第91話 二人の英雄

 ウェルズ・ヤースの静養している屋敷は、皮肉にもアルトリア軍が前線基地として本部を置いていた街にあった。

 仕事による過労。それまでずっと文官寄りの仕事をしていた男は、肉体的な疲労よりも、精神的な疲労によって倒れたのだ。

 一応軍部の要人なので衛兵は多いが、その業績から考えるとまだ甘い。

 おそらく彼の価値がまだ、ガラハド国内には浸透していないのだろう。


 日が没した頃、凛々しく不動の衛兵を、はるか上空から見ながら、アーリアは屋敷内に侵入した。

 元は富裕な商人の家だったのだろうか。装飾などは贅沢だが貴族的優雅さには欠ける。

 精神的な安寧に配慮したのか、館の中はそれほど人もおらず、アーリアは音もなく奥へと進む。


 手練の暗殺者でも雇えば、すぐに始末出来そうな警備状況だ。これは一刻も早く改善する必要があるだろう。

 敵ながらそう思ってしまうアーリアは、寝室への扉の前へとやってきた。

 中には二人の人間がいる。

 どちらも魔力はそれなり、つまり魔法使いではない。一方はなんとなく強い気配を感じる。

 もう一方は衰弱しているかもしれない。情報通りなら、こちらがウェルズのはずだが。


 そう探っていたアーリアだが、どうやら相手を甘く見すぎていたらしい。

 片方の気配が抑えられ、静かにドアへと向かってくる。

 ここで下手をすれば、逃走するしかない。アーリアは頭を切り替えてドアをノックした。

「何か?」

「ネーベイア家よりの軍使です」


 扉の向こうで気配が止まり、その隙にアーリアはするりと入り込んだ。

 部屋はほどほどの広さで、寝台が一つ。

 そこに横たわる男が、ウェルズなのだろう。

 黒髪黒目。なんとなく懐かしく感じる。

「待った。戦うつもりはない」

 もう一人の人間、剣を抜いたミズリーに、アーリアは声をかける。


 ミズリー・ゴルゴーン。ゴルゴーン将軍の孫娘。

 世界で一番尊敬する祖父の仇が目の前にいると、彼女はまだ知らない。


 寝ている男はともかく、女の方がそこそこ強い。

 だが深層を探索する冒険者ほどではない。レオンにはもちろん、ヴァリシアにも到底敵わないだろう。

「上官を守ろうという気構えはいいが、彼我の実力差を見極めるべきだな。私がそのつもりなら、既にその首は落ちている」

 ミズリーは士官学校の騎士科を、女の身ながら次席で卒業していた。

 士官としての能力はもちろん高いし、個人的な武勇にも優れている。

 だがそれは、あくまでも人間を対象としたレベルだ。


 アーリアの佇まいに技量の差を感じたか、ミズリーは大声を上げた。

「侵入者だ! 衛兵!」

「残念ながら結界で音は封じている。静かに話がしたかったのでな」

 そう言って椅子を一つ移動させ、それに腰掛けた。

 その余裕の態度にミズリーは自分の力では及ばない存在だと悟らされる。

「ああ、名乗っていなかったな。私がアーリア・ネーベイアだ」

 及ばないと悟っていながらも、ミズリーは剣を振り下ろした。




 白刃の刃が、アーリアの指二本で受け止められていた。

 もちろん実際は物理的な力ではなく、魔法で障壁を作ったのだ。

 だがどちらにしろ、ミズリーの敵う相手ではない。

「騎士のお嬢さん、君では勝てないよ。100年ぐらい死ぬ気で頑張っても無駄だ」

「黙れ! お祖父様の仇!」

 ミズリーは再び剣を振りかぶろうとしたが、ぴくりとも動かない。アーリアの魔法は、空間に剣を固定しているのだ。

「仇か。戦争と犯罪者以外では、殺した経験はないと思うんだが?」

 アーリアは実際のところ、かなりの人間を殺している。

 だがそれは彼女の目から見て、一定の基準を満たしている犯罪者だけだ。ちなみに法律に則っているわけではない。

「我が名はミズリー・ゴルゴーン! お前に討たれた大将軍レイゴル・ゴルゴーンの孫だ!」

 アーリアは眉根を寄せた。


 戦争においては殺人が発生する。

