第90話 アーリア・ライン 2

 ロッシ家のゼルゲルは、既に砦を退去し、領地へと帰還している。

 諸侯達も敗残の兵は現場に任せ、悪い記憶をそのまま忘れようとするかのように、砦を去って行った。

 いや、もはや砦とは言うまい。

 アーリア・ラインという名前はともかく、アーリアでさえ既に、これは国境要塞と呼んでいた。


 ネーベイア家はその領都も含め、何箇所が軍事上の要衝を持っている。

 それと比較しても、国境の要塞の堅固さは群を抜いていた。


 ガラハド軍は動きを見せず、ただ斥候の動きだけが目立つ。

 それに対してアーリアは、さらに熟練の斥候、ある意味暗殺者にもなりうる兵をもって、排除を徹底していた。

 倍以上のガラハド軍であるが、構造上物資が欠乏しない限り、5000の兵がいれば、よほどの不運がない限り、この要塞は抜けない。

 攻城戦三倍の法則とはまた違う。アーリアの考えた要塞の装備や配置が、完全にこの時代の防御施設を上回っているのである。

 それこそ屍山血河を築き上げなければ、現在の技術でこの要塞を抜くことは無理だろう。


 この要塞の責任者は、ネーベイアの長兄か次兄が当初、担当する予定であった。

 しかし父であるゼントールと共に、二人の兄は一度帰った。残ったのはアーリアとハロルドである。

 これも実は作戦、あるいは謀略の一環であった。

 まだ要塞に残る傷病兵は多い。それに対してハロルドやアーリアは、手ずから治療を施していったのだ。

 アーリアが隔絶した治癒魔法の使い手ということもあるが、狙いは回復した兵士達の印象操作である。


 アルトリアの兵は傭兵や職業軍人もいるが、今回ロッシ派が準備した兵は、かなりが徴用兵であった。

 農家の次男や三男が多いが、自ら進んで兵士になったという者は少ない。

 また戦争に対する忌避感も、比較的安定していた王国東部としては、今回の経験で大きくなっただろう。

 そしてそれらに対してちゃんと手当てするのは、天上の領主様ではなく、隣の領主のお嬢様である。

 外見だけなら天女のようなアーリアに治療され、熱烈な彼女のシンパになることはごく自然であった。


 開拓するべき土地が大量に手に入ったため、そのままネーベイア領に移住するという者もいた。

 だがやはり多くは、一度は故郷に帰ることを選んだ。それに対してアーリアは自分の財布から、道中の路銀まで渡したのだ。

 こういったパフォーマンスをアーリアがしている間、実務をこなしてくれたのがハロルドである。

 ネーベイア家の男子としてはともかく、貴族としての領地経営ならば、ハロルドは父や兄よりも優れていただろう。




 一息ついたアーリアは、兄やごく一部の側近と共に、今後の国内の動きについて話し合った。

「ロッシ家がどう動くかだな」

 ハロルドは呟いた。アーリアも同感だ。


 元々ロッシ家の後継者は、アホのロベルトのはずだった。

 長男ではなかったが嫡男であり、辺境伯の娘との婚約もあって、その未来は確定したもののようだった。

 しかしその未来を確定させるはずの要因の一つ、婚約者を切ってしまい、しかも醜態を晒したことによって、かなり立場はまずいものとなっていた。

 そにれ大してゲルゼルは、そもそも家督を継承する可能性が低いと考え、幼少期から大公を継ぐ以外の目的で動いていた。

 勉学に励み、武芸を鍛え、戦乱にでもなれば功績を上げて爵位でももらおうと考えていた。


 だが、皮肉である。

 ロベルトが醜態を晒したおかげで、ゲルゼルこそがロッシ家の後継者に相応しいとの声が上がってきた。

 アルトリアの次期王位が決まっていないように、大公家の後継者もロベルト以外の選択肢があるのだ。

 担ぐ神輿は軽いほどいいとは言うが、働き者の無能であるよりは、働き者の有能の方がいい。

 真にロッシ家を思う人間達は、ゲルゼルを次期大公へと働きかけることになった。


 現大公にしてみれば、後継者はどちらでもいい。自分の息子であることには変わらないからだ。

 ただ現在の国内状況では、決闘や姻戚関係で考えるにも、純粋な能力だけで考えるにも、そう簡単に結論を出すわけにはいかない。

 母親の家柄からすると、他の貴族家との関係を深めるならば、ロベルトが大公となるのが当然だろう。

 しかし戦乱の世であれば、血統だけで大公家を継ぐことは許されない。

 それでもやはり総合的に見て、ロベルトが継嗣となるのが妥当に思えていた。


 しかし、あの婚約破棄事件があった。


 ロベルトがあの場で、自身の器量を衆目に示してしまった。また己の立場を強化するための婚約を、勝手に破棄してしまった。

 こうなると逆にロベルトを後継者としても、ロッシ家がいいように侵食される可能性が出てくる。

 戦乱の時代の貴族において、傲慢や外道な貴族は許されても、無能な貴族は許されない。

 よってゲルゼルを後継の候補者として宣伝するために、大公は遠征軍の司令官に任命した。

 大軍をもってして、窮地にあるガラハドを攻める。これが成功すれば次期大公の地位は、ほぼゲルゼルに決まっていただろう。

 だが失敗した。


 単なる失敗ではなく、歴史に残るほどの屈辱的な大敗だ。

 戦場の動きを見ても、ゲルゼルに致命的なミスがあったとは言えない。他の貴族家の司令官にしても、ガラハド軍相手にまともに戦えたのは、要塞に拠ったネーベイア軍だけであった。

