第73話 侯爵領の決戦 1

 ダイタンの街を発する前日に、アリウスはアッカダ子爵領まで戻っていた。

 もちろん領都まで行くことはなく、レオンたちが待機してる小さな街までである。

 そして現状を話し、ヴァリシアはこのまま東へ向かわせることとした。


「侯爵には殺したと報告するから、ちょっと髪だけもらうよ」

 そう言って一房ヴァリシアの髪を切る。どうして首を持ってこなかったと言われたら、腐るのが嫌だったからと言えばいい。普通ならこの距離からならば、その説明で納得がつく。

「迷惑をかける」

「迷惑だけど、結果的には予想の範囲内だしな。しかしもう侯爵領というか、王国西部に戻るのは諦めた方がいいな」

「俺にも何か出来る仕事はあるだろうか」

 しおらしくそういうことを言うあたり、ヴァリシアの精神はかなり安定してきている。

「まあ普通に冒険者をやってくれればいいさ。ネーベイアでは今どんどん人が増えてるから、治安維持要員は必要だしな。一旗上げようって農村の次男三男も集まってるから、婿探しにもいいぞ」

「え?」

「いや、女の幸せを追求してもいいんじゃないかな、と」


 その時のヴァリシアの顔は、今までに見たこともないものだった。

 ぽかんとして無防備で、女性だなということを感じるものだった。

「今19歳だったか? ちょうど適齢期ではあるし、ネーベイアでは強い女もけっこういるから、他の領地よりは探しやすいぞ。……あんまり得意ではないが、仲介してやってもいいし」

「待て。待て待て。結婚って、俺がか?」

 愕然とするヴァリシアに、アリウスは顔を近づけた。

「素材はいいから、化粧の仕方を少し憶えれば、求婚者が殺到するんじゃないか?」

 そう言うアリウスの方こそ、美形という意味では圧倒的なのだが。

 ヴァリシアは顔を赤らめて俯いた。




 ティアのご機嫌を取るのは大変であった。

 ここのところ彼女は、ずっと迷宮で暮らしている。たとえ棺桶があったとしても、昼間に太陽の下に引き出されてはおしまいだ。

 ネーベイア領の屋敷の地下室や、魔境の古城を除いては、アリウスがいないととても寝てはいられない。

 その点はちゃんと確認した上で連れて来たのだが、さすがに戦争に巻き込まれるとは思っていなかった。


 しばらくの間、ティアは迷宮で寝泊りするだろう。それもあまり人目のつかない場所で。

 そんな所でティアのような少女がいるのは、極めて異常なことである。

 それでもアリウスが傍にいられない以上、彼女にとっては人のいる街よりよほど安全な場所だろう。

「お風呂とか入りたい」

 とは言っていたが、アリウスの血をたっぷりと飲ませることで、とりあえず納得させた。




 ダイタンの街を民衆に見送られて、侯爵軍が出発する。

 兵の大半は既に街の外だ。アリウスも間もなくそちらに向かう。


 侯爵家の軍とは別に、アリウスは斥候の騎兵を出していた。侯爵軍からは敵の様子を知らされるが、それがアリウスの求めている情報と一致するとは限らないからである。

 だが聞く限りでは、特に注意することもなさそうだ。敵の軍の編成にも、装備にもおかしなところはない。

 まあ同じ国内であり、領地も接しているのだから、ある程度の手の内は分かって当然だ。


 アリウスは指揮官待遇なので、中央のアンドレへと合流した。アンドレは門の前まで見送るのが役割だ。

 何気にセリヌスが残っているので、暗殺対策の護衛としては充分だろう。

 戦場に出れば流れ矢に殺される可能性があるので、とりあえずダイタンでおとなしくしていてほしい。この状況を逆転させるには、もはやアンドレを殺すしかないと言ってもいいのだから。

 それを思えばアリウスも傍にいるべきかと思ったが、他家の騎士であるアリウスが近くにいるのは、むしろ侯爵家の人間には不安だろう。そして己の子飼いの騎兵の指揮は、やはり細心の注意をもって行いたい。


