2020.09.21九州大学文藝部三題噺

九大文芸部

「人生最後の日」「回覧板」「僧侶」 作・俗物

とある田舎の村の話です。仮に八つ墓村と名付けましょう。そこは令和の御代においても、いわゆる「古き良き時代」が続く一種の桃源郷みたいな村でした。現世から隔絶されたこの村に、私はやってきました。ああ、そうそう、私とは何者かであるかを説明せざるを得ないですね。まあ、私は一介の大学教員の端くれであって、いや大して名乗る必要もないほどの仕事なのかもしれませんが、その、歴史学的なものを研究していました。ここで、「いました」という過去形を使う理由には、まあ、訳があるのですが後で話すことといたしましょう。

 私が八つ墓村にやってきた理由は、簡単に言うと里帰りみたいなものであるわけです。私の母は早くに亡くなっていたのですが、その母の両親、つまり私の祖父母はこの八つ墓村に暮らしていました。祖父母はもう亡くなってしまっているわけで、その墓参りでもしようかと思って来たわけです。

 村に一つの宿泊施設である民宿に宿を取り、母から聞いていた墓がある寺、安楽寺というそうです、その場所を宿の女将さんから聞きました。ですが、宿に着いたのは水曜日の夜、もう遅いので明日にしようかと思いました。

「すいません、ここって禁煙でしょうか?」

「申し訳ないですが、最近法律が変わりましてね。外に灰皿用意していますから、お外でどうぞ」

「ああ、そうですか、失礼いたしました」

そんな女将さんとのやり取りの末、私は民宿の外でタバコを一服しました。夜空を見上げると、そこには空一面に星が広がっていました。そしてそのあまりにも残酷で美しいプラネタリウムは私の心を揺さぶるには十分でした。

「あれは大三角、あれはオリオン座……懐かしいな」

独り言を呟きながら感傷に耽り、色々と現世における雑務を思い返しました。自然と手には力が入り、吸っていたタバコの先から、灰がぽろっと落ちます。

「よだかの星ってのもあったよなあ……俺もよだかみたいなもんか」

 色々な感傷は留まることを知らず、タバコは二本目に突入します。そういえば、私が持ってきたボストンバッグの中に入れてある大事な荷物は無事か、どうか。まあ、あの人の好い女将さんがどうこうするとも思えないですが。そのとき、私を民宿の中から見つめてくる女将さんには気づくこともありませんでした。

 それから三十分弱ほどでしょうか、宿に戻ると女将さんがこう言いました。

「本来ならお先にお食事用意するべきなんですが、隣に回覧板を回してきても良いですか? なにぶん小さな村でしてね……こういう付き合いも大切なんですよ」

「ええ、私は構いません。部屋で休んでおきます」

「ありがとうございます」


 それから五分ほどして女将さんが戻ってきて、私は最後の晩餐に相応しいといってもいいほどの美味しい料理を頂きました。素朴な田舎の料理ではありましたが、どこか懐かしく心が温まる料理でした。

「美味しかったです」

「ありがとうございます。お風呂も沸かしてありますのでいつでもどうぞ」

「わかりました。ところで、明日、安楽寺はいつ開くのでしょうか?」

「あそこは今和尚さんがちょうど隣村の葬儀でいらっしゃらなくて……明日夕方には戻ると思いますけど……そんなにお急ぎにならなくても」

「ええ、まあ和尚さんにお会いできずとも、墓さえ行ければいいのです」

「そうですか……まあ、良いとは思いますけど……」

「ええ、だからいいんですよ」

 なんとなく気まずい空気のまま、食事を終えた私は部屋に戻りました。すると、バッグの位置が少しずれているような気がします。まさかと思いましたが、どうせ明日になれば終わりですから、気にせず風呂に入り、そしてその日は眠りました。


 翌朝、これまた美味しい朝食を頂いた私は女将さんにお礼を伝えて民宿を出ました。とは言っても、外に出て気づいてしまったのです。私としたことが、お寺の場所を聞くのを忘れてしまいました。仕方ないので、田んぼで作業している壮年男性に話を聞きます。

「安楽寺はどこでしょうか」

「安楽寺? ああ、あっちじゃあっち」

「あっちとは?」

「だから、その二又になっとる坂を右に下ってつり橋を渡った先じゃよ。結構あるから気を付けて行きなされ」

「ありがとうございます」

 親切な壮年男性の言葉に従い、二又の坂道を右に下ったはいいものの、いつまでたっても橋も寺も見えてきません。私も暗い研究室暮らしが長いものですから、体力には自信もなくあっという間に額に脂汗が浮かびました。どれほど時間がたったかと思えば、腕時計に依ればもう昼前でした。もうひと踏ん張りだと、歩き出しました。そうすると、今度は民家が見えてきました。恥ずかしながら私がちょうど用を催していたのもあり、御手洗いを借りることにしました。

