第85話 ガラハド侵攻 2

 おおよそ一ヵ月後。

 アーリアの予想以上に、侵攻は上手くいっていた。

 しかし占領統治は、予想通りの展開を見せていた。


 ロッシ軍は五万の数を誇る。これは中規模の街よりもはるかに多い人数だ。

 ある程度の規模の街を占領したとしても、五万という人数を食べさせるにはとても備蓄だけでは賄えない。

 もちろんアルトリア本国からの補給も行っているが、それはあくまでも戦闘力を維持するためのものであり、士気の高揚に役立つかは微妙である。

 嗜好品となるともう、高級士官の分しかない。兵たちにはおそらく占領した街で遊ぶほどの金銭も渡してないだろう。

 風紀が乱れて統制が取れなくなる可能性もあるが、やる気を維持するために兵士達は、貨幣の現地調達を企むだろう。


 まあそれは予定通りであるので、特に文句はない。ネーベイアは課された責任を果たすだけである。

 予定通りでないのは、ガラハドの動きが鈍い。

 北の蛮族は撃退したようだが、そこで浮いた戦力を、こちらにまだ向かわせていないのだ。

 東に向けるというのなら、まだ話は分かる。だがこちらに向かって、あまりにも遅い速度で行進している。

(これはあれかな?)