 そんなアリウスが出陣の挨拶のためにアンドレを訪れると、彼はちょっと場違いな質問をしてきた。

「ところでアリウス卿、私はまだ正妻がいないのだ」

 ぴんときた。アンドレはとっくに成人しているのにもかかわらず結婚していなかったのは、彼が侯爵家を継承できるかが分からなかったからだろう。

 実際に侯爵家の当主となった今、彼の元には様々な縁談が舞い込むだろう。いや、戦争状態でもそういった申し込みは打診されているかもしれない。

「もし仮に、ネーベイア辺境伯家の一族から妻を求めるとしたら、どうだろう?」

 これはネーベイア家への打診なのか、それともアリウスの立場を見抜こうというものか、あるいは東方でのネーベイア家の状況を探るというものか。

「なんでも辺境伯殿のご長女であるアーリア殿は、婚約を破棄されたとか。私は今24歳だから、貴族ということを考えても、正妻に迎えるのは相応しいと思うが」

 ……そちらへ来たか。


 アーリアの顔を見たことのある者が、侯爵家に一人もいないということはないだろう。おそらくパーティーの一幕や、学園の同級生の中にはいてもおかしくはない。

 だがアンドレ自身はもちろん、その近くの者にも知られてはいない。

「ネーベイアの黄金とまで言われた美しさ、是非見てみたいものだ」

 ごく普通に男性としての興味もあるようだ。


 アリウスはここで、強く反対しておく必要がある。

「ネーベイア家は婚約破棄に伴い、ロッシ大公家と関係が悪化しています。西方の大貴族であるワルトール侯爵家と結ぶことは、おそらく歓迎するでしょう」

 将来的なことを考えると、魔石を長期的に安定して供給出来るこの領地は、かなり戦略的な価値が高い。

「しかしアーリア姫自体を求めることはお勧めしません。いえ、正直に申し上げます。初夜の寝台で寝首をかかれてもおかしくはないのです」

 まあ今更、あの父が無茶な結婚を強いてくることはないのだろうが。

「ロッシ大公家はどうやって婚約を成立させたのだ?」

 今度は疑問をもって、アンドレは問うてきた。

「ネーベイア辺境伯家は、軍事力はともかく権謀術数には秀でた貴族ではありませんでした。なのでまだ幼かったアーリア姫の価値が分からず、一見良さげな婚約に同意してしまったのですよ。実際アーリア姫の改革によって領内が豊かになってきたこの数年は、どうにか婚約を解消しようとしていました」

 そう、アーリアにとってネーベイアは必要だし、ネーベイアにとってもアーリアは必要なのだ。

「ふむ、それだけを聞くと、ますます妻としたい気分になるが……」

「閣下、間違ってはいけません。ネーベイア家やアーリア姫と、本当に誼を結ぶなら、アーリア姫以外の方を望まないといけないのです。それが大前提です」

 アンドレは顎鬚を引っ張った。どうやら考えているらしい。

「いずれにしろ、先のことだな。その折には卿に仲介を頼むかもしれんが」

「家宰のマルード殿までなら、話は通せます。その点ではご期待ください」


 戦の前にするような会話ではないな、とアリウスは思った。

 もしアンドレが「俺、この戦争が終わったら結婚するんだ」とか言い出したら、死亡フラグ回避のために、色々と苦労しただろう。

 それは杞憂であると理性では分かっているのだが。




 自らの騎兵隊の元へ戻ったアリウスは、司令官の指示に従って進む。

「今回は突撃はしないんですかい」

「しない。領地を守るための戦いじゃないからな。だからこの戦いでは、一人の犠牲者も出さない」

「そんな無茶な」

「無茶か? ……ああ、うちの部隊以外では、ちゃんと死んでもらうぞ」

 それはつまるところやはり、この騎兵部隊からは戦死者を出さないということである。


 オイゲンは顔を引きつらせた。アリウスはよく無茶なことをいって、たいがいそれをかなえてしまうのである。

「まあ足場を取られて落馬して死亡とかなら、さすがに損害は出るかもしれないな」

 落馬死。情けない死因のようにも思えるが、戦場では珍しいことではない。

 歩兵の槍に止められた騎兵が、馬の上から投げ出され、さらに馬の下敷きになって死ぬということは、戦争においてはよくあることだ。

 それに戦場の地面自体が、整備された街道などとは全く違う。

「あと今回は騎兵の攻撃を、10人一組で敵の指揮官級を狙って射撃させる」


 つまるところ騎士階級を多く殺すということである。

 これは命令の伝達に齟齬をきたすことを目的としている上に、政治的な判断も含まれている。

 今戦場に来ているのは、当然ながら主戦派の者が多い。

 それが戦死してしまえば、跡継ぎが幼い場合はどうなるか。

 講和派の貴族によって、その地位を乗っ取るような工作が行われても不思議ではない。

「ということで、戦に勝つよりも被害を出さないことが大切だ。万一何かの間違いで伯爵家が勝ちそうになったら、俺が介入する」

「お頭の力は、戦争では使わないんじゃ?」

 そう、アリウスが戦場で使う力は、冒険者の力ではない。

 その気になれば一方的に、広範囲殲滅魔法で、相手の軍を壊滅させられるからだ。


 もちろんそんなことはしない。アリウスには実力を隠す気はないが、実力を正確に把握されるのも避けている。

「流れ矢がたまたま、指揮官を殺してしまう。英雄譚でも実際の戦争でも、ありえなくはない話だろう?」

 地球の現代戦などとは違って、アルトリア王国の軍ではおおよそ、大将が討ち取られたら負けである。

 相手にとってはとんでもない不運ではあるが、その危険性はこちらにもあるのだ。

 指揮権の引継ぎという概念が、アルトリア王国ではない。


 ふとアリウスは思い出した。

 ゴルゴーン将軍と、その幕僚たちが消え去ったガラハド王国の侵攻軍。あれはどうやって、統制を取り戻したのか。

 一度戦場から離脱したので、そこで再編成をしたのは間違いないが。

(まあ今は考えなくてもいいか)


 この後、アリウスは自分の方針を変えようか、非常に迷うこととなる。

 暗殺してでも排除したい敵。

 ガラハド王国との戦いで、彼女はその名を知ることとなる。 

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