四匹も飼っていて、一度遊びに行ったら息が出来なくなって死にかけてたんだよ。だから、絶対に猫だけは飼わないって決めてんだ」


「それは単にその家が汚かったからではないのか。他頭飼いする輩はちょっと変な奴が多いからの」


「確かにそいつは変な奴だし部屋も汚かったが……ってそういうことを言っているんじゃない!」


「にゃはは。安心せい。儂も部屋が汚いのに生き物を飼う人間は嫌いじゃ。それに引き換え、この部屋は適度に整頓されていて、また適度に生活感があって、なかなか居心地がよいぞ」


 猫耳少女は俺の部屋をきょろきょろと見渡して満足げに頷いた。


「だから、俺はあんたをこの家に置く気はねえっつうの」


 だんっと机を叩いてみせるがタマさんは動じない。ワガママで身勝手なその様子は、まるで猫だ。……っていうか、猫そのものなんだけど。


「はぁ……なんでこんな化猫につきまとわれてんだろ」


 俺は何度目かのため息をついてうなだれた。


「何を言っておる。昨夜、会社を辞めたとか言って、ヤケ酒を飲んでベロベロに酔っ払って、道すがら儂に絡んできたのはお主ではないか。嘔吐して泣きじゃくるお主を、雨の中、この部屋まで連れてきてやったのは儂じゃぞ」


「うぐ、確かにそれはそうだけど……」


 そう言われてしまうと、返す言葉がない。


 新卒で入った会社をたった一年で辞めて自暴自棄になって、しこたま酒を飲んだ昨夜。

 終電を逃した俺はふらふらと歩いている最中に神社に迷い込み、この化け猫に出逢ってしまったのだった。


「昨夜はあんなに意気投合したというのに、酔いが覚めたら冷たいのぉ」


「……昨日は色々あったんだよ」


 ブラック会社だった。上司にいびられ、朝早くから終電まで働かされ、身も心もボロボロだった。心も病んだ。


「じゃが、もう辞めたのじゃろ? ならハッピーじゃないか。さあ、嫌なことは忘れて、今を楽しく生きようじゃないか。こうして美少女猫ちゃんと同棲もできるのじゃから」


 ぴょんと、跳ねてタマさんは手を招いて見せた。(これがどうやら決めポーズらしい)


「だから、俺は猫は嫌だってんの! タマさん。あんたが新しい家を探してるってのはわかったけどさ、どうせなら猫好きの奴んところに行ってくれや!」


「んー。儂は猫好きの人間って苦手なんじゃ。あいつら、キモくない? 言葉が通じないのに勝手に猫の気持ちを代弁し始めたり、見当違いのことをさも『猫の気持ちが分かってます』風に抜かしたりするじゃろ。それに、赤ちゃん言葉とかで話しかけてくるのもキッツいからのう。何度か猫好きの人間のところにやっかいになったが、もううんざりなのじゃ」


 吐き捨てて再びチロチロとミルクを飲み始める。うんざりなのはこっちなのだよ。


「それに、もし仮にお主が猫アレルギーだとしても、こうして人間の姿になっておれば問題あるまい」


 ニカっと微笑む少女の頭部に飛び出る二つのケモノの耳がピョコッとお辞儀をして、おしりから延びる長い尻尾がうねうねと動いた。

 俺は頭を抱える。


「てかさ、あんた400年以上生きてるマタタビなんだろ。人間に変化できるってのはいいとして、なんで人間の姿がそんなに幼いんだよ。どう見ても小学生か中学生じゃないか」


「にゃはは。この姿の方が都合がいいからの。人間どもは美少女には優しいからの」


 ロクでもねえ猫だ。


「ん? そうかそうか、お主も男だものな。儂の麗しいこの美少女ボディに欲情してしまっておるのか? 仕方ないの、乳でも揉むか?」


 上半身をくねらせてタマさんがポーズをとる。元が猫だけにその動きはしなやかで艶かしいものだったが、胸もない子供の姿だ。


「よしてくれ。俺はロリコンじゃねえ」


 そっぽを向いて答える。するとタマさんは、けらけらと笑った。


「それはよかった。じゃあ、お主の子を孕まされる心配はないわけじゃな」


「化猫とそういうことをする気はねえよ」


 突然何を言い出すんだ。まったく冗談じゃない。


「にゃはは。前に一緒に暮らした人間も始めはそう言っておったわ。すぐに手を出されたがの」


「……マジ?」


 ドン引きだ。こんな子供に……っていうか化猫に手を出す人間がいるとは。どんだけ飢えてんだ。


「ま、儂もちょうどがっつり発情期に入っておったからの。簡単に孕んでしまったわ」


 コロコロと楽しげに笑うタマさんだけど、こっちゃドン引きよ。引くわ。


「……ったく。猫ってやつはよくわからん。俺はそんなことしねーよ」


「ってことは、ここに儂が住むことに関しては了解したってことじゃな?」


 にひひ、と八重歯を見せてタマさんが笑う。


 だめだ。この猫は猫のくせに口がうまい。


「ったく。わぁったよ。仕方ねえな。次の家が決まるまではいてもいいよ。その代わり、早いとこ次を見つけて出てってくれよ」


「にゃはは。かしこまりじゃ。まあ短い間になるやもしれんが、よろしく頼むぞ」


 ご機嫌でふんぞりかえる化猫の前で俺は肩を落としてため息をついた。





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