-幸福症候群-

綾繁 忍

0. とある研究者

 ——巷で感染が広がっているユーフォリック症、俗に「幸福症候群」と呼ばれる病気ですが、具体的にはどのような状態を引き起こすのか改めてお伺いしてもよろしいでしょうか。


「そうですね。これは人類史にない極めて珍しい症状を見せる疾患です。疾患、といってもまだ研究はほとんど進展していないというのが実情なのですが……まず第一に、罹患したとしても自覚できる苦痛というものはほとんど発生しません。なので罹患したのかどうかを初期段階で見極めることが非常に難しい。しかし日に日に病状は進んでいきます。どういうわけか、罹患者の主観的な幸福度合いとでも言うべき感情が……上昇していくのです。その一方で、一日に起きていられる時間は徐々に短くなっていきます。そして個人差はありますが、最終的には——とても幸せそうな、満足げな表情を浮かべながら、死んでいきます」


 ——聞けば聞くほど不思議な病気です。本当に幸福な気持ちになっているかどうか、といのはどうやってわかるのでしょうか。


「近年開発された睡眠時脳活動測定装置、通称ドリームキャッチャーという商品を用いると、睡眠中の夢見の状態がわかります。調べた限りではほぼ全ての罹患者において幸福に満ちた夢を見ているようで、そのレベルとしては人生最大級といっても差し支えないほどです」


 ——それだけお伺いすると、不謹慎ながら羨ましくも感じてしまうのですが……その夢の中身についてもう少し詳しく伺ってもよろしいですか?


「包み隠さずに言えば、この夢については万能と言わざるを得ません。主観的な時間感覚ですので、本人が望む内容に合わせて一秒が一時間にも一年にもなりますし、どのような体験も生み出します。一足飛びに幸福感だけを得ることもできますし、逆に山あり谷ありのストーリーとして充実感を得ることもできます。そうして罹患するまでの人生において望んだ全ての願いを叶えた上で、もうこれ以上ないというほどのタイミングで、静かに息を引き取るのです」


 ——なるほど……ちなみに、現在発症者数はどの程度なのでしょうか。


「現在は世界で累積四百万人、日本国内で一万人ほどになりますが、徐々に1日あたりの発症者数が増加しています。また、これは考えたくない仮説なのですが……どうも社会情勢にとってマイナスな出来事が起きると発症者数が跳ね上がる傾向が確認されていまして……さらに言えば、社会的に不幸な層ほど、発症者数も死者数も大きくなっているようなのです」


 ——と、いうと?


「メカニズムは完全には明らかになっていないのですが、人生への絶望が深まるほど発症率が高まる可能性があります。死にたいという気持ちが強いほど、人生最高の幸福が約束された最期が近づいてくる。これが救いなのかどうか、私には判断することはできません。しかし今の時代は社会不安が高まりこそすれ、将来が安泰という人の方が少ないでしょう。となると今後も罹患者数が増える可能性があります。そして私には、この病気の治療法を見つけることが、必ずしも世の中にとって良いことなのか——いえ、失礼しました……忘れてください」


 ——ありがとうございました。



✳︎✳︎✳︎


※付記:本インタビュー実施から四日後、インタビューを受けた研究者の真柴雄司氏は交通事故により死亡している。

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