第17話 あなたとは他人です





 1人手持ち無沙汰にソファに座っていた彼は、俺と響也が戻ると視線を向けてきた。


「後片づけ、手伝わなくてすまない」


 申し訳なさそうに謝ってくるが、手伝いを申し出られたとしても断っていただろう。


 この家に、彼を呼んだことはない。

 だから彼の痕跡を、記憶を、ここに残したくなかった。

 本当ならば食事さえも一緒にとらない方が良かったけど、過ぎてしまったものは諦めるしかない。


「……話をしたいんですけど、恭弥も一緒にいて平気ですか?」


「ああ……構わない」


「えー。俺の予定は?」


「ご飯食べたんだから、少しは付き合え」


「へーい」


 冷静に話をするために第三者の存在は必要だったから、何とか恭弥をとどめることが出来て良かった。



 俺は姿勢を正して、彼の向かいにある椅子に腰かけた。

 恭弥もその隣にある椅子に座る。


「俺の家を知っていたことは驚きません。でも、ストーカーをしていたのはどうしてですか。あと、野菜も」


「妖精のしわざとか、あほなこと考えていたんですから、どうにかしてくださいよ」


「恭弥は黙れ。ただの置物。分かった?」


 恭弥の口が閉じられたのを確認して、彼の方に向き直った。


「野菜は嬉しかったですけど、先ほども言ったようにここまでしてもらう理由がありません。ただの生徒に、こんなことをいつもしているわけじゃないですよね」


 黙ってしまったということは、やはり後ろめたい気持ちがあるのだろう。


「別に両親から生活費はもらっていますから、別に食事に困っていません。あなたから別れを告げたんですから、俺をストーカーする理由も無いでしょう。……あなたのせいで、俺は前に進むことが出来ない」


 反論させる気は無かった。

 このまま彼との関係を、担任と生徒というものだけにして、完全に断ち切るつもりだった。


 恭弥は、その証人でもある。



「お願いします。もう俺に関わらないでください」



 俺は頭を深々と下げた。

 引きつるような心臓の痛みを必死に隠し、俺は下げ続けた。


「……ユキ」


「俺は白樺有希です。ユキじゃない」


 もうあなたのものではない。

 そんな気持ちを込めて、俺は冷たく言い放った。


 しばらくは静寂が、部屋の中をしめた。

 あの恭弥でさえも空気を読んで、何も言わなかった。


 そこから、どのぐらいの時間が経ったのか。



「……分かった。色々と迷惑をかけてすまなかった。もう、構わないようにする。本当にすまない」



 彼の静かな声が、響くように耳に入ってきた。



 その言葉を望んでいたはずなのに、胸が引き裂かれるように痛む。


「それじゃあ。白樺、黒咲、また学校で」


 ソファから立ち上がり、部屋を出て行き、そして家からもいなくなった。

 玄関の扉が閉まる音を聞いて、俺はようやく顔を上げることが出来た。


「ぶっさいくな顔。俺にしか見せられないぐらい酷いな」


 恭弥はそっと俺の目元を触り、そして頭を勢いよく撫でてくる。


「いたたたたたた! 何すんだよ!」


 髪の毛が抜けるのかというぐらいの強さに、俺は違う意味でも涙が出てきた。


「褒めてつかわそう。よきにはからえ」


「何だその変な上から目線。ふっ。そうだよ。俺頑張ったから、なんかご褒美ちょうだい」


「おーっと、何故かカバンの中に有希の好きなメーカーのチョコが入っている」


「ははっ。最高かよ」


 まさかこんな展開になるとは予想していなかったはずだけど、なんともまあ準備がいい。

 俺は渡されたチョコを口に入れて、そしてつぶやく。


「……苦い」


 本当なら甘いはずのそれは、舌が痺れるぐらい苦味を感じた。





「ストーカーとは話し合って、何とか解決したよ」


「それはそれは、思っていたよりも先輩って出来る人なんですね」


「それって褒めているの? 全く、そんな感じがしないんだけど」


「褒めてます褒めてます」


「最近、本当に扱いが雑になっている気がする」


 一応、蓮君にも解決したことを話しておいた方がいいと考え、報告したのだが返事が全く可愛くない。

 先輩としての威厳が、どんどん減っているようだ。


「でもまあ、黒咲先輩を同席させたことは、先輩にしては賢明だったんじゃないですか」


「俺よりも恭弥の方が信頼されているって、本当に意味が分からないんだけど。あいつご飯をたかりに来て、お菓子食べて、ちょっかい出していただけだからね」


「それでも先輩がピンチになったら、助けてくれたはずですよ」


「うーん……そうかなあ」


 俺はピンチになったら、喜んで見捨てそうだけど。

 それでもチョコをくれたから、少しは存在に助けられたかもしれない。簡単には認めたくないが。


「そういえば話し合いをしたってことは、その人と会ったんですよね。どんな人でした」


「……え? えっと……」


「そんなに言いづらいほど、気持ち悪い人だったんですか? 俺としても、持ってきていた野菜を使った料理を食べていたんで、知る権利はあると思いますが」


「ああ、そうだね……」


 知らない人だったら、俺だってすぐに話せただろう。

 でも彼のことは、関わりがなかったとしても、名前をいえばバレてしまう。


「……清潔感はあるし、気味が悪い人じゃなかったよ。どうしてストーカーしていたのか分からないぐらい。だから野菜に関しては、安心していいと保障するよ」


 名前は言えないけど、特徴ぐらいならバレないはずだ。

 説明すれば、蓮君は俺を興味深げに、じっと見つめてきた。


「ふーん、そんなに褒めるなんて。……なんだか好意を持っているみたいに聞こえますね」


「はは。まさかそんなわけ」


 まさかそんなことを言われるとは思わず、俺は引きつったように笑って否定をした。

 胸が痛んだ気がするけど、絶対に気のせいだ。





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