俺の1年を返せ!

瀬川

第1話 今更の解放なんて望んでいなかった




「……もういいや。解放してあげる」


「…………は?」


 それは突然のことだった。

 部屋で帰りを待ちながら料理を作っていると、扉が開く音がした。


 帰ってきた。

 出迎えるために火を止めて玄関に向かった俺に対し、帰宅の挨拶よりも先に、そう吐き捨てられた。


 最初は、何を言っているのか分からなかった。

 解放する? 誰を?

 おたまを持ちながらはてなマークを浮かべている俺に、深いため息を吐かれる。


「理解するのが遅いな。もういらなくなったから、帰っていいよって言っているの」


「帰っていいって……何で? 俺の家はここでしょ?」


「ああ、もう面倒くさい。成長して可愛くなくなった。だからもういらないから、出て行ってくれない?」


 そしてあれよあれよという間に、荷物をまとめられ、気が付けば部屋から追い出されていた。

 おたまを持ったまま、扉の前で呆然と立ちすくんでいた俺は、状況を理解すると勢いよく息を吸った。


「ふざけんなあああああああああああああああああああ!!」


 その叫び声はマンション中に響いたけど、もう一度扉が開かれることはなかった。





 俺の人生は、1人の男によって狂わされた。

 突然愛していると言って、俺の意思なんて関係なく監禁されたのだ。

 最初は抵抗した。


 お前なんか愛していない。

 俺に関わるな。

 気持ち悪い、死ね。


 思いつく限りの罵詈雑言を浴びせかけても全く効かず、むしろ俺に構われて嬉しそうだった。


 次に完全に無視した。

 話しかけられても食事を出されても、何をされても口を利かず視界にも入れなかった。

 でも、お仕置きと称されおぞましいことをされて、抵抗するのは諦めた。



 俺にとって不幸だったのは、監禁されたのが夏休みだったことだ。

 元々家族は俺に無関心で、どこかに泊まることはざらにあったから、俺がいなくなっても騒がれることが無かった。

 そして長期休みのせいで友達も学校も、誰も気づくことが無かったわけである。


 恐らくそれを狙って監禁したのだろうけど、俺にとっては絶望でしかなかった。



 従順であれば暴力を振るわれることはなかった。

 監禁されていても、ある程度の自由はあった。

 それでも毎日、好きでもない奴に愛をささやかれて、頭が狂いそうになっていた。

 足には鎖が巻かれ、いない時でもカメラで監視され、逃げようとすればお仕置きをされる。



 そんな生活が続けば、自分を守るために考えを変えるのは当たり前のことだった。

 この人を好きになれば、この生活は幸せなものになる。

 好きな人とずっと一緒にいられる。

 俺は幸せなんだ。


 頭の中で何度も何度も言い聞かせれば、段々本当に好きなんじゃないかと、自分を騙すことが出来た。

 これはストックホルム症候群で、俺の本当の気持ちじゃない。

 分かっていたが止められなかった。



「……俺も好き……」


 帰ってきた時に震える声で言った時、とても嬉しそうに笑った。


「それは本当か?」


「うん……」


 抱きしめられた俺の体は震えていたけど、それはきっと嬉しさからだ。

 そう言い聞かせないと、頭がおかしくなりそうだった。


 この日から俺の状況は、監禁から軟禁に変わった。





 こうして歪に始まった関係だったが、1年の月日も経てば、完全にほだされた。

 俺のことを好きだと毎日伝えられ、態度からも甘さしか感じず、そして何でもしてくれる。

 気持ちを切り替えて受け入れれば、とても好待遇だったのだ。


 周囲からのんきだとよく言われる俺は、好きになろうと努力していた。

 そして、これからの人生を一緒に過ごしてもいいと思うぐらいには、いつの間にか好きになっていた。


「その結果がこれか」


 あきれ果てて、もはや笑いしか出てこない。



 今日は、俺が監禁されてちょうど1年の記念日だった。

 記念日にしていいのか微妙だっただけど、それでも2人の始まりの日だから大事にしたかった。


 だから好物のビーフシチューを作りながら、帰るのを楽しみに待っていたのに。

 まさかの解放する宣言。

 意味が分からない。


 好きになろうと努力して、そして受け入れた。

 そんな俺に対してかけられた言葉は、傷つくのに十分の威力を持っていた。


「はは。可愛くなくなった俺は用済みか」


 ここ半年ほどの間に、随分と大きくなった手のひらを見つめて、俺は鼻で笑う。

 大きくなったのは手だけではない。

 身長も伸び、声変わりもして、顔つきだって昔は女に間違われることもあったが今は男らしくなった。


 出会った頃とは、完全に変わっていた。

 鏡をみるたびに見ないようにしていた現実を、あんな最低の形で突き付けてくるなんて。


「……最悪」


 運命だの、愛しているだの、散々くさいセリフを言っていたくせに、結局は顔しか見ていなかったわけだ。

 本当に最悪な男である。


「それなのに、まだ好きとか笑える」


 未だに追い出されたのは夢じゃないかと思っているから、好きという思いは消えていなかった。

 じくじく痛む心臓に、俺は服の上から爪を突きさす。


「いたい」


 心臓が痛かった。

 それぐらい、始まりはめちゃくちゃだったけど好きだったのだ。



 おたまを道に投げ捨てて、空を見る。


「ああくそ! マジでふざけんな!」


 急に叫びだした俺に、周囲の人がぎょっとした表情で見てくるが止まらなかった。

 頬を伝う涙を拭うことなく、俺はそのままやりきれない気持ちを叫んだ。


 そうすれば、この好きも吐き捨てられると思った。





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