10 喧嘩するには

 交通局の職員はいつも忙しそうにしている。列車、バス、箒、その他あらゆる魔法による移動は交通局の管理下に置かれているからだ。といっても、入った瞬間一斉に睨まれるほど殺気立っていることは滅多にない。

 アーチにとってはよくあることだが。

 しかし今日に限っては心当たりがなかった。何かしただろうか、と考えていると、一番近くに座っていた事務員が椅子ごと動いてきて、カウンター越しに気だるげな挨拶をした。


「はーぁい、ウルフ。いつも仕事を増やしてくれてありがとーぉ」

「こんにちは、ハズラム。私、何かしましたっけ?」


 同窓生のローレッタ・ハズラムはカウンターに豊満な胸を乗せて、“事務作業から離れられてラッキー”とでも言いたげににっこりとした。


「ふふーん、つい数時間前でしょー? 一般車両から飛び降りたの」

「あぁ」


 アーチはパチパチと瞬きした。


「そういえば、そんなことしましたね」

「あのクレームがねぇ、広報からガンガン来てんのよぉ」

「そうですか、たいへんですね」


 そう言った瞬間、室内の殺気が膨れ上がった。

 ハズラムが「あなたのその度胸ぉ? あたし結構好きよぉ」と皮肉っぽく笑った。


「でぇ、その様子じゃあ、謝罪に来たって感じじゃないんでしょーぉ」

「ええ。少し、調べていただきたいことがあるのですが」

「はぁい、何かしらぁ?」

「今朝の十時にアンブローズ・カレッジを出た列車の、十一時三十四分三十二秒から五秒間、三〇七号室の扉が繋がっていた先はどこですか?」

「はいはぁい、ちょぉっと待っててねぇ」


 ハズラムの良いところは、言われたことを素直に、何も考えず、素早く行えるところだ。肝の強さもアーチと同等で、周囲の白い目など一切気にせずパソコンをいじっている。

 その彼女がしばらくして、「あら」と驚いた声を上げた。


「ちょっと待ってねぇ、ウルフ」


 そう言うと、彼女は何かをプリントアウトして、それを部屋の一番奥にいる局長の元へ持っていった。そのまま、ハゲ頭の局長と何事かぼそぼそ話し合っている。

 他の職員たちも次々に集まってきて、殺気が徐々に薄らいでいき、代わりに困惑がにじみ出てきた。

 やがてハズラムがその輪の中から抜け出して、やや足早にこちらへ来た。


「あー、ウルフ? 十一時三十四分三十二秒から五秒間、三〇七号室の扉はねぇ、座標は合ってるんだけど、標高がかなり下にずれてたわぁ。これだと地下水道に繋がるわねぇ」

「やはり、そうでしたか」

「使っちゃった?」

「今朝から預かる羽目になった少年たちが落ちたんです」

「あら、まぁ」

「私は邪魔が入って、一緒に通れなかったものですから、別の扉から出て彼らのところに――」


 そこでアーチは自分がなぜ箒を使ったのかを鮮明に思い出した。にっこりと微笑みかける。


「――そう、そのために、箒を使用したんです。地下水道は水棲悪魔が多いので、子どもたちの命が危険でした。緊急事態だったんですよ」


 アーチの言い訳に対し、ハズラムはひょいと肩をすくめた。


「とりあえず、この件は調査が入ると思うけれど、結果、聞きたい?」

「ええ。ぜひよろしくお願いします」

「オーケーィ、分かり次第、連絡するわぁ」


 ハズラムはひらひらと手を振りながら、また椅子ごとデスクに戻った。


 アーチが交通局から出た瞬間、ヴィンセントの声が聞こえた。


「悪魔と契約? 師匠が?」

「そうさ」


 少年たちの前には見覚えのある連中が固まって立っていた。似合わないベッカムヘアの金髪を中心にする三人組。同期だった魔法使いたちだ。キザ野郎のギルバート・ベンフィールド。がり勉のオーガスタス・スウィニー。臆病者のデブファットチキン、ウィリアム・チアーズ。アーチは自分が彼らの名前をすべて思い出せたことに驚いた。