 だがロベルト派にとっては、結果が全てだ。ロベルトもゲルゼルも、致命的な失敗をしたという点では変わりない。ならば最初の予定通り、ロベルトが継ぐべきなのか。

 ことはそう単純なわけではない。


 ロベルトかゲルゼルか。

 ロッシ家の後継者争いは、王国東方に置いて、現在最も大きな問題となっている。




 一通り傷病者も要塞を去り、アーリアやハロルドも砦に常駐する必要はなくなった。

 二人と交代でどちらかの兄が、指揮官として赴任してくる。

 その最後の日の夜に、兄と妹は酒を飲みながら話し合う。


 ネーベイア家は酒豪の一族だ。

 それはこの家の者にしては繊細に見えるこの二人も、例外ではない。

 もっともアーリアの場合は、飲んだ端からアルコールを中和しているのだが。

「アーリア的にはどちらの味方をしたいのかな?」

「率直に言えばどちらも嫌ですね」


 単に人間的に見るなら、ゲルゼルで間違いはない。

 ロベルトがどうしようもないアホだということは分かっているが、今後の展開次第では、そんなアホが大公となる方が、都合がいい可能性も高いのだ。

 ネーベイアは、東の国境を少数で閉じることが出来るようになった。

 つまりこれで西、つまりアルトリア国内に大軍を派兵できることになったのだ。


 アルトリア王国の体制をどうするか、まだ流動的な部分はある。

 だが実権をネーベイア家が奪取するということは、アーリアの中では決定している。

 父ゼントールに言った時も、否定されはしなかった。

 だが父はこうも言ったのだ。

「自分には荷が重いな」


 人間とは力があるから地位に就くということもあるが、逆に地位によって育てられることもある。

 ゼントールは自分が王の器でないと言っているが、アーリアの記憶する限り、王の器を本当に持っていた王など、ほとんどいない。

 問題は簒奪するにしても、それだけの説得力をゼントールが持っているかどうかなのだ。

 そしてアーリアの考える限りにおいて、多少の付加価値をつけることは必要だが、ゼントールにはそれだけの力はあると思う。

 少なくとも現在の王位継承権を持っているどの男よりも、王の位には相応しい。

 しかし簒奪となると、順調に継承するよりも、その力は大きくなければいけない。


 アーリアの考えによるとゼントールの正当性とはまでは言わないが、妥当性を示すには、二つの方法がある。

 一つはゼントールが王族の娘と結婚し、その子を王位につかせること。

 そしてもう一つは息子を王族と結婚させ、王位に就けること。

 どちらにしろアルトリア王国の血統は続くが、内実はネーベイア朝となる。

 ゼントールの年齢や兄たちの年齢を考えると、後者の方が現実的だろう。


 兄三人は全員が独身であるので、その意味でも問題はない。

 上の兄二人は内政を任せると不安になるが、そのあたりはアーリアがフォローすればいい。

 だが軍事面を誰かに任せられるなら、ハロルドが一番王には向いている気がする。

 家督継承のゴタゴタが嫌なので、長兄が王座に就くことになるのだろうが。




 アーリアはやらなければいけないことと、やりたいことが多すぎる。

 彼女の一番の目的は、大神の迷宮の攻略だ。

 大陸の安寧というのは、人間としてこの世界に生まれてしまった義務感だと思っている。


 出来ればすぐにでもダイタンに戻り、レオンと共に迷宮の攻略にかかりたい。

 レオンはアーリアの知る限りにおいて、ティアと並んでこの世界で最強の存在だが、それでも高位の幻獣種相手では、さすがに厳しいだろう。

 アーリアが行くならばティアも同行するので、この三人ならば大神の迷宮も攻略可能だと思う。

 往復の時間を考えても、一ヶ月ぐらいならば迷宮に専念しても良さそうだが、いざという時に動けなかったりすると痛い。

 やはりアルトリア国内をおおよそは掌握する必要はあるだろう。


 内政に必要な文官は、領都に作った学校で順調に育っている。

 教科書も作成したし、教師陣も豊富だ。その分野に不安はない。

 だがやはり軍事的な面に不安は残る。


 父であるゼントールは、勇猛な将である、二人の兄もそうだ。

 しかし名将と呼ぶには、戦場と戦略、あるいは政略を結びつけて考えるほどの才能を持っていない。

 兵站をハロルドに任せれば負けない戦は出来るだろうが、もっと安定して戦える司令官がほしいところだ。


 だがアーリアの記憶にある限り、良将というのは育てられても、名将というのは育てられるものではない。

 どこか頭のおかしな、感覚に独特なものを持っている者がほとんどだ。

 士官教育を受けずに才能だけで戦っていた天才を、アーリアは多く記憶している。

 どこからか発掘するか、それとも勧誘するか。

「あ」

 考えているうちに、アーリアには一つ思いついたことがある。

「どうしたんだい?」

 ハロルドが問いかけるが、アーリアはその思いつきを形に出来るか、様々な要因を考える。

 だが情報が足りない。そしてこの情報は、他人に任せていいものではないだろう。


 結論を出したアーリアは、すぐに行動するべきだと判断した。

「兄上、ウェルズ・ヤースに会ってこようと思います」

 ちょっと散策気分で、アーリアはそんなことを言った。

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