1. 桜井悠

 緑色は精神に落ち着きを与える——と一山いくらのネット記事で読んだ記憶があるが、この延々と続く山道は私に苛立ちしかもたらさなかった。それにもう、辺りはかなり薄暗い。対向車が来たら到底すれ違えないような、この獣道をギリギリ上回る程度の広さの道は当然のように舗装などされておらず、先ほどからハンドルを手放しそうなくらいに揺れて跳ねて、何度も舌を噛みそうになっている。舌を噛み切って死ねるならそれもよいけれど。


「どうして私が、こんな山奥まで……」

 言っていても仕方がないが、言わずにはいられない。ハンドルにかじりつきながら泣きそうになる自分を励ます。今泣いたら本格的に事故る。死ぬのであれば確実に死にたい。


 ふと気づいたときには、私の人生は山道よりも意地悪くうねっていて、どこからやり直せば人並み程度に真っ直ぐになれたのか、もうわからない。


 初めて本当に好きになった人があいつでなければとか。

 あいつにあんなにお金を渡したりしなければとか。

 あそこからあれほどお金を借りなければとか。

 あんな親から生まれなければとか。

 せめてもっと勉強しておけばとか。


 たくさんの選択ミスとそれに伴う後悔は嫌というほど背中に積み上がっていて、一言発するごとに、何かをしようとするたびに、私から自信という自信を奪っていく。何をしていても誰かに否定されるのではないかと怯え続けた私は職業選択の自由を自分の過去に奪われ続け、さまざまな失敗と叱責と嗚咽の果てに弱小週刊誌の雇われライターとして何とか日々の糧をかき集めている。フリーライター、桜井悠。それが現在の私の肩書き。


「こういう場所で死んだらいいのかな……」


 死にたい気持ちは日に日に募り、眠るために必要な酒と薬の量も日増しに増して、私のバランスはジェンガの最終局面よりもきっとぐらついていて。

 けれどこんな人生の最後の最後まで痛かったり苦しかったりするのも嫌だから、なけなしの勇気を振り絞って編集長に直談判し、この噂に縋り付いてみたのだけれど。


「編集長のあんな顔、初めて見たなぁ……」


 少しだけ溜飲の下がる思いがしたところで、景色が急に開ける。


 村というよりは集落といった方が正しい。言葉を選ばなければもはや秘境だ。外周のほとんどを森に囲まれ、ぽつりぽつりとくすんだ色の家屋が点在するだけの空間。道らしい道はなく、家の周囲も家と家の間も下草が生え伸びるに任せている。敷地面積でいえば、運動場が収まりきらない程度しかなさそうだ。しかしそんなところなのに——結構な数の人がいた。


 駐車場らしき場所に車を停める。こんな小さな集落に駐車場があるのも驚きだが、停まっているのが一台や二台ではないのも驚かされる。車を降りてあたりを見渡すと、他の場所よりも少しだけ高くなっている丘のようなところに、他の家よりも少しだけ立派に見える住居があった。


「あっあの……あれが、あいな様の家ですか?」

「ええ、そうですよ」


 喉から声が出てこず、五人ほど見送ったのちにようやく声をかけた若い女性は、優しい声でそう答えてくれた。東京で過ごす私の日常では決して聞くことのない、落ち着いた声音。他者への思いやりもあるのだろうが、どちらかといえば彼女自身が不安から解放されているかのような。


 道行く人を眺めてみれば、誰もが彼女と似通った雰囲気を持っている。清流のように気持ちの良い透明さ。その奥にある確かな——絶望。

 全てを諦め切ったからこそ生まれる透徹。

 それは私にとって、とても羨ましい在り方だった。

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