 だが基本的にそれは、仕方のないことだ。そもそも大規模な殺し合いが戦争なのだから。

 個人の殺人は、戦争の中では正当化される。万一責任を取らされるとしたら、それは指揮官である。

 そう考えるアーリアだが、さすがにここで殺されるわけにはいかないし、かと言って殺してしまうのも気が進まない。

「ミズリー、やめるんだ」

 だからウェルズが声をかけてくれたのは、ありがたいことではあった。


 起き上がったウェルズは、顔色がやや白いものの、やつれた雰囲気ではない。

 死病だったりしたらそれを利用出来るかと考えていたアーリアだが、そこは残念だった。

 しかしここでミズリーを止めるということは、冷静な判断力はあるということだ。


 ミズリーは泣きそうな顔でウェルズを見て、震えながら息を吐いた。

 剣にかかる力が弱まったので、アーリアは固定化を解除する。

 鞘に剣を収め、ウェルズの斜め、アーリアとの間に立つ。

 生真面目そうなその様子だけで、なんとなくアーリアは彼女の性格が分かる気がした。




 出来ればウェルズとは、何も考えずにただ語り合いたかった。だがこの対話で下手なことを言えば、自分はともかくウェルズの立場は悪くなりかねない。

 だが地雷がどの辺りなのかも分からないので、アーリアはとりあえず根本的なことを訊いてみた。

「将軍、貴官はこの大陸の状況をどう考えている?」

 あまりにも大きな枠組みなので、どのようにも答えられる。

 だからこそ本音を話しやすいとも言えるのだが。


 ウェルズは落ちついた声で答えた。

「非常に珍しく、そして悪い状況にあると思いますね」

 先ほども聞いたが、ウェルズの声は穏やかで、だが人の耳には素直に届く。

 声の良さは良将の条件の一つだが、こういった声の持ち主は珍しい。

 ハロルドと似た声だとアーリアは感じた。


「珍しく、悪い状況?」

 そのまま問い返すと、ウェルズは頷いた。

「大陸と周辺の諸島部の国家、ほとんどが内乱状態か戦争状態。そして国家機能が衰え、治安が悪化し、物流が阻害されている」

「悪い状況だな。珍しいというのは?」

「大規模な食糧問題や宗教問題が起こっていない」

 ウェルズの指摘に、アーリアは驚いた。

 アーリアの記憶の限りでは、戦争の元となるものの最も大きいものが、食糧問題だ。

 思想や宗教といったものや、権力闘争というのはきっかけや結果にすぎない。


 人間は本質的には保守的な存在だ。

 変化を恐れる。しかし生命の危機に瀕しては、その性質も変化する。

 大規模な農民一揆などに、宗教などが大義名分を与えて、食えない者が食える者から奪う。

 原始的だが極めて自然なことだ。


 だが現在の大陸の状況は違う。

 一部では食料不足の地域もあるが、飢饉が起こるほどの大規模な天災はなく、宗教的な理由による侵攻などもない。

 政治的な大義を掲げたものはあるし、思想系のものもあるが、宗教とは言えない。

 それでも実際に戦争が起きている。

 おそらくウェルズにはそれが分からないのだ。だがアーリアには分かる。


 これは文明が一段階上に行く時に起こる、文明的な摩擦なのだ。

 アーリアが加速させてしまった部分もあるが、食糧生産と人口の増加が起こり、しかしながら新たな開拓などで領地の紛争が起きにくい。

 余裕が出来たことによって日用品なども充実し、嗜好品も増えている。

 権力者達の争いなどは、本当の生存戦争を知っているアーリアなどからすると、おもちゃの所有権を争っているようにしか見えない。

 ウェルズの言ったことは正しい。旧来の権力者が遊びにかまけ、治安を疎かにしているせいで、物流が阻害されている。

 これが平和な時代になれば、あちこちから文化的なものが生まれてくるだろう。爛熟と言えるかもしれない。

 そして既に一部の国がそうであるように、君主制から民主制へとの過渡期なのかもしれない。


 アーリアは久しぶりの知的思考を楽しんだ。

「具体的にはどういった状況に落ち着くと思うかな?」

