第70話 侯爵領の政争 5

 アーリア・ネーベイアは私兵を持っている。

 父から任されたとかではなく、自分自身の私兵だ。

 それは元騎士や冒険者、あるいは熟練兵、さらには他国者や、はては犯罪者まで、幅広い前歴を持っている。

 彼らはアーリアに雇われたり、あるいは忠誠を誓ったりした者たちで、その数は総数で1000人近くにもなる。

 これを雇用し続け、訓練をさせるだけの財源は、全てアーリア個人のものだ。


 農業改革から始まった知識・生産チートは、今のところ重鉄鋼業と金融までを中心に行っている。

 ネーベイア辺境伯軍は2万までの兵を常備しているが、その気になれば武器の改良と兵站の変更で、10倍の戦力に変わる。

 だがそれはアリウスがまた、アーリアと戻る日を待ってからのものだ。


 生み出した富を基本的にアーリアは領地に使ったが、一部は自分の私兵に使った。

 それが300の騎兵や、500の工兵、200の斥候兵による『蛮姫の精兵』である。

 普通なら『黄金の精兵』とでも呼ぶべきなのだが、彼ら自身が自らをそう呼んだのだ。

 幹部級の人材を揃えるにあたって、アーリアが腕力を行使することが多かったのが、その由来となっている。


 そしてその騎兵300は、先のガラハド王国の侵攻に対して、致命的な一撃を与えた。

 その隊長であるオイゲンは、実はほとんど盗賊に近い傭兵の出身であった。

 元は騎士の家の男子であったが、長男でもなかったため軍に入る。

 戦士として、指揮官としては優秀であったが、どうにも軍人には向いていなかった。

 そこで傭兵になったのだが、ネーベイア領は極めて平穏な領地である。アーリアがそうした。

 他の領地との境界では、それなりに野盗が出ることがある。傭兵が野盗になったり、農民が他領で野盗になったりする。境を跨いで。

 オイゲンは限りなく野盗に近い傭兵であった。つまり、守ってやるから金寄越せ、というタイプである。

 そしてアーリアの囮作戦に引っかかってつかまり、比較的悪質でないので、そのまま手下にした。

 軍人としては務まらなかったオイゲンだが、アーリアの部下としては働きやすい、と面と向かって言っていた。

「お嬢は貴族っぽくないですからね」




 そんなオイゲンが、なぜここに。

 王都で別れた後、領地に戻らせたはずだ。普段の仕事をやっていれば、ちゃんと給料も出る。

「見つけたーっ!」

 混雑しだしたギルドの人の中を、オイゲンは突っ切ってきた。

「なんでいるんだ!? いや、丁度いいけど!」

「俺は辺境伯の部下じゃないですからね! ちなみに騎兵連中はほとんど来てますぜ」

 騎兵がほとんど。

「ちょちょちょ」

 ギルドの片隅に引っ張って、アリウスはオイゲンと話すことになった。


「工兵と斥候兵は領内にいるんだよな? それと、どうして来たんだ?」

「斥候は何人か来てますよ。それと来た理由は、お嬢がこっちに来て、騒動を起こさないわけないでしょうが。あとは伝達事項もあるんですがね」

 そしてオイゲンは周囲を見回す。

「なんだか、ここはここで大変なことになってるようですが」

「ああ、隣の貴族が三家、ほぼ同時に攻め込んできそうなんだ」

「ほう! そりゃお嬢の得意分野だ」

「俺の本分は学者だ」

「またまたご冗談を」


 猫のような笑みを浮かべるオイゲンの頭をアリウスは叩いた。

「とりあえず……呼び名だが、お嬢はやめろ」

「分かりました、頭」

「なんで盗賊っぽくなるんだ。いや、それも今ではどうでもいいんだが」

 そう、今重要なのは、騎兵が300いるということ。

 300の騎兵。ガラハドとの戦いでもその真価を発揮したが、敵に致命的な一撃を加えられるだけの戦力である。

 もちろん有能な司令官が、正しい戦機を読み、投入すればだが。


「今、ここに300人いるのか?」

「いや、この街にいるのは30人ばかりです。本隊は山向こうの街にいて、あちこちでお頭を探してますから」

 どういう道のりでここまで辿り付いたのかは分からないが、アリウスがアーリアとして迷宮に興味を抱いていたのは衆知の事実である。

 そしてこのダイタンよりは東の街の方が、物価も安いし部隊としての拠点としやすい。

「三日でどれだけ来れる?」

「多分半数。甘めに見て200。全部集めるなら10日欲しいっすね」

「分かった。無理をしない範囲で出来るだけ早く集めてくれ」

「了解」


 この場に来ていたのはオイゲンだけだったが、ギルドの外には私兵団のメンバーが4人いた。

 それに連絡を持たせて、オイゲンは再びアリウスの元に戻る。

「しかしいったい、今どういう状況なんで?」

「侯爵が冒険者に殺され、後継者が不在となってる。そこに長男、次男、三男の実家が揃って、軍を出して圧力をかけている。侯爵家としては長男を跡取りとして、その母親の出身である男爵家を味方に、伯爵家の片方を利益で誘導して少なくとも中立にしようとしている」

