らの、べる、そして家。
七条ミル
らの、べる、そして家。
もう六時だから、あの子もそろそろ帰ってくるはずだ。
そんなことを考えながらお湯が沸くのを待ち、急須でお茶を淹れた。
自分の、鈴の模様があしらわれた湯飲みにお茶を注ぎ、その場でゆっくりと飲む。一つ息をついて、そうしてふと、食器棚を見た。前より、幾らか窮屈そうに見える食器棚は、うんともすんとも言わずにそこに立っている。――いや、私がそこに置いたのか。
あの子と暮らすようになって、どれくらいが経ったのだろう。ずっと一緒に住んでいるような気もするけれど、この生活が始まって、まだほんの少ししか経っていないような気もする。
時間というのは、よくわからないものだと思う。
三角コーナーのビニールにゴミが溜まっているのが見えた。燃やすゴミの日は、明後日だったか。
ビニールの口を縛って場所を移し、それから新しいビニールを三角コーナーに入れた。
緑茶を飲み干して、漸く鈴は居間のソファに腰を下ろす。テーブルの上には昨日の夜自分が読んでいたラノベと、隣にはあの子が読んでいたラノベが並べられている。鈴は鞄の中に入れていた別のラノベを重ねるようにして置いて、少しぼーっとしたのちに、もう一度それを手に取って読み始めた。
*
あの人はもう帰っているだろうか。
エレベーターのボタンを押しながら、らのはそんなことを思った。残業とか、寄り道とかが無ければ、もう帰っているはずだ。毎日乗るエレベーターに乗っている時間は、いつまで経っても、永遠にも近ような心地がする。
初めてこのエレベーターに乗ったのは、あの人とオフコラボ配信をしたときのことだ。あのときは遂に辿り着いた、なんて言ったけれど。
もう帰ってきているなら、何をしているだろう。やっぱり、本を読んでいるんだろうか。今日のご飯当番は自分だから、早く帰って夜ご飯の準備をしないといけない。それに、今夜は配信をするつもりなのだ。
玄関の扉を開けて、らのはただいま、と言った。
鈴は、居間のソファで寝ているようだった。大きな音を立てないように扉をゆっくり閉め、靴を脱いで部屋に入る。荷物を部屋に置いて、台所に立った。
やかんに入ったお湯はまだ温かい。お茶を淹れてから、それほど時間も経っていないのだろう。少しだけ水を足して、もう一度火にかける。それから、食器棚から自分の湯飲みを取り出して、台所の空いているスペースに置いた。
ここで暮らすことになったときに、今までの湯飲みだと判りづらいからと、二人で買いに行ったものだ。一人暮らしをしていたときに使っていた食器もこの棚の中に入っているけれど、今は殆ど使っていない。らのも、鈴も、二人とも専ら二人で買った食器を使うのだ。今日だって、らのは二人で買った食器を使うつもりでいる。
気に入っているのだ。二人で買ったものが。
二番煎じでいいかなと、らのは急須にそのままお湯を注いだ。
冷蔵庫の中から食材を選んで、大学に行っている間に調べておいた通りに調理をする。二人分の料理を作るのにも、もう慣れたものだと思う。
料理が出来上がって、お米が開くのを待つまでの間、本山らの文庫の原稿をお願いしていた作家さんからメールが届いていないかを確認したり、次に買う本の目星を付けたりしつつ過ごした。
*
いつの間にか寝てしまっていたらしい。
鈴は身体を起こし、窓の外を見た。遠くの方で光る街の灯りは、どこか寂しそうに見える。
それから、美味しそうな匂いが鼻を擽ることに気づく。後を振り返ると、らのが台所に立ってスマホを見ていた。暫く横顔を見つめたあと、少し恥ずかしくなって、おかえりと言った。
らのはぱっとスマホから顔を上げて、ただいま、おはようと続けて言った。
台所から料理を運ぶのを手伝いながら、鈴はすっかり部屋に馴染んだ狐の友人を眺めていた。二十歳になって、お酒も飲めるようになって、この頃はよく二人で晩酌をするようになった。出会ったころのらのは未成年で、お酒も飲めなかったのに。気づいたら、一緒に夜、お酒を飲むようになっている。
そういえば、今夜らのは配信をすると言っていた。お酒は、配信が終わってからのほうがいいだろう。ご飯と一緒に少し飲んでみようかと思ったけれど、その考えは霞んでやがて消えた。
テーブルについてご飯を食べ始めると、らのは今日はね、と自分の配信の段どりを話し始めた。鈴は、視聴者として参加するつもりでいる。隣の部屋で、らのがあらぬ疑いを掛けられないように、静かに、一らの担として、一緒に住む女の子の配信を見るのだ。
らの、べる、そして家。 七条ミル @Shichijo_Miru
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