第83話 数える男

「まさか……。信じられん……」

 目の前に広がる、圧殺され、あるいは刺殺された数多の蛮族を前にしても、彼は状況を正確に認識できていなかった。

 北方に配備されて、途中でわずかな交代もあったが約30年、このような光景を目にすることがあるとは。


 北方蛮族は主に遊牧民である。その精強さは騎兵であるということの機動力と、弓を使う一撃離脱戦法の絶対的優位にあった。

 その蛮族が、おおよそ少なめに見ても二万。草原の大地で屍を晒している。


 蛮族が略奪を行うのは、単純に食料が不足したからである。たとえ戦争の結果とはいえ人口が減った以上、更なる侵攻は考えられない。

 略奪はするが、そこに悪意はない。反撃され殺されても恨みはない。それが北方の蛮族だ。

 よってここだけで二万、負傷者も含めればそれ以上の被害を与えたことによって、しばらく蛮族の侵攻はないであろう。


 その芸術的戦術を考案した男は、未だ震える将軍の右後方で、後味の悪そうな顔をしていた。

 平凡な、だが嫌悪感は感じさせない、朴訥な印象を与える男。

 かつてゴルゴーン将軍の配下にあって、彼は兵站管理官の役職にあった。それはこの辺境の大地でも同じだ。

 違うところは彼が、作戦を献策する機会があったというだけだ。


 特に奇抜な新兵器を用意するようなこともなく、ガラハドは蛮族と戦おうとしていた。

 数自体はガラハド軍も、おおよそ同じだけの兵を揃えた。だがそれだけでは、蛮族と戦うことは出来ない。

 蛮族どもは命知らずだ。むしろ死ぬことを求めているかのようにさえ見える。

 その認識はおおよそ正しい。ガラハドの北方蛮族は、女子供でも馬を操り、遊牧を成り立たせている。

 男どもの役割は狩猟や害獣の駆除だが、それでも全体としては大きな仕事量ではない。


 こういった侵攻で大きな損失を出しても、一人の男が複数の妻を持つことによって、その集団を維持する。

 蛮族は蛮族なりに、生存する方法を知っているのだ。




 そして結果が、これだ。

 味方の部隊を点呼していた部下が報告する。ガラハド軍の死者及び重傷者は、200人に満たなかった。


 およそ戦史に残るほどの圧倒的な勝利。

 将軍はそれに震えると共に、改めて称賛の声を上げる。

「ウェルズ・ヤースよ。これほどの戦果は、まさに有史以来となる赫々たる武勲だ。陛下にも奏上せねばなるまい」

「はい」

 戦場に殺戮の芸術を花開かせた男は、どことなく血の匂いを嫌うように顔をしかめていた。


 敗北して左遷されてきた部下である。しかし上からの辞令は絶対なので、将軍は彼を普通に扱うことを決めた。

 考えてみれば指揮権のない兵站管理官に、責任を取らせるというのも無茶な話だが、なにせ他の幕僚がほぼ全滅か官を辞したので、彼一人しか残っていなかったのだ。

 そんなわけで確かに計算は正確で速いので、将軍は彼を貴重に扱っていた。

 しかしもちろん作戦などを立案することはなかった。

 だが彼の持つ情報が、今回は必要だったのだ。


 蛮族が略奪するにあたって、当然ながらその対象になるような街や村は限られている。

 そしてそのような街や村は、国境の軍にも物資を流しているため、ウェルズは真っ先にそれを把握した。

 蛮族のこれまでの行動から、どの村や街が襲われるか。

 それを想定した上で、蛮族の浸透を予測したのだ。




 ウェルズには不思議な能力がある。

 それは数値化し辛いことを、数字にして頭の中で考えられることだ。

 彼は今回、機動力と長射程の武器を持つ蛮族の戦闘力を、頭の中で100と数えた。

 この数字をどうすれば小さくしていくか、色々と条件を加えた。


 まず機動力を、普通の歩兵並にする。おおよそ70へと数字が減った。

 そして弓への対策をする。おおよそ50へと数字が減った。


 戦闘の主導権を、敵の行動を予測してこちらが握る。またその進軍ルートを考えて、簡素ながら陣営地を作る。

 最終的には簡素ながら守備力を持った陣地と、背後に迂回した軍で挟む事によって、敵の攻撃手段である弓矢を無力化し、接近戦の長槍で一方的に突き殺した。

 この時の敵の戦力は、ウェルズの中では5となっていた。

 結果が圧倒的な殺戮である。




 将軍は笑顔のまま、居留地まで戻れば宴会だな、と気を緩めている。

 だがウェルズは丁重ながらも、それを辞退せざるをえなかった。

 既に彼に対しては、次の任務が下されていたからだ。


「ミズリー、なんとかならんのかね」

「は。閣下は仰いますが、東方の敵軍は、確実に王都に迫りつつあります」

 王都からの伝令である女騎士は、将軍にも生真面目にそう答えるだけである。

 ウェルズは溜め息をつきながらも、彼の指揮下にある部隊には命令を下さなければいけない。