(要らないデータはすぐに捨てているんだけど……あぁ、そうか、そもそものデータ自体が薄っぺらいから、そのままになってたんだな)


 アーチはそっと彼らの背後に近付いた。


「でなきゃ、吸血鬼スリムマンを一人でなんか倒せるわけがないだろう」

「でも、悪魔との契約は違反だろ?」

「ばれなきゃ違反じゃない、って言う奴だぜ、あいつは」

「それは……言いそうだけど」

「それは言いますが」


 アーチはひょいと首を突っ込んだ。全員がびくりと肩を跳ね上げて振り返った。


「悪魔との契約など、やりたくてもやれませんよ。あの手の召喚魔法は嫌いなので」


 度肝を抜かれたベンフィールドたちは思い切り顔を引き攣らせたが、すぐにその表情を取り繕った笑顔に変え、真っ直ぐに胸を張った。


「やあ、ウルフ。師匠・・就任おめでとう。君のような問題児が師匠だなんて、まったく世も末だな」

「ありがとうございます、ベンフィールド。私もそう思いますよ。まったく世も末です。いい歳した大人・・が、真っ赤な嘘を子どもに吹き込むなんて」


 ベンフィールドはレモン色の目を冷たく細めた。


第二の意見セカンドオピニオンは必要だろう? 君に洗脳・・される前に、正しい知識を、正しく得るためのチャンスを用意するのは、大人として当然のことだ」


 アーチはわざとらしく“驚いた”という顔と声を作った。


「前言を撤回しましょう。君が“気配り”を出来るまでに成長するなんて、世の中まだまだ捨てたものじゃありませんね。世の末を儚むのはちょっと早かったようです」

「……き、君は何にも成長していないな! 減らず口ばかり叩きやがって……」

「ああ確かに、成長していないように見えるかもしれません。口の数は増えませんからね。増えてくれれば“減る口”もお見せできたのに、残念です」

「……」


 ベンフィールドは返す言葉を失ったようだった。唇をわなわなと震わせたと思うと、ぷいと踵を返して去っていってしまった。

 アーチは彼らの背中が廊下の向こうに消えるのを待ってから、「……口が増えたら化け物だろ、あ、もとから化け物だったか、とかなんとか、いくらでも言いようはあるはずなんですけどね。相変わらず、即興力の無いやつ」と呟いた。

 それを聞きつけたヴィンセントが、呆れたような顔でアーチを見上げた。


「師匠」

「なんですか?」

「師匠のその減らず口のラインナップって、どっから出てくんの?」

「読書と映画、それと普段の思考トレーニング……」


 律儀に答えてしまってから、アーチはふと我に返ってヴィンセントを見下ろした。


「そんなこと学ぼうとしないでください。平穏に生きようとする限り、必要のないものなんですから」

「それは分かってんだ……」


 ヴィンセントはさらに呆れたように呟いた。が、その直後に「ふふんっ」と楽しそうに笑ってみせた。それから、「もう用事は済んだんだろ? 次はどこに行くの」と、そのままスキップでもし始めそうな勢いでひょいとアーチの前に立った。

 彼がなぜ唐突にご機嫌になったのか理解できないアーチは、小首を傾げて言った。


「家に帰ります」



 交通局の中でのことを話しながら(「なぁんだ、すぐ分かるんじゃないんだ」とヴィンセントがつまらなそうに言った)、ロビーを目指して降りていく途中、アーチは思い切り眉を顰めた。

 出来るだけ会いたくなかった人間が、細い廊下を塞ぐようにして喋っているのが見えたからだ。透明にでもならない限り顔を合わせずに通り抜けることは不可能だろう。そしてたとえ透明になったとしても、彼と話している相手――ケアリー・クィルター先生には見透かされてしまうに決まっている。

