コカトリス・フリッター 3


 乗り換えてからさらに一時間後。四人はクレイヴンの側の駅に降り立った。壁も屋根もない無人駅だった。半ば崩れた石の柱が何本か残っていて、それが不気味さを増幅させている。一般人がうっかり紛れ込んだら、恐怖スポットとして脚光を浴びたり、都市伝説のひとつとして流布されたりするだろう――その人が生きて戻れたら、の話だが。

 すぐ目の前に木々が鬱蒼と茂る山があった。二月にもかかわらず雪はひとかけらもなくて、風もどこか生暖かく薄気味悪い。空も妙にくすんだ青色をしていて、雲はないのに曇っているような閉塞感があった。


「ここがコカトリスの住処です。他にも何種類か魔性生物が生息していますが、今はコカトリスが幅を利かせている季節なので、出てこないでしょう。植物はマンドラゴラ、タボルティコ、ピオニーもどきなどが特徴的ですかね」


 それを聞いたダニエルが「猛毒のやつばっかじゃん」と顔を青くした。


「では、入る前に準備を整えましょう」


 師匠は朽ちかけた石のベンチの上にスーツケースを開いた。

 最初に取り出したのは小さな瓶だった。中には薄いピンク色の液体が入っている。


「石化の治療薬です。万一コカトリスの尾に噛まれた場合は、すぐにそれを飲むこと。本人が飲めない状況にある場合は、周りの誰かが飲ませること。良いですね」

「石化したら戻る方法ってないの?」

「ありますが、時間が掛かります。最低でも一週間は」


 うげ、とヴィンセントが顔をしかめ、貰った小瓶をいそいそとポケットへしまった。


「あとは、骨折避けの護符と、悪霊避けの鈴です。鈴はローブの飾りの辺りにでも付けておいてください」


 鈴は小さな金色のもので、青いリボンが付いていた。ちょっと揺らすと、しゃらん、と不思議な音が鳴った。アーネストは自分の右袖にそれを着けてから、手間取っているダニエルを手伝った。


「こんなものですね。杖は常に構えていてください。危険を感じたらすぐに『防壁』を張るように。よろしいですか」

「「了解オーケー師匠マスター!」」

「では、行きましょう」


 師匠はスーツケースを手に持って、駅舎から飛び降りた。

 山の中は下草が生い茂り、かなり歩きにくくなっていた。登山道はもちろん、獣道すら存在していない。ダニエルはひょいひょいと軽い足取りで師匠の後をついていくが、アーネストとヴィンセントはそうもいかなかった。異様にたくましい草が踏んだ傍から跳ね返ってきたり、低木の枝が目の辺りを掠めそうになったり、気を付けなくてはならないことが上にも下にもたくさんあるのだ。勾配がそうきつくないのが唯一の救いだった。

 師匠は草むらを蹴るようにして歩いていく。ガサガサと大きな音が立ち、鳥が驚いたような鳴き声を上げて飛び立っていった。


「コカトリスはご存知の通り、ニワトリとヘビの二つの特徴を持っています」


 だからこうしてわざと音を立てて行くのだ、と師匠は続けた。


「ニワトリの聴覚は人間の倍以上あり、ヘビは地面や空気の振動を感じ取ります。だから、見つからないように忍び寄るのは――無理とは言いませんが、面倒です。茂みの中に隠れていることが多いので、あえて警戒させることで鶏冠を立たせ、見つけやすくします」


 師匠は「ついでに小さなヘビのたぐいも遠ざけられますから」と合理性を強調するように言った。実際それは正しいのだろうけれど、いちいち草を蹴り上げて歩く師匠は、音が鳴るのを面白がっている子どものように見えた。アーネストは少し笑いそうになった。


「どちらの頭にも脳があるので、討伐の際には両方の頭を落とさなくてはなりません。その時に問題になるのが順番です」

「順番?」

「はい。どちらから落とすべきだと思いますか?」

「ヘビの方じゃない? だって毒が怖いし」

「いや、ニワトリの方だろ。ニワトリの方がメインの脳だって聞いたことあるぜ」

「ヘビの脳でも体を動かすことはできるんだろ。だったら毒がある方を先に片付けた方がいいと思うんだけど」

「ヴィンセントが正解ですね」


 よっしゃ、と拳を振り上げたヴィンセントが、続けざまに「理由は違いますが」と言われて肩を落とした。


「脳の機能に優劣はなく、どちらでもほとんど変わらずに体を動かせます。昼間はニワトリ、夜間はヘビが優位になりますけど」

「へぇ、そうだったんだ」


 ヴィンセントはメモを取りたそうな顔になったけれど、すぐに諦めたようだった。


「毒が怖いのは確かですが、コカトリスは手傷を負うとより凶暴化します。特に尾を落とした後はひどいですね。正直手が付けられなくなります」

「やったことあるの?」

「一度だけ。どうにか倒しましたが、食材として利用できないぐらいにしてしまいました」

「へぇ……」


 ヴィンセントが呆れたような顔で、ちらりとアーネストを振り返った。分かる、とアーネストは頷き返す。きっと消し炭にしたか細切れにしたか、とにかく大火力で薙ぎ払ったに違いない。


「ニワトリ側から落とすと、体のバランスを掴むのに少し時間が掛かるようなんです。その間にヘビの方も落としてしまえばいいので、比較的安全に対処できます」


 アーネストが「比較的、ね」と呟くと、師匠は「はい、比較的、です」と頷いた。


「指南書などには“同時に落とせ”と書かれています。実際そうするのが最も安全なんですけど、一人ではさすがに無理だったので。ですが、君たちの協力があればできるかもしれませんね。慣れてきたら挑戦してみましょうか」

「えぇ? 僕らでも出来るの?」

「やり方さえ間違えなければ、大丈夫だと――っと」


 突然師匠が立ち止まるように手で示したから、三人はぴたりと止まった。


「いました。まずは私が狩りますね。このまま少し待っていてください。こちらには来させないよう気を付けますが、万が一の場合には慌てず『防壁』を張るように」

「了解」

「分かった」

「気を付けてね」


 師匠は軽く頷くと、ひらりとコートを翻した。山の中で無闇に目立つ赤色が、どんどん奥へ進んでいく。

 その背中をじっと見つめていたヴィンセントが、ふと二人に顔を寄せた。


「コカトリスがどこにいるか、分かる?」

「いや、分からない」

「たぶんあのへんだと思うよ」


 とダニエルが指を指した辺りは、やけに大きな茂みになっていた。数十年間放置された生け垣のようだった。目を凝らすと、茂みの隙間になにか赤いものが見えた。きっとあれが鶏冠だろう。だとしたらかなり警戒されているように見えた。

 師匠は真っ直ぐそちらへ向かっていく。相変わらずバタバタと大きな足音を立てながら。


「まさか、真正面から突っ込むの?」


 ダニエルが引き攣った声で囁いた、その瞬間。

 ガサガサガサッ、と茂みが蠢くが早いか、ニワトリの声を数百倍に増幅したような奇声とともにコカトリスが飛び出てきた。

 それは本当に大きな、黒い毛並みのニワトリだった。師匠の背丈を超してまだなお高い。鶏冠もくちばしも体格も高さに見合った大きさで、突かれる前に丸呑みにされそうだし、ちょっと寄りかかられたら潰されるだろうと思った。今まさに木を蹴倒した足なんか、アーネストの胴体くらいはありそうな太さで、しかもその動きはほとんど目に映らなかった。


「わあああっ!」

「うわっ」


 アーネストは飛び付いてきたダニエルに驚きながらも、師匠の赤色からは目を離さなかった。

 最初の前蹴りがかすったように見えたのは錯覚だったらしい。足場の悪さなどものともしないで飛び退いた師匠は、すぐさま距離を詰め直していた。そして大きなニワトリのくちばしに向けて、思い切りスーツケースを振り抜いた。


「ギケェエエッ!」


 耳をつんざく鳴き声の向こう側に「『雷撃ビリビリblitz』」と冷静な声、それから電流の迸る音がした。尾っぽの攻撃をいなしたのだろう。

 コカトリスは翼を広げ、バッと後ろに跳び退った。その拍子に起きた風が葉っぱや小枝を巻き上げてきたから、アーネストたちは思わず腕で顔を覆うようにした。だが、師匠は目を瞑ることすらしなかったらしい。逆風の中を突っ切って、コカトリスに距離を渡さなかった。

 そして再び、スーツケースを振り上げる。

 ゴンッ、と容赦ない鈍い音。

 コカトリスの頭が揺れて、足元がふらついた。

 すかさず、その無防備に開いた首筋へ杖が突きつけられる。


「『援護boost』――『風は刃、ベイリーフの枝を折れ』!」


 師匠の杖先へ吸い込まれるように、逆方向の風が吹いた。アーネストたちは前に倒れそうになって、慌てて互いを掴んだ。

 そして、師匠の向こう側で、ニワトリの首が落ちるのを見た。


「ひゃあっ」

「すっげ」

「うわ……」


 断ち切られた首の断面から血が噴き出すのを、アーネストは見ていられなかった。咄嗟に目を逸らす。


「平気か、アーネスト」


 心配してくれたヴィンセントに頷き返して、どうにか前に向き直った――ちょうどその時、ヘビの頭が刎ねられたところだったから、再び目を逸らす羽目になったけれど。

 コカトリスの巨体が倒れて、ズン、と山が振動した。

 師匠がゆったりとした足取りで戻ってくる。怪我した様子はなく、返り血すらほとんど浴びていなかった。ただ顔に付いた数滴を手の甲で雑に拭っただけ。息も上がっていない。


「これで一通り駆除は完了なんですが……やってて思いました。これ、もしかしなくとも、参考になりませんね?」


 三人は揃って深く頷いた。



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