第29話 アイカ先生

 新しい世界に降り立った私が最初にした事は、この世界の言葉を理解しようとしたことだったのだ。勉強は好きだったので時間はかかったけれど、一か月くらい経つと簡単な会話のキャッチボールも出来るようになっていた。文法は英語に近いような感じだったので単語さえ理解できれば何とかなったのだ。文字も独特ではあったけれど、日本語のように漢字と平仮名と片仮名が入り混じっているわけではなかったので、この世界の五十音図を手に入れてからは読み書きは出来るようになっていた。読み書きが出来るようになった時にはその辺にある本も読めるようになっていたので、そこから先はこの世界の言葉を勉強するのが楽しくて仕方なかった。


「お嬢さんはこの世界に転生したんだろうけど、これからどうするんだい?」

「さあ、この世界は私が思っていた世界とは違って争い事も無いみたいですし、せっかくならこの世界の事を学びたいと思ってるんですけど、どうしたらいいですかね?」

「そうだね、近々お嬢さんたちの為の職業訓練所が出来るみたいだから、そこに行ってみるといいんじゃないかな?」

「そうなんですね。私はこの世界の事をもっと学べるような仕事を紹介してもらえるといいな」


 それから数週間経って職業訓練所がオープンしたのだけれど、私以外に訪れる者はいなかった。

 大々的にチラシを撒いたり看板を建てたりと広報活動はしていたようなのだが、私以外に転生者がいなかったのか誰も集まっていなかった。


 平屋家屋の多いこの街に五階建ての建物があるのは目立つと思うのだけれど、私以外に訪れている者はいなかった。


「ようこそいらっしゃいました。お客様はこの職業訓練所に訪れた最初のお客様ですし、いくつかアンケートにご協力いただいてもよろしいですか?」

「ええ、それは構いませんけど、他に誰も来ていないんですか?」

「そうなんですよ。あれほど大々的にビラを撒いたり看板を設置してみたりしたのですが、お客様以外の転生者の方は興味が無かったみたいで誰もやってこなかったのです。何がいけないんでしょうかね」

「転生者に向けたビラや看板なんですから、それを見た転生者はここを訪れると思うのですが、それが一向にやってこないのですよね。近くに転生者の方が数名いらっしゃるのはわかっているのですが、この街は衣食住に困る事も無いようになっているのでそれで満足なさっているんでしょうかね。本当に困ったな」

「近くに転生者の人達がいるんなら私が話を聞いてきましょうか?」

「お願いします。我々は転生者の方と上手く話をすることが出来ないみたいですし、よろしくお願いしますね」


 私は職業訓練所を出て転生者の集団を探したのだけれど、この建物の様子を不審そうに見ている集団が目に付いたので、何となくそうなんだろうなと思いながらも話しかけてみる事にした。


「すいません。転生者の方ですか?」


 その集団は私の問い掛けに少し怯えているようだったけれど、その中の一人が私に日本語で話しかけてきた。そう言えば、この世界に転生してから日本語で会話をするのが初めてのように思えた。


「あの、お姉さんも転生者の人ですか?」

「ええ、そうですけど。皆さんも転生者なら職業訓練所の中に入らないのですか?」

「職業訓練所?」

「はい、皆さんが今見ている建物が職業訓練所なんですよ。ほら、看板にも書いてありますし、このビラにだって『転生者向けの職業訓練所開設致しました』って書いてあるじゃないですか」

「ちょっと待ってください。お姉さんってこの世界の言葉がわかるんですか?」

「完ぺきではないにしてもわかりますよ。一か月くらい勉強してましたからね」

「勉強、その発想はなかったな。よかったら私達にもこの世界の言葉を教えてもらえませんか?」

「いいですよ。困った時はお互い様ですからね。まずは、文字の読み書きから始めましょうか。そうだ、職業訓練所の部屋を借りれないか聞いてみましょう」


 私は外でかたまっていた四人を連れて中に入ったのだけれど、みんなオドオドして少し挙動不審になっていた。受付の人に相談すると、オープンしたばかりで余っている部屋がたくさんあるので自由に使っていいとの事だった。

 私は四人にこの世界の言葉を教えることになったのだけれど、同時にこの世界の住人にも私達が使っていた日本語を教えることになった。転生してきた四人とこの世界の住人四人で勉強していたおかげなのか、私が独学で学んだ知識はあっという間にみんな習得していた。十日も経てばみんな文字の読み書きと簡単な会話位なら出来るようになっていた。


「アイカ先生のお陰で私達もこの世界に馴染むことが出来そうです。それにしても、この街は衣食住に困らないってのは親切だけど不親切でもありますよね」

「不親切?」

「ええ、働かなくても困らないんですから、この世界で何かしなきゃって気持ちにならないんですよ。それに、転生させるなら言葉もわかるようにしておいて欲しいですよね」

「なるほど、そう言われればそうですね。我々も皆さんの言語を理解していなかったため円滑なコミュニケーションをとることが出来ませんでしたからね。この世界はようやく安定してきて転生者の方を迎え入れる準備が出来てきたのですが、まだまだ迎え入れる体制も不十分だったという事になりますし、要検討ですね」

「それなんですけど、転生する先をこの建物にする事って出来たりしますかね?」

「それは可能だと思いますけど、どうしてですか?」

「何も知らない状況でこの世界に転生されたとしても、ある程度の道しるべがあった方が転生者も受け入れ側もメリットがあると思うんですが。それに、いきなり街中に放り出されるのって不安の方が大きいんですよ」

「確かに、それをこの転生者管理委員会の方に伝えておきますね。それが上手くいけばこの職業訓練所はこの世界になくてはならないものになりますね。アイカ先生の提案のお陰でこの世界は転生者の為により良いものになると思いますよ。そうだ、来週にはそれぞれ個人に相応しい職業を斡旋する施設もオープンしますので、それまでに何とか話を付けてきますね」


 授業も終わってみんなと食事をとっていると、他愛もない会話からそれぞれの目標や夢が語られていた。私はこれといった夢なんかは無かったのだけれど、この世界の事を学ぶのは面白かったので、出来るなら学者になりたいなと思っていた。

 生徒の子たちはせっかくの異世界転生なので剣と魔法を使ってみたいと言っていたのだけれど、争い事の無いこの世界に剣と魔法が必要なのかは疑問だった。この世界は数十年前にある天使によって統一されたようなのだが、そのあたりを詳しく解説した書物は無かった。この辺りにない資料なども中央法王庁に行けばあるらしいのだけれど、この街からは結構な距離があるみたいだし、途中には危険な場所もいくつかあるみたいだった。

 そんな事を話していると、生徒たちが目を輝かせて言ってくれたのだ。


「私達がアイカ先生をそこに連れて行くよ。何だか冒険らしくてワクワクしてしまうよな」

「うん、俺もアイカ先生の力になれるなら協力するよ。俺はこの国最強の剣士になって守って見せるからね」

「私は傷付いた時に癒してあげられるようになりたいな。看護師になるのが夢だったからさ」

「俺は空手を習っていたんだけど、自分の技がどのくらい通用するか試してみたいかも。もちろん、アイカ先生を守るのが一番の使命だけどね」

「私は、みんなのサポートが出来ればそれで満足かも。戦うのとかはちょっと怖いしね」


 結果的に、四人とも希望する職に就くことが出来ていた。それぞれの適性に合った相応しい職業が選ばれるらしいのだけれど、私だけはそこに入っても何の変化も無かったのだ。


 剣士になりたかったタケルは無事に剣士になり最強を目指し。

 看護師になりたかったミドリはメディックになっていた。

 空手家のサイチは武闘家になって拳を鍛えるようだった。

 サポート役になりたいメグミは精霊遣いになっていた。


 私だけなににもなれなかったのだと思っていると、聞きなれない声が私に話しかけてきた。


「安心してください。あなたはすでに学者としてこの世界で功績を積んでおります。それ故、あなたは学者として登録されているのです。これからはあなた自身で多くの事を学び、それを後世に伝えてくれることを期待していますよ」


 学校の勉強はそれほど得意ではなかったけれど、学ぶことが大好きだった私は無事に学者になることが出来た。正確に言うと、いつの間にか学者になっていたのだけれど、その事を伝えると、転生者の四人だけではなく職業訓練所の職員の人達も喜んでくれていた。


「私達もこれからはアイカ先生に教わったことを教訓にして転生者の方たちと向き合っていきますね。この職業訓練所が今よりも良いものになるように努力いたしますので、皆さんもこの世界を十分に堪能してくださいね。今は平和な世の中ではありますが、いつの日か唯一神を名乗るものが襲ってくるとも限らないのですからね」

「ああ、伝承にある世界を支配しようとした神の話ですね。大丈夫ですよ。この子達は私と違って戦闘の才能が底知れないですからね。すでに、この辺りでは敵無しになってますからね」

「うん、私達はアイカ先生のお陰で強くなれたと思うんだよね。アイカ先生に出会えなければこの世界でただ暮らすだけだったと思うし、困った時があったらいつでも頼ってね」

「何言ってんだよ、戦うのは俺とサイチだろ」

「でもさ、俺たちが気兼ねなく戦えるのってミドリとメグミのサポートがあるからだろ」

「そうよ、二人とも私達と私の精霊に感謝しなさいよ」


 今は冗談を言い合っているようにしか見えない四人ではあるが、将来的に侵略者を退け続ける無敗の戦士たちとなる事はこの時誰も知らなかった。が、それはまた別のお話である。


「寂しくなりますが、アイカ先生の残してくれた翻訳ノートを元にこれからも転生者のサポートをしていきますので、アイカ先生たちもどうかお達者で」

「ありがとうございます。困ったことがあったらいつでも頼ってくださいね。出来るだけ早く駆け付けますからね」

「俺たちもいつでも助けにきますよ。お世話になったご恩は絶対忘れないですからね」


 私達はある程度の食料と水を持って中央法王庁へと向かっていった。道中に怪物の集団がいたりもしたけれど、相変わらずこちらから攻撃しなければ隣で寝ていても何もしてこなかった。この世界の怪物は敵対行動を取らない限り襲ってくることはなかったのだ。もし戦って負けたとしても、どこからともなく現れた神によって生き返らせてもらえるので、四人が時々腕試しに襲って負けているのも日常の一コマになりつつあった。


 予想していたよりは早く中央法王庁に着いたのだけれど、この時の中央法王庁は十二か所ある法王庁の派閥争いで荒れていた時期であり、私を温かく受け入れてくれる雰囲気ではなかった。

 それでも、私はその中にある書庫を自由に使う許可を得て、何年もの時間をかけて書物を読み漁った。中には見たことのない言語で書かれている者もあったけれど、色々な資料を見ているうちに全ての言語が理解出来るようになっていた。

 色々とあった法王庁同士の対立の原因や思想の違いなどをすり合わせていくと、最終的にはどの法王庁も納得してバラバラだった組織を統一することが出来るようになった。

 この頃になると、四人の生徒たちも活動範囲を広げており、世界中に散らばっている法王庁を巡る旅に出ることになっていた。


 私は生徒たちと別れてこのまま残された書物を読み漁る日々が続いていくのだけれど、この世界を創りかえた存在に出会った事で、私の中に新たな探求心が芽生えて冒険の旅に出るのだった。

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