 アーチは覚悟を決めて、眉間の皺を解した。

 彼らはアーチたちに気付かず、会話を続けている。


「秘石の場所はまだだ。そちらに何か進展は?」

「そう簡単には行くまい……」

「侵入経路は?」

「……報告書を、ご覧になっていないようだな……」

「皮肉を言ってる暇があったら現状をハッキリと――」


 ある程度近付いたところで、そいつはアーチの気配に気が付いた。そしてパッと口を閉じるとこちらを睨み、薄い唇をひん曲げた。

 見つかってしまった以上、一言も無しで通り過ぎるのは不可能である。だからアーチはわざと礼儀正しく挨拶をしてやった。


「こんにちは、ネイピア魔法庁長官、クィルター先生。ご無沙汰しております」


 アーノルド・ネイピアは、若くして魔法庁長官に就任した辣腕の持ち主だ。そして、自分が古い魔法使いの血統であることに誇りを持っている生粋の魔法使い第一主義者である。色黒でがたいがよく、比較的高身長なアーチよりも更に二十センチ近く大きい。明るい茶髪と海のような深い青色の瞳の取り合わせが魅力的で、大方の人間が端整な顔立ちだと認めていた。新聞記事などで見る分には、好き嫌いの激しさや偏屈さや口の悪さが表に出てこなくて非常に好い男のように感じられるのだが、とアーチですら思うくらいだ。

 彼は嫌がる素振りを全面に押し出しながら、冷淡な声で言った。


「スリム・ウルフ。貴様は相変らず異常者オッドどもに魔法を安売りしているようだな」


 オッド、とは一般人オーディナリーに対する蔑称だ。魔法を使えることこそが普通オーディナリーなのであって使えない一般人たちは異常オッドである、という考えからきており、魔法使い第一主義者たちが好んで使う。アーチはこの言葉が大嫌いで、ネイピアはこの言葉が大好きだった。

 眉根を寄せたアーチの鼻先に、ネイピアは指を突きつけた。


「規則を守れ、自覚を持て! 貴様のような奴のせいで、異常者オッドどもが我々を気安い・・・相手だと勘違いするんだ!」

「気安くて何が――」

「まぁ、貴様のデカい面も今月いっぱいで見納めだ。ハッハッ、次の定例会議が来ればお前は降級、そうしたらお前はおしまいだ」

「まだ決定したわけでは――」

「だからと言って好き勝手に動くなよ。余計なことをしたら臨時会議で即座に銅貨階級ブロンズまで落としてやる。分かったか野蛮人。分かったな!」


 アーチの軽口の一番適切な封じ方は“しゃべらせないこと”だ。それを理解しているネイピアは一方的にまくし立て、鼻を鳴らして去っていった。去り際にちらりと少年たちの方を見て、少し目を疑うように何度か瞬きをしたが、足を止めることはなかった。

 ネイピアとの最も賢い接し方は“即座に忘れること”だ。アーチはちょっと肩をすくめて、今の目の前から去っていった男のことを脳味噌から追い出しにかかった。


「何っなんだアイツ、ムカつくっ!」


 ヴィンセントがまるで自分のことのように憤然として言った。


「親と子どもは別って言いたいけど、アイツらはまったく一緒だな! ムカつくところとか、ムカつくところとか、ムカつくところとか!」

「ムカついてしかいませんよ、ヴィンセント」

「だってムカつくじゃん! 師匠だってムカついてんだろ?!」

「争いは同レベルの者同士でしか起きない、と言うでしょう?」


 アーチは内心の憤りを押し隠し、澄ました顔で言った。


「ムカついてばかりでは彼と同じく低能になるだけです。反論するならば、どこぞの貴族院議員様のように冷静に、論理的にならなくてはいけません。ましてあの程度の、“野蛮人”と言うしか能のない低俗な悪口だけなら、相手にしなくたっていいんですよ」


 半ば自分に言い聞かせるような口調になっていると気付いてはいたが、“大人”を取り繕っているのだから仕方がない。言い返せないフラストレーションをいたずらで発散させるような歳ではなくなってしまった。

 だが、取り繕えば取り繕うほど苛立ちがつのっていくのも確かだった。

 だからアーチは“貴族院議員”と言った瞬間に、少年たちがそろって表情をぎこちないものに変えたことに気が付かなかった。


「ふっ……ふっふっふっふ……」


 湿った海藻のような笑い声がべたりと耳に貼り付いた。

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