「へえ、そりゃまた。企みましたね?」

 オイゲンが悪そうな顔をするが、アリウスは溜め息をつくばかりであった。

「企んだが、上手くいってないんだ。本当なら跡取りの立場をしっかりした上で、侯爵を排除。侯爵家の軍と共同で他の二つの家に圧力をかけ、戦争にはしない予定だった。それをあの馬鹿が冒険者を怒らせるから」

「ほう、失敗しましたか。お頭にしては珍しいですね?」

「片手間で陰謀なんか企むもんじゃないな」

 それは今更だが、本当に心からの言葉であった。


「まあそんなわけで事態は流動的だ。だがおそらくこの状況では、長期の戦闘準備もしていないし、本格的な戦闘は一度あるかどうかってところかな。そこに俺の騎兵がいると、まあ戦局は決まったようなもんだが」

 男爵家の軍が1000、伯爵家がそれぞれ2000、そして侯爵家が本来なら7000だが、どこまで集められるか。

 明確に味方に出来るのは、男爵家の1000と侯爵家からは2000ぐらいだろうと思われている。伯爵家の分断に成功しなければ、3000対4000で戦うことになる。

 ここに冒険者が加わるが、現役の冒険者全員を動員するのは無茶だ。それに不可能だろう。

 オットーが積極的に動いたとして、黎明の戦士団を中心に200から300程度か。


 この中でアリウスの鍛えた300の騎兵は大きい。

 下手をすれば、いやほぼ確信しているが、戦局を決定付けるものとなるだろう。

 地味だが若干の斥候兵もいるというのもポイントだ。


「まあ事態は分かりました。あとこっちからの伝言です」

 オイゲンがわざわざ騎兵を連れて来た。考えればおかしい。

 騎兵というのはものすごく金食い虫なのだ。領地に置いておくならともかく、遠征すればその糧秣の消費度などは何倍にもなる。

 アリウスの行方を探すだけなら、斥候兵の方が金がかからない。

「まあわざわざ俺たちが来たのは、戦争に利用されないためっすよ」

「戦争? どこの領主とだ?」

 言ってみてから気付いたが、おかしい。

 まず外国との戦争というのは考えられない。ガラハドの損失は大きく、再び攻め込もうというのは物理的に不可能であろう。

 ありそうなのはロッシ家との紛争か。アーリアによる次男暴行事件は、ちょっとした名目にはなる。しかし今戦えば、勝つのは辺境伯軍だ。


 ネーベイアからどこかに攻め込むというのは考えにくい。今は領内を豊かにする方が先だ。

 ひょっとした脳筋の兄が国境の砦を攻めたいと言ったのかもしれないが、それは悪手だと父である辺境伯も知っているはずだ。

「あ~、うちが主導じゃないですよ」

 ぴんときた。

「王家じゃないな。ロッシ大公家か?」

「そうです。基本うちは予備として、国境の砦を抜いてガラハドへ」

 アリウスはまた溜め息をついた。




 現在の状況で、アルトリアが他国に攻め込むというのはどういうことなのか。

 確かにガラハド王国の軍は壊滅的な打撃を受けた。兵力の問題ではなく、将校の面において。

 だからネーベイア辺境伯を含むアルトリア軍が、力任せに国境の砦を抜くことは出来るだろう。

 その先へ進み、かなりの領土を侵食することも可能だろう。だがそれをしてどうなるのか。


 ガラハド王国がすぐに応戦してくるか、それは微妙だ。だが単純に、占領地を維持するだけの能力が、今のアルトリアにはない。

 ロッシ大公家が主導ということは、東方の貴族の多くがそれに参加するのだろう。東方の諸侯の領地は、比較的治安が安定している。


 しかし勘違いしてはいけない。治安が安定しているのは、そこに軍がいるからだ。

 アルトリア西方や南方の内乱状態を思えば、食うに窮した流民や、より楽な獲物を狙う野盗に近い傭兵団など、危険な存在が流入する可能性が高い。

 もしそうなったらどうするか。当然軍を返すしかない。

 占領した土地を確保するのは難しいだろう。そもそもアリウスの計算上、現在のアルトリア軍の軍制と装備では、国境の砦を落とすのには5万以上の兵が必要だ。その兵站をどうするのか。


 いや、アリウス的にはいいのだ。ネーベイア家的にはいいのだ。

 むしろ好都合ですらあるのだ。しかし王国全体、あるいはロッシ大公家の派閥全体としては、無駄に金がかかって兵力を消耗するだけだと分かる。

 ネーベイア家は単純に、占領した国境の砦だけを確保すればいい。そうしたらあそこまでがネーベイアの領土として確定する。

 その程度の拡大を維持する力は、ネーベイアには充分にある。


 問題は遠征にまでネーベイア軍が動員された場合だ。

「オイゲン、これも出来るだけ早くだが、親父に『国境の砦まではともかく、そこから東へは絶対に進むな』と伝言してくれ」

「あ、それは大丈夫ですよ。大殿は今回、後方の砦までの兵站が役目ですから」

「……親父、賢くなったなあ」

 かなり問題のある発言だったが、オイゲンは苦笑するだけだった。

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