 ウェルズの答えは早い。

「三国以上の有力国家と、中小の国家への再編。軍事的緊張による治安の良化と、緊張状態に反比例する平和の到来」

 そこまで見ていたか。


 アーリアは確信した。ウェルズは天才だ。

 既に知っていることをなぞるアーリアよりも、未来予測は甘い部分はある。しかし彼の言っている状態になる可能性もある。

 アーリアのそれは、あくまでも過去にあった出来事なのだから。それがいつも正しいとは限らない。


「私は少し違うと思う」

 アーリアは上機嫌になった。

「一つの覇権国家と、少数の大国、そして大多数の小国の共存。私がそうする」

 そう、このままの流れならば、アーリアがそうする。

 アルトリア王国ネーベイア朝が誕生し、議会を作り民衆を教化し、さらなる技術開発を進める。

 以前のように神と一度戦うたび、全て最初から準備しなおす程度では、文明としてのレベルが低すぎるのだ。


 アーリアの視線を受け止めるウェルズは、不思議なほどに落ち着いている。

 純粋な戦闘力ではたいしたことはないはずなのに、この落ち着きようは不気味ですらある。

「そして私が作る覇権国家の将軍が貴官だ」

 これ以上はないというほどのあけすけな勧誘に、ウェルズは首を振った。

「まあ断るというのも分かる。貴官は暴力にも権力にも、そして財力にも興味はなさそうだしな」

「いえ、財力は欲しいですが」


 空気が弛緩した。

「……今の倍払うと言ったら、ネーベイア家に仕えるかな?」

「残念ですが、私もこちらで、それなりに人とのつながりがありますので」

「それは残念」

 だがウェルズの言い分をちゃんと考えるなら、変に愛国主義であったり、宗教的な理由はないらしい。

 ならばいずれはアーリアの元で働くことになるだろう。


 アーリアは立ち上がった。

「私はおそらく数年のうちにアルトリアを束ねて、またガラハドに侵攻する予定だ。おそらくその時、また貴官と対決することになるんだろうな」

「私はあまり戦うのは得意ではないのですが」

 心底げんなり、といった顔でウェルズは呟いた。

 戦争の嫌いな人間に、これほどの戦争の才能を与える。まさに神々は度し難い。

 あるいはそれこそが、この世界の神の限界なのか。


 おそらくウェルズとの戦いは、常識的なこの世界の戦争とは異なるものになるだろう。

 笑顔を向けたアーリアは、音もなく姿を消した。


 ウェルズは溜め息をついた。

「ミズリー、今のことは内密に」

「……はい」

 偉大な祖父の仇と思っていた少女は、あまりにも悪意に欠けた存在だった。

 ミズリーが己の中の感情を処理するのには、まだ時間がかかりそうである。




 夜空を一飛び要塞へ帰る。

 自分の部屋に戻ったアーリアは、要塞内の気配が妙に慌しいのを感じた。

 部屋の中にも誰かが立ち入った気配がある。普通ならもう寝ている時間ではあるのだが。


 諦めて部屋のドアを開けると、ちょうどよく顔見知りの下士官が通り過ぎるところであった。

「姫様! そこにいらしたのですか!?」

 勝手に出歩くのはアーリアの常だが、前線でそれはさすがにまずかったかもしれない。

「ちょっと夜風に誘われてな。何があった?」

「詳しくはハロルド様が。砦の兵も明朝、半分を残して領都へ帰還の命令が出ました」

 なるほど、それは慌しくもなろう。


 アーリアは素早くハロルドの位置を探る。会議室の中にいる。

 すたこらと駆けつけたアーリアは、バーン!とドアを開けた。

「お待たせしました! お兄様!」

 不在を誤魔化すための演出だが、座っていたハロルドの動きは鈍かった。

 珍しくも半眼の剣呑な表情で、ハロルドはこぼした。

「アーリア、大公家が割れたよ」

 かくしてアルトリア動乱と呼ばれる戦争が始まる。




   第四章 了

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