第6話 子犬に会いに行ったら


「ねえ、榊原君……もう一つ、お願いがあるんだけど?」


 弁当を食べ終わった後に、篠崎が上目遣いで言う――その後の台詞は、俺にも何となく予想がついた。


「あのね……ワンちゃんと遊びたいから、榊原君の家に今日行っても良いかな?」


 予想通りの台詞に――俺はちょっと考える。


「いや、今日もバイトがあるから家に帰るのは十一時半だし……俺の家に来るなら、土曜日にしないか?」


 土曜日もバイトはあるが、学校は休みだから――篠崎の相手をするくらいの時間は取れる。


「うん、解った……榊原君、約束だからね!」


 嬉しそうに笑う篠崎の眩しさに――俺の心臓がドキドキと五月蠅く鳴る。いや、そう云うのは面倒だからさ……そんな事に構ってる余裕なんて無いだろ?


「え……榊原君、どうしたの?」


 戸惑っている篠崎――きっと俺が目を背けたからだ。だって仕方が無いだろう……俺には無邪気に笑う篠崎が眩し過ぎるんだから。


「何でもないよ……約束は守るし。明日の昼休みは、一緒に勉強するんだよな? でも、あんまり酷かったら……俺は容赦しないからな?」


「えっと……よろしくお願いします!」


 精一杯に頭を下げる篠崎が――可愛いと思ってしまったけど、仕方ないよな?


 そんな風に自分に言い訳して……その日の昼休みは終わった。


※ ※ ※ ※


 そして、次の日である金曜の昼休み――篠崎の学力の低さは、俺の予想を遥かに超えていた。


「おまえさ……高校に入ってから、全然勉強してないだろ?」


「え……でも、最初の夏休みまでは、それなりに頑張ったよ?」


「へえー……たった四ヶ月で、偉そうなことを言うんだ?」


 俺が冷徹な視線を向けると――篠崎は震え上がる。


「いや、自分がサボってた事は自覚してるよ……榊原君……ううん、榊原様! 私に勉強を教えてください!」


 土下座する勢いの篠崎を――図書館にいる他の生徒の迷惑を考えて俺は止める。


 でも、ここまで学力が低いと、どうすれば良いか……俺と一年はレベルが違う。いや……一年か?


「ああ、そう云う事か……解ったよ、篠崎。俺はおまえを一年生だと思う事にするよ」


「え……それは、さすがに失礼じゃない?」


 文句を言い掛けた篠崎を、俺は冷徹な目で睨む――そんな事を言える成績じゃないだろう?


「はい、そうですよ……榊原様! もう降参するから、許してよ!」


 篠崎は素直だから――救いようはある。それに一学年下の相手を教えるのは俺にも経験があった。


「うん……凄く解り易いよ! 榊原君て、教えるのが上手だよね!」


「いや……喋る暇があったら、もっと頑張れよ。明日からはもっと……徹底的にやるから」


「え……榊原君、本気で言ってる?」


「ああ、全力で本気だ……」


「……あ、でも、明日は土曜日だし! お勉強は休みだよね?」


「いや、おまえ……うちに遊びに来るんだよな? だったら……徹底的に教えてやるから、覚悟しておけよ……」


「はい……」


 何となく懐かしく思うのは――中学受験のときに、一歳年下の従妹の勉強を見ていたからだろう。篠崎は甘いことを言っているが……あの頃は二十四時間体制で、従妹の勉強を教えていたんだけど?


※ ※ ※ ※


 そして翌日の土曜日――篠崎が俺の家にやって来た。


 住所は教えたから、googne Mapで調べたら簡単に辿り着きそうなものだが……篠崎は約束の二十分後にようやくやって来た。


「遅れてごめんね。でも……最近のgoogne Mapの精度が落ちたから、仕方ないよね?」


「それが解ってんなら、先に調べておけよ……社会人になったら、遅刻は厳禁だからな?」


「うん、ごめんなさい……」


 素直に謝るところが篠崎の良いところだと、それ以上小言は言わずに俺は篠崎を迎え入れる。


「……わん!」


「……ワンちゃん、めっちゃ可愛い!」


 子犬を見た瞬間、篠崎がデレまくり使い物にならなくなるが――まあ、仕方ないだろうと諦めて、暫く放置する事にする。


 俺のうちの庭で、子犬と戯れる篠崎を眺めること小一時間……無邪気な篠崎が可愛いと思ってしまうが、俺は頭を振って、そんな思いを打ち消す。


「あのなあ、篠崎……そろそろ、勉強を始めないか?」


「えー……もう少しだけ! 榊原君は毎日会えるから良いけど……私は今日しか会えないんだから。こんな可愛い子に……メロメロになるのは、仕方ないよね?」


「まあ、そうだが……」


 一瞬、自分が頷いてしてしまった事に――大いに反省する。


「篠崎……大学受験に全部失敗して、二浪くらい覚悟するならそれでも良いけどな?」


「え……二浪って? 私の成績、そんなに駄目なの?」


「ああ、今の状態なら覚悟しておけよ。前に教えた中学受験の従妹とトントンか、もう少し低いレベルだな」


「え……本当に? そんなに私の成績ヤバいの?」


 篠崎は真っ青になるが――現実を教えてやる必要がある。


「まあ……従妹が受けた中高一貫校は、それなりのレベルだけど。篠崎の成績はかなりヤバいって、自覚した方が良いぞ? で……どうする? 真面目に勉強するなら、サポートしてやらない訳じゃないけど?」


「お、お願いします、榊原様……」


 土下座する篠崎――子犬も一緒に頭を下げてるように見えるのは、気のせいだろう。


「解ったよ……本気でやるなら、俺に余裕があるうちは教えてやるよ」




 そんな風に俺と篠崎と子犬が戯れる庭を――隣りの家から彼女・・が見ている事に、俺は気づいていなかった。


「え……颯太そうた。これって……どういう事?」


 幼馴染がこのとき何を想っていたのか……俺には知る由もなかった。


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