第3話 彼の詩「言葉たちへ」

いつも ことばがあった


わたしの傍らでは 

いつも ことば達が ささやいていた


空っぽのわたしに

はじめて ことばを落としこんだのは 母だろう


つぎに姉や

親しい人たちが

わたしの小さかった耳に

少しづつ ことばを吹きこんでいった


やがてわたしは

うれしい時に「うれしい」

かなしい時に「かなしい」

そう表現するようになった


うれしい時や かなしい時に

わたしの中に浮かびあがる言葉があったからだ


それはきっと

だれかが わたしに与えてくれた言葉であり

小さかった わたしは それを音に変えて

だれかに伝えていただけだ



長じて本を読むようになったわたしの中に

言葉たちは知らぬ間に降り積もり

沈澱していった


わたしは複雑な感情を

その澱の中の言葉から

適当にみつくろい

つぎはぎに合わせて世界に提示した


心の何処かでは似非だと思いながらも

それが私であると傲った


傲り 

たたかれ

そして くじけた


私は語るのをやめた

世界を畏れ

他人を恐れ

語れなくなった


適当に繋ぎあわせた

チグハグの言葉では

騙る事が出来なくなり

語る事が出来なくなってしまったのだ


それでも ––––

それでも ことばはあった


目をつむれば

ことば達のささやきが きこえる

私の底で空になったわたしを待ってくれていた

言葉たちの声が聞こえる


笑うことも泣くことも無く

亡者のように歩くわたしは

いつか読んだ だれかの言葉に呼ばれて

歩みをとめて 今までを省みた


死のうと思った訳ではない

けれど 生きるのを諦めていたとき

こころに浮かんできた あの言葉たちはきっと

いつか聞いた だれかの言葉だ

どこかで読んだ 言葉の数々だ


わたしの ことばではない

それはきっと ほんとうに苦しんだ人のことば


さくらの散るさまが美しく

おもわず写真におさめてしまうように


だれの ことば か分からぬけれど

わたしが読み聞きした ことばの

その美しさを

ここに残しておこう


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