「私の率いてきた部隊は、ここで一日休息した後、西の国境へ向かわせる。だが、ゆっくりと。そうだな、この辺りで私の指示を待つように」

 ウェルズが地図で示した場所は、明らかに王国西寄りで、国境にも遠い。

「閣下、陛下の指示は、東の敵の撃退です。西は砦にしばらく任せてもいいのでは?」

「いや、東へ行くのは私と護衛だけでいい」

 ウェルズの言葉に、周囲の皆が唖然とする。

 その中で立ち直ったのは、女騎士ミズリーであった。

「閣下、確かに王都からの命では、東が優先されてはいますが……」

 今度は将軍が驚いた。無理もない。


 ガラハド王国にとって一番被害をもたらすのは、北方蛮族で間違いない。

 そして本格的に全面戦争になって一番危険なのは、アルトリア王国である。

 東方の国家との戦争は、経済的な側面が強い。商業の盛んな東方は、より良い条件で金を稼ぐことを目的とする。

 逆に言えば見切りが早い。利益が得られないと分かれば、すぐに軍を引くだろう。


 対してアルトリア王国には領土欲がある。内乱で混乱している中、そんな余裕があるのかとウェルズは思うのだが、馬鹿はいつも馬鹿なことをする。

「東の敵は一叩きしたら、すぐに軍を引くだろう。アルトリアはある程度損害を与えないといけないが」

 馬の準備をする間に、ウェルズは直属の騎士たちと食事を摂る。

 女騎士ミズリーも、そのご相伴にあたっていた。

「軍を砦にすぐに向けないのは何故ですか? アルトリア軍は進軍こそ遅かったようですが、既に攻撃を開始しているようですが」

 ウェルズは全く言葉を飾らない。

「もう砦は落ちてるだろうな。今から行っても、戦力を減らすだけだ」

 その言葉こそ驚愕させるに充分であった。


 民衆には信仰がある。それは単なる迷信とも言えるものであるのだが。

 ゴルゴーン将軍は不敗であり、国境の砦は不落である。

 そんな迷信とはウェルズは無縁である。

 アルトリア軍が砦に援軍が向かう時間をかけてまで、補給路を完全にしているという情報が届いた時点で、ウェルズは砦の陥落を予測していた。

 もっともさすがに、予想よりも早かったのだが。




 騎士たちの間に動揺が走る。彼らはウェルズの言葉が外れたことはないと知っている。

 ほとんど予言めいた状況分析の正確さは、ウェルズの能力の一端である。

「そんな……しかし我々はどうすれば……」

 ミズリーの呆然として声にも、あくまでウェルズは落ち着いていた。

「現在のアルトリア侵攻軍の戦力を100とする。これに対して我が国の西部で編成できる戦力は、おおよそ20といったところだ」

 ウェルズは兵力を兵数では数えない。個々の能力や編成、士気なども考慮してその数字を出す。

「今、北の蛮族を撃退したことにより、新たに5の兵力が使えることになった。加えて東方の敵を撃退すれば、さらに10の戦力が向けられる。だがまだ足りない」

 そう、それでも数の上では、ガラハドの力は35にしかならない。


 そしてウェルズはちゃんと、その対策も考えてある。

「国境の砦はくれてやる。だがその先は、アルトリアにとっての地獄だな」

 国境の砦はガラハド王国が勃興期に建築された、戦略的に重要な拠点である。

 地勢上の条件により、これまで一度も落とされたことはない。

 だがウェルズは、もう既に落ちていると断言した。

 そんな非常事態にもかかわらず、彼は落ち着いている。


 ミズリーはやや童顔のこの指揮官が、類稀なる作戦立案能力と、情報分析能力に優れていることを知っている。

 彼であればミズリーの望む、いやガラハド軍人の多くが望む、報復を果たしてくれるかもしれない。

「実はアルトリアが砦の占領だけで満足するなら、こっちはお手上げなんだけどね」

 その言葉に肩を落としそうになる。

「まあ侵略者の考えというのは、古今東西それほど変わらないだろう。砦の占領だけを考えるなら、報告された兵数は多すぎる」

 ウェルズはアルトリア王国やガラハド王国の上層部が、価値を何に見出すかも正確に理解している。

 その欲望ゆえに、ゴルゴーン将軍は犠牲となった。


「アルトリアが求めるのは、ガラハド西部の土地だな。しかしそれは、戦力を分散させ、かつ駐屯させることになる」

 占領政策としては当然の手段だろう。

「あちらが分散しているところを、こちらは集めた35の力で叩く。おそらくアルトリアは諸侯の連合軍だから、一番大きな兵力でも20を上回ることはないだろう」

 もしも、ウェルズの言うことが当たっているなら。

 それはガラハドにとって、間違いなく侵略者撃退の必勝法となる。


 だが。

「もう少し勝率を上げておくかな」

 食事を終えたウェルズは、後始末を指揮する将軍の方へと向かって行った。

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