魔羅ネード5 シーメン・タイフーン

「よし……これでこっちは準備完了」

「弓弦! これで大丈夫か?」


 弓弦は魔羅竜巻マラネードとの戦いに赴いたゴリラを見送ると、ガスボンベを持ち上げて床弩の台座に乗せた。そこに瑞月が帰ってきたのだ。その手には百円ライターと花火のセットが握られている。


「後で返してくれよな、お金」

「分かってるよ」


 生きて帰れたらね……弓弦は危うくそう続けそうになったが、すんでのところで言葉を呑み込んだ。


「弓弦、そろそろ教えてくれないか。これで何をしようとしてるのか……」

「竜巻っていうのは、暖気と寒気の衝突でできるのさ。だから爆弾を渦のちょうどど真ん中に落として爆発させれば寒暖差がなくなる。竜巻を爆破するって言ったのはそういうことだよ」


 あの竜巻がさらに大魔羅槌を吸い上げてを補充し、鰭犬区に到達する……それを食い止めるためには、竜巻そのものを爆破し消し去らなければならないのだ。


 弓弦はガスボンベの乗った床弩を動かし、竜巻の方へと向けた。そしてガスボンベの口を緩め、そこに花火を一本、突っ込んだ。


「よし、着火」


 弓弦は花火の先端にライターの火を近づけた。火はほどなくして着火し、花火からは煙とともに緑色の炎が吐き出される。


 弓弦の視線は、真っすぐ竜巻に向けられている。ガスボンベは一本しかない。チャンスは一度きりだ。

 竜巻は、鰭犬区の方へとなおも突き進んでいる。心なしか、最初に見た時より竜巻が大きく見える。距離が先ほどよりも近いのであろう。狙いをつけるには好都合だが、大魔羅槌が飛んでくる危険性も跳ね上がる。


「守るんだ……僕らの町も……瑞月のことも……」


 悲壮な決意を胸に、弓弦は竜巻と相対する。弓弦は竜巻の進行速度を目測で計ると、床弩の向きを微調整して竜巻の進路に狙いを定めた。外の気温は大分低いというのに、首を汗が伝っている。


 その時、運が悪いことに、二メートル級の大型の大魔羅槌が飛んできてしまった。その魔羅は、弓弦と床弩への直撃コースを取っている。最悪だ。


「弓弦逃げろ!」


 弓弦は、背後で叫ぶ瑞月を無視した。もう遅い。避けるなんて不可能だ。

 弓弦は台座の横についたレバーを思い切り押し下げた。弦が唸り、床弩からガスボンベが発射される。槍のように巨大な矢を射出する床弩は、ガスボンベを易々と放った。

 ボンベの射出とほぼ時を同じくして、弓弦と床弩のある場所に金の魔羅が降ってきた。


「弓弦!」


 その一瞬は、瑞月の目には音のないコマ送りの映像のように映った。瑞月の目に見える世界が、一気にスローモーションになる。

 魔羅が着弾し、轟音と地鳴りが瑞月を襲った。弓弦と床弩は、巻き上げられた土煙の中に隠れてしまった。

 それから間を置かずに、大きな爆音が瑞月の耳をつんざいた。竜巻の中に放り込まれたガスボンベが大爆発を起こしたのだ。荒れ狂っていた竜巻は消散してしまい、巻き上げられていた大魔羅槌が地面から降り注いだ。


「弓弦! そんな……弓弦……」


 今の瑞月は、竜巻が見事消し飛ばされたことを喜ぶ心境になかった。目の前の景色は、ゴーグルなしで潜水した時のように、すっかりぼやけてしまっている。見開かれた瑞月の目から、涙があふれ出ていた。


 瑞月の頭の中に、弓弦との思い出が鮮やかに映し出された。初めて会った日、弓弦に「ぼくとけっこんしよう」と言われたこと、公園で遊んで砂だらけになったこと、弓弦を泣かせた意地悪な男児と大喧嘩をして幼稚園の先生に叱られたこと、小学校からの帰り道に寄り道してザリガニ釣りをしていたら川に落ちてしまったこと、一緒に映画を見に行ったのに、自分だけ寝てしまったこと……みんなかけがえのない思い出だ。


 ――だめだ、弓弦。死んではだめだ。


 やがて、煙が晴れた。大役を果たした床弩は、見るも無残に粉砕されてしまっていた。そして、地面には斜めの角度で大魔羅槌が突き刺さっている。これが降ってくれば人間など肉塊に変えられてしまうであろうと思わせるほどに、立派な魔羅であった。

 

「あれ……?」

 

 不思議なことに、魔羅の着弾地点からは何の出血も見られなかった。それどころか、弓弦の痕跡らしきものが何もない。まるで神隠しに遭ったかのように、忽然と姿を消してしまったのである。

 

 ――弓弦は、死んでいないのではないか。


 瑞月の胸に希望が抱かれた。しかし、新たな疑念が生まれたのも事実である。回避する余裕などなかったはずなのに、どうやってから逃れたのか……


「おーい」


 声が聞こえた。聞きなれた、声変わり前の少年の声だ。


「弓弦……弓弦なのか!?」


 声は庭の植え込みの方から聞こえた。そちらを向いた瑞月の目に映ったのは、黒い毛むくじゃらの獣――ゴリラにお姫様抱っこのような形で抱きかかえられた弓弦の姿であった。


「ゴリラ……? 何でゴリラが!?」

「助けてくれたんだよ」


 弓弦はゴリラの逞しい腕の中で、白い歯を見せて笑った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る