 そこの家主は八十代ほどの女性でとても親切にして頂きました。

「せっかくなのでお茶でもどうですか?」

「いえいえ、お気遣いなく」

「大学の先生なんですってね、すごいですわねえ」

「いえいえ、私なんて大したものでは……」

「私の息子も……」

 こんな調子で女性の息子自慢に付き合わせられること二時間。私自身、話好きということもあってついつい延びてしまいました。

「ああ、ではそろそろお暇を」

「そうですか、残念だわ」

「あの失礼ですが安楽寺はどちらに?」

「それでしたらあなたが来られた道を戻って二又の坂を反対に上っていってください」

「え? 私はこちらの道を下って行けばいいと聞いたのですが」

「あらやだ、そんなこと言うのは太助さんかしらね。あの人忘れっぽいのよ。もうこの家からちょっと行った先には橋があったのだけど、何年も前に大雨で流されたのよ」

「そうだったんですね……」

「代わりに上流から渡れる新しい橋を作ってね、それが坂道を登っていくルートよ」

「ここからどれくらい時間がかかるのでしょうか?」

「そうねえ、三時間は見ておかないといけないかしらね。なにぶん山道が入り組んでいるから」

「は、はあ」

 げっそりと、がっくりとした気持ちのまま私は歩き始めます。運動不足の大学教員には厳しい道ではありますが、何とか夕日が傾き始める頃には目的の安楽寺にたどり着きました。まだ、寺の庫裏には明かりも無く、和尚は戻っていないようです。

「別にいいでしょう」

そう呟きながら隣接された墓地へ向かいます。そして、自分の祖父母の小さい墓を見つけるとそっと手を合わせました。バッグから用意した線香に火を付け、私はポツリと語り始めました。

「もう俺は生きていくのに疲れたんだ。母さんは俺のことよく世話してくれたけど、四年前にもう亡くなってしまった。父さんは幼稚園の頃にどこかいって以来会ってない。顔も覚えちゃいない。俺は今の大学でやっていくことが非常にしんどい。過剰な量の業務、理不尽な上司、講義を聞かない生徒たち、どれもこれもが目障りだ。俺はもうそろそろ全てを投げ出したいんだ。だから、俺は今日ここで命を絶つことにしようと思う。つまり、人生最後の日にしたいんだ」

 私はバッグからほぼ同じ内容、しいて言えば上司に当たる研究者への恨み言がふんだんにつまった遺書を墓に添えました。そして、ずっと持っていたナイフを取り出すと……

「待て!」

 背後から野太い男の声がしました。振り返るとそこにいたのは袈裟を乱しながら息も絶え絶えに走ってきたのであろう僧侶がいました。僧侶の後ろから次々に村人たちが現れます。まるで本当の八つ墓村のワンシーンのようです。後ろには女将さんや壮年男性、あの年配女性までもいます。

「みなさん、どうして……」

「ゆうべ、女将さんが回覧板で知らせてくれたのよ」

そう、年配女性が言います。それを、壮年男性が引き取って、

「ああ、だから俺たちは君を死なせないため、君がこの寺に来るのを邪魔したんだ」

「そういうことだったんですね」

女将も続けます。

「本当はいけないことだとわかっているんですが、お客様のバッグの中身を見てしまったんです。だっておタバコを吸われてる時からそういう目をしておいででしたから」

「ええ、でも、いったいどうして? この村とは一切関係ない都会の男が自殺することくらい放っておいてもいいではないですか」

「それは違います」女将がきっぱりと断言します。

「少なくともあなたはまだ死んではいけないんです。和尚さんときちんと話してください。だってあなたは……」

「女将、あとは私が話します」

そう言うと、和尚は重い口を開きました。そしてまず、深々と地面にもろ手と両ひざをつき私に土下座をしました。

「すまなかった。我が息子よ……」

「あなたが、俺の……」

「そうだ、昔、私はお前と妻を裏切った。本当に人として許されない行為をした。妻には借金を残して逃亡した。そのあと、十年ほど経って私は仏の道に入ることにした。許されることなどないと思いつつも、償いたいと、仏の慈悲にすがりたくなったのだ。それから間もなく、この村のことを知った。お義母さんとお義父さんたちがこの墓で眠っていることも聞いた。それから無人寺になったこの寺の住職として、ここで生活をした」

 私は頭をぶん殴られたような気持になりました。衝撃から何も言葉を紡ぐことが出来ません。

「四年前の事だ。妻が亡くなる前に、ここに来て墓参りをした。その時妻と再会して、もうあいつが長くはないことも聞いた。そして、陰ながらお前を見守ってくれと頼まれた」

「じゃあ、じゃあ、なんで……なんで今まで連絡の一つもくれなかったんだ!」

 つい、私にはあまり似つかわしくない大声を上げてしまいました。

「新聞等でお前の学者としての活躍を聞く限り、順風満帆だと思っていたからだ。邪魔をしてはならんと思ってな。だが、そんなに苦しんでいたとは……気づかなかった私は僧侶として父として失格だ」

「そんなことないですよ!」

女将も口を挟みます。

「いつも息子さんの名前を私達村人に自慢していたじゃないですか。だから今回もてっきりお父さんに会いに来たのだと思ったのに」

「もう、いいんだよ。俺を楽にしてくれよ!」

 私はナイフを自分の喉元に突き刺そうとしましたが、出来ませんでした。ただ、泣きながら涙でぐしゃぐしゃになりながら嗚咽を上げることしか出来なかったのです。

「もう、やめてくれ。ほら、お義父さんたちの墓の隣を見てくれ。そこには母さんも眠っている」

 そう、隣には小さな新しい、よく手入れがされている墓がありました。そこには私の母の名前が彫ってありました。先ほどまでの視野が狭くなっていた私には気づかなかったものです。その墓を見たとき、父の母への思いも伝わってきて、私のなかのどす黒い靄が晴れていくのを感じました。

「この村はお前にとって新たな故郷だ。だからいつでも帰ってくるといい。だから、だから、死ぬんじゃない」

 私は父の言葉に言葉で返すことは出来ませんでしたが、ただただうなずきました。もう、そのころにはとっくに陽は沈み、辺りには一面の星空が広がっていました。私はこのとき、ある意味で人生最後の日を迎え、そして新たな生を迎えることが出来ました。

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