第74話 侯爵領の決戦 2
戦場とは案外暇な時間がある。
今回の戦いは、会戦で行われる。陣形を組んで、正面から殴りあう、純粋に兵士の強さが物を言う形式だ。
そこそこ広い盆地は、ダイタンから山を一つ越えたところである。そしてダイタンと違って、最悪山越えをしても軍の逃走は可能である。
そこに侯爵家軍と伯爵家軍が、アリウスの目から見ればのっそりのっそりと、会戦のための陣を作っていた。
「……なあ、お頭。今の内に不意打ちで大将首取ったらダメか?」
「ダメだ」
アリウスは止める。確かにそういった戦術はあるし、そのための訓練も積んでいる。
だが、ここでそれを使うのはもったいないのだ。使うまでもなく勝てるだろうし、新戦術を公表するほどの意義がない。
実地での検証ということなら、既にアリウスは前世で行っているのだ。もちろん誤差はあるだろうが、それは戦場の違いによっても生じる。原理自体が間違っていなければいいのだ。
アルトリア王国の軍制による軍隊相手なら、アリウスが戦術や兵器を自重せず投入した場合、ネーベイア軍だけで全国内軍を相手にして勝てるだろう。
軍事知識チートというのは、それに伴う兵站チートであり、兵站チートを成立させるための生産チートでもあるのだ。
「今回の目標は、味方の死者数ゼロで、敵を撤退させることにある。戦争と思うな。遊戯だと思え」
アリウスの言い方も、たいがい戦争を舐めたものであるのだが。
小高い丘の上からは、両軍の対峙がはっきりと分かった。
「始まりますな」
「ああ」
甲高い楽器の音と共に、戦が始まった。
戦争には才能が必要である。
戦術を憶えるだけでは、戦争には勝てない。
たとえば敵を包囲殲滅するという戦術。これは古くからある戦術であって、敵の壊滅を目標とするという点では、それなりに有効だ。
しかし敵が一致した意識を持って包囲の一角を破れば、薄い包囲をずたずたに切り裂かれる。
陣形にしても必勝の形というものはない。その状況によって選択する陣形は違うし、装備によっては全く意味のない陣形も多い。
もちろん机上の学問であっても、歴代の戦場を正しく分析するなら、そこから数値的に適切な戦術を選べる場合は多い。
だが最終的には、感性や経験に敗れる場合が多い。戦争とは技術ではなく芸術に近いのだ。
一つとして同じものはない。
だから、近い戦場を思い出し、それを修正する。
アリウスはそういった、経験による微調整が大好きであった。本人は自覚していないが。
「お~、急ぎすぎだな」
オイゲンが呟く。侯爵家の軍の中の一部が、突出している。どうやら先頭の若い騎士が逸っているらしい。
この規模の戦闘だと、そんな一部の突出でも、全体の結果につながることもある。
「あ、緩めた」
どうやら古参の従士らしき者が、馬の手綱を引いていた。それでどうやら隊列を整えるらしい。
地味だが必要な作業だ。これで緒戦でもたつくことはないだろう。
アルトリア王国の文明圏での戦闘は、先鋒の勢いで決まってしまうこともある。
騎兵の運用で決まることもあるし、流れ矢の一つで決まることもあるし、包囲殲滅で決まることもある。
要するに戦闘がまだ洗練されてないのだ。それでも大軍が勝ちやすいのは間違いない。
主な兵科は歩兵、騎兵の二つであるが、歩兵の装備によって軽歩兵と重歩兵に分かれる。
主に弓を扱い盾を持たないのが軽歩兵であり、弓を持たず盾と長槍を持つのが重歩兵である。
地方によって兵科の比重は違うが、この辺りでは重歩兵が一番重視される。
騎兵の集中運用は、侯爵家直属しか騎兵を持っていないため、侯爵家の騎士がそれを率いる。
騎士は歩兵の指揮官だ。もっとも騎士の中にも、騎馬している者と徒歩の者とがいる。
このあたりの統一性を持たせた方が、長い目で見ればいいのだろう。しかしそれを強制させるような力が、貴族の当主にもない。
アルトリアで成功しているのは、ネーベイア辺境伯家だけだ。それも辺境伯家直属の1万だけで、実質家臣であるが一応は独立した騎士たちの1万は、まだ軍制が整っていない。
まあ戦闘で勝つだけが軍の仕事ではないので、それはいいのだが。
それよりも今重要なのは、目の前の騎兵部隊である。
侯爵家の騎兵は500。右翼に配置されている。
そしてアリウスの騎兵300は、左翼だ。目の前には伯爵家の騎兵300。ほぼ同数だ。
伯爵家の騎兵は右翼、つまりこちらの左翼の前に布陣し、侯爵家の騎兵に対しては、歩兵の陣形で対抗するようであった。
これは適切な戦術を知っていれば、侯爵家の騎兵だけで戦局が決するものである。
だが知らないだろう。目の前に敵の陣があれば、それを撃破するというのがこの戦争レベルの対処法だ。
迂回して他部隊を攻撃すれば、それで戦闘は終わる。だがこの当たり前の常識が、まだ常識ではない。
なぜなら事前の軍儀で、そう決まっているからだ。任された戦場で奮戦することが、このレベルの戦場の常識だ。