 古代ローマの時代から有効だった、しかしながら自らの身を切るような戦術。

 焦土戦術だ。


 アーリアは絶対に採用しない。有効であると分かっていてもだ。

 彼女は基本的に、敵地でしか戦闘を行わない。あるいは緩衝地帯だ。

 焦土戦術は国力を消耗しすぎる。下手に篭城などするよりは、主導権がこちらにある奇襲を行う方が好きだ。

 それは彼女が圧倒的な情報収集と分析能力をもっているからである。


 その情報収集によると、北方での戦闘の詳細が伝わってきた。

 ガラハド王国の損耗200人に対して、蛮族は二万の屍を晒したという。

 指揮官の名前を聞いたが、これまでずっと北方辺境を担当していた者だった。

 この国家的危難を前に、一か八かの戦術を使い蛮族を減らし、こちらに向ける戦力を確保したということか。

 それにしてはその戦力が、こちらに向かうのは遅いのだが。




 アーリアの思考からすると、ガラハドの首脳部は戦略を理解していない。

 北方の危機が去った以上、東方の防御も優勢に進められるため、王都近隣の戦力をこちらに向けるべきなのだ。

 それでも近衛の部隊が王都の守備から動かない。遊兵になってしまっている。

 結局最後には、国土の大半を荒らされてから、遅すぎる出兵となるのだ。


 権力者というのはだいたいが、国家の安全よりも自分の安全を優先する。

 王権神授説などはなく、王族が神の子孫なのでもない国だが、とにかく支配者層は国が消滅するまで軍を手放さない。

 似たようなもので、首脳部は国家が完全に破綻するまで、権益を手放さないというのもある。

 国家に寄生しているのに、国家の滅亡を傍観する。そういうものなのだ。

 だからアーリアは強権を振るう。

 逆らった者は皆殺しか、財産没収の上追放だ。

 彼女は本当に国家のためになると思えば、ある意味で手段を選ばない。


 そんな彼女は休憩がてら、物資が倉庫に補給されていく様子を見ていた。

 上の兄が二人、兵卒に混じって荷を運んでいる。

 ハロルドがそれを見ながら、帳簿をつけていた。

「兄上」

 丁度いい頭の良い人間を見つけたアーリアは、ハロルドの横にちょこんと並んだ。

 なんだか兵たちの作業効率が上がっている気もするが、無理はしないでほしい。


 アーリアの美貌に晒されている男どもの働きに苦笑しつつ、ハロルドは妹を見る。

「どうしたんだい?」

「ガラハドの動きが、どうにも掴めません」

「アーリアに分からないことが、私に分かるわけないよ」

 それもそうかな、とアーリアは内心では思った。慢心しているわけではないが。

「兄上がガラハドの……そうですね、将軍だったらどうします?」

 ハロルドは頭脳の明晰な男であり、実務にも長けている。

 ただどうしても、戦争関連のことになると勘が鈍い。


 だが、それでもいいのだ。アーリアは己の才に自信など持っていないが、蓄積した経験から回答を出すのには長けている。

 しかし世の中にはそれを外れる奇抜な発想が出てくるものなのだ。人間は常に最適解を選択できるわけではない。

「私だったらまず、東の敵を片付ける」

 それは常識的な意見であり、実際にそのように動いている。

「それから、とにかく戦闘を放棄して、王都の近くにまでアルトリア軍を引き込む」

「大胆ですね」


 アーリアはそう言ったが、それも想定の範囲内だ。

 もし彼女がガラハドの将軍だったらと考えると、取れる戦術が多すぎて、逆に困ってしまう。

 武器の運用方法や戦術など、一万もいればアルトリア軍五万を倒すのは簡単すぎるのだ。

 そもそも斥候や工兵という概念が、この世界にはまだ浸透していない。兵站もだ。

 だからアーリアはいくらでも戦略的に勝てるし、戦場でも勝てる。本物の天才でもない限りは、彼女には勝てない。

 情報収集だけはしっかりしながら、アーリアは書類仕事に追われるのであった。




 崩れる敵軍を見て、老将は何度も頷いた。

 ほとんど崖の上からとも言える奇襲。それによって敵の陣地は完全に混乱した。

 そしてその混乱は、配置された陣形にも伝わり、味方の好機となった。

「全軍前進!」

 ガラハド軍歩兵隊は、陣形を守ったまま、崩れた敵軍へと突入した。


「うむ、うむ、うむ!」

 敵軍の司令官を捕縛し、およそ5000もの首級を挙げたこの戦いは、ガラハド軍の完全な勝利と言えた。

 いつもほどほどのところで逃げてしまう相手を、完全に封殺した。


 ある程度の外交権を持っていた敵の将軍とは、さほど過酷な要求をすることもなく、いつも通りの講和を結んだ。

 上機嫌のまま将軍は、ウェルズ・ヤースとの話に戻った。

「北方の話は聞いている。おそらくお主はこれで、将軍になるだろう」

 ウェルズは困ったような笑みを浮かべた。


 ガラハド王国は軍司令官に人材がいないわけではなかった。

 まだ二十代の若さであるウェルズは、明らかに早すぎる出世だ。

 しかし次代の軍を担うと思われていた者の大半が、ゴルゴーン将軍と共に討ち死にしていた。

 上がいなくなってしまったので、ウェルズに将軍位が回ってきたのだ。もっとも最前線の将軍二人の推薦があれば、そういうこともあるのだろう。

 あと、国家は滅亡の際に、英雄を出現させる傾向があるという。


 そして将軍となるということは、一代限りだが名誉伯爵に叙されるということでもある。

 実際には本人の死後も子は男爵位を与えられるので、本格的に貴族の仲間入りということだ。

「面白いぞ。宮廷で偉そうにしていた男爵や子爵がぺこぺこと頭を下げるのは! わしは爵位などどうでも良かったが、あれだけは痛快というのかの! 鬱憤が晴れたわ!」

 ウェルズにとってはどうでもいいことだ。

 それにこれからの戦いで、自分があっさりと死んでしまう可能性は高い。


 あの日――ガラハド王国の大きな転換点となった、あの戦いの日。

 魔境の氾濫という異常事態を確実に利用し、本来ならどうやっても手の届かないところにいる、ガラハドの最高司令官を討ち取った者。

 辺境伯令嬢アーリア配下の騎兵だと聞いたが、よくもあんな魔物の中を、突破してきたものだ。

 その他にも追撃戦で、巧みに兵を操ってウェルズの策を潰した者もいた。

 ネーベイア辺境伯家の武人は、侮ってはならない。おそらく蛮族や東の商売人どもより、よほど恐ろしいだろう。


 だから、準備をする必要がある。

「閣下、兵をお借り出来ますか?」

 この後のウェルズの配置先は、古巣の対アルトリア戦線だ。

 砦を抜かれた以上、これまでのアルトリア迎撃戦の蓄積には全く意味がない。

「いくら必要だ?」

 将軍は間髪入れずに問うた。

「一万を」

「二万持って行け」


 国境の常備軍は八個軍団四万が定員である。

 そこから二万の兵を割くというのは、かなり危険な行為だ。

 将軍の圧倒的な好意からの発言であったが、ウェルズは首を振る。

「数が多すぎると、間に合いません。一万で足りるのです」

「ならば最精鋭のやつらを持って行け」

 この言葉には、ウェルズは首を振らなかった。


 兵の中の精鋭というのはどういうものだろうか。

 もちろん経験を積んだり、劣勢においても逃げ出さない精神力は大事だ。

 だがそれらのイメージ的な要素を、ウェルズは否定する。


 精鋭とは、歩ける兵だ。

 それは戦場から戦場への移動を、早く行える兵である。

 どこの戦場にもおらず、浮いている状態がない。たとえ三万の軍勢が東西からやってきても、四万の軍勢で各個撃破出来れば、六万以上の軍勢を持っているのと同じことだ。

 ちなみにこの継戦能力を保つために、アーリアも兵站を強化している。


 あとは、敵を分割させて叩くだけ。

 ウェルズはひたすら、頭の中で数を数えた。

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