番外編 いじめから学ぶ、なんて経験はしなくて良い
ここまではそれぞれの立場の人に対して、私が言いたいことを言いたい様に書いてきました。が、ここでは少し趣旨を変えてみたいと思います。
私が聞いていて違和感を覚えるフレーズとして、「いじめから学べることもある」というものがあります。
確かに、事実としてこれはある、とは思います。しかし、どうにもこの言い方だと「いじめだってポジティブに捉えられるんだよ」という様に感じられて、どうにも私はすんなりと肯定したくないな、と思ってしまうのです。
正直、いじめられた事で役に立った、と思う点はいくつかあります。基本的にはメンタルは強くないと思っていますが、それでも良い意味で図太くなれたとは思います。心配性気味なので些細な事でも気にはなるのですが、それでも「まぁ、なんとかなるでしょ」と思える様にはなったし、何か嫌だなと感じることがあった時にも「これくらいで苛ついていてもしょうがない」とか「あぁ、こういう人なんだな」と受け流せる様になりました。もしかしたら、「物事に正面からぶつからなくても良い場合があることを覚えた」と表現すれば良いのかもしれません。
ですが、これを得られたからいじめられた事を肯定的に捉えられるかと言われればそれは否。あんな経験、せずに済むなら絶対にその方が良いと思います。だって、辛い思いして、下手したらトラウマ背負って、将来への足かせを負わされてまでこんなこと学ぶ必要なんてありません。
はっきり言って、いじめられずに済むならそれに越したことはない。あくまでも「いじめられてしまった以上、何か活かせるモノを探さねば」という考え方で「いじめから学べることもある」というだけであって、決してそれがいじめにはポジティブな側面もある、ということではないと思います。だけど、「いじめから学べることもある」という言葉だけが一人歩きしてしまうと、何だか「いじめは捉えようによっては悪いものじゃないのだ」なんて認識になってしまいそうで、上手く言葉には出来ないのですが私としては釈然としない感覚があるのです。
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