指揮官の裁量権が弱いというか、そもそも視点が低い。
俺に任せたら一時間でこの戦争を終わらせてやる、と言いたくなるオイゲンである。
「さて、こちらも動くか」
敵の様子を見てから動こうかと考えていたアリウスであるが、どうやら敵も同じ考えらしく、動きがない。
敵の主力騎兵が動かないというだけでも戦局への影響はあるが、こういった場合はちゃんと戦果をあげておかないと、後がうるさい。
「三列横隊! 前列構え!」
数万、数十万の軍を動かすことが出来るアリウスであるが、小部隊には小部隊なりの良さがある。
それは命令伝達の早さと速さ。そしてそれを直接確認出来るということだ。
訓練されていない数だけの兵を動かすのも、司令官としては腕の見せ所なのであろうが、アリウスの場合は兵の練兵から考えるので、少数でも手足のように動く軍を好む。
アリウスの騎兵は、分類するなら軽騎兵だ。馬にまで鎧をまとわせ、その突進力で全てを破壊するようなものではない。
武装は基本的に弓。あとは小剣で、本来騎馬して使うべき長槍などは持っていない。
アリウスは別だが、彼女の場合は亜空間倉庫があるので、そもそも装備の前提が違う。
おそらく敵騎兵はこちらを見て戸惑ったろう。アリウスの騎兵は軽騎兵であるが、その武器は単純な弓ではない。
いわゆる弩なのだ。しかも足を使って引くような強度のものではなく、梃子と滑車を使った、威力はそのまま連発可能というチート武器だ。
整備性の問題で長期遠征には専門の職人が帯同前提なのだが、今回の場合は既にアリウスがチェックし、磨耗した部品などの交換も終えている。
こちらが横に薄く展開するのを見て、敵は鏃のような陣形を取った。
つまるところ突破し、反転し、再度攻撃という意図であろう。単純だがちゃんと騎兵の威力を意識した戦術だ。
だが当然ながら、対策は既に立てられている。
「前列水平射! 構え! ――放て!」
一斉に放たれた弩の矢は、矢というには太く重い。
熟練に時間のかからない武器であるが、威力は高い。おおよそ半数が有効打となった。
「中列前へ! 中央指揮官を狙え! 放て!」
スムーズに移動し、第二撃が加えられる。中央の明らかに指揮官であった騎士に、おおよそ100の短矢が浴びせられた。
面制圧のごとく、即死する。
敵騎兵は止まらない。だが味方の異常な喪失には気付いているだろう。感覚が鈍い。
「後列前へ! 水平射! 構え! 放て!」
三度目の攻撃は、またも約半数が有効打となった。
指揮官を失い、三割が脱落した部隊。
通常の場合、アルトリア文明圏での戦闘は、おおよそ一割が戦闘不可能となった時点で、その部隊は崩壊する。
指揮権の移譲がスムーズに成される部隊ならばそれも別だが、どうやらそれは不可能らしい。
「左右散開! 左はオイゲン! 敵後方にて布陣!」
真ん中で割れた騎兵が、左右に分かれて敵騎兵とすれ違っていく。敵の騎兵があれ? といった顔をしているのが面白い。
全く打撃を加えられなかった敵部隊は、ある程度の距離を突撃して止まる。そこで陣を組むはずが、明らかに遅い。
指揮官を失ったとは言え、まだ完全に戦闘力を失ったわけではないが、あまりに損失の大きいことに気付いて、士気が崩壊しかけている。
一方でアリウスの部隊は整然と整列し、また同じように構える。そして敵騎兵は戦場を離脱した。
つまるところ逃げたのである。
アリウスの部隊の被害はゼロ。敵から攻撃されていないので、当たり前と言えば当たり前なのだが、整地されていない地面を移動して、落馬して死ぬ者がいないわけではないのだ。
まあこの練度であれば、よほどの不運がない限りはありえないが。
「どうします? 追いますか?」
「冗談はやめろ。他の敵を攻撃するに決まってるだろ」
敵の騎兵は排除した。そして戦場を見てみると、意外と劣勢のはずの伯爵軍が健闘している。
おそらく数の優位を過信した侯爵軍が、士気の盛りたてに失敗したか、軍を大切にしすぎたか。
それでも全体の数に違いがあるので、敵の陣が一箇所でも破綻したら、そこから崩れるだろう。
ぐるぐると戦場を見回したアリウスは、その致命的弱点を見つけた。
「あそこだな」
「どうしてです?」
「あ~……感覚的になるが、ほら、装備が微妙に違うだろう? おそらく普段は連携をしていないんじゃないかな? 動き方も違う」
「言われてみればそんな感じですかね」
アリウスとしては将来的に、オイゲンに騎兵を率いてもらわなければ困るのだが。
オイゲンは騎兵としては優秀だし、周囲からの人望もある。だが指揮官としての視点は、あまり優れていない。
経験を積ませるか。しかし戦争の経験など、味方の死者を考えれば、そうそう積ませるようなものではない。
どこかに騎兵の運用に長けた人材はいないものか。
アリウスは騎兵を動かしながら、まだ見ぬ名将の幻を追っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます