第69話 侯爵領の政争 4
何が起こったのか。
「何が起こった!?」
「そ、それが呼び出された冒険者が、閣下の命令に逆らったので、拘束しようとしたところ、抵抗して閣下を殺害し逃亡しました!」
「何!? なぜ武装したまま閣下の前に出したのだ!?」
「その、冒険者の剣を閣下がご覧になると仰って、お止めはしたのですが……」
なるほど、おおよそ分かった。
侯爵がヴァリシアを呼び出し、命令した。どんな命令か。
不安定な彼女を怒らせるような命令、そしてこのタイミングからして、暴食の王イルマイールを寄越せとでも言ったのだろう。まあ口調は違うだろうが、内容は同じだ。
しかしヴァリシアも思い切ったものである。いつもの彼女ならいくらなんでも、侯爵を切り殺そうとはしないだろうし、その他の兵まで手をかけることはなかったろう。
ロキとオットーが一緒に行ったはずだが、反応を探知する限りでは、他の部屋にいる。
悪い状況が重なったわけだ。
「ロキ」
「アリウスか? 今の音はなんだ?」
「聞け。ヴァリシアが侯爵と兵士を殺して逃げ出した」
「な」
「ヴァリシアは俺が逃がす。お前らは自分に罪が及ばないように振舞え。じゃあな」
時間がない。というか自分がもう一人ほしい。
ここに『目』を置いておきたいが、結界があるのですぐに消滅するだろう。
場所が場所だけに、あまり魔法で細工をする余裕がない。
「高度な柔軟性か、もう全然ないな」
いきあたりばったりだ。
自嘲しながらアリウスはティアの跡を追った。
四方を山に囲まれたダイタンは、城壁よりも山の間道の方がチェックは厳しい。
だが街道さえ通らなければ、少数の人間が抜けるのは難しくない。
先に合流したティアは、その山越えのルートをヴァリシアと共に進んでいた。
月のない夜も、吸血鬼の彼女には関係ない。先に立って獣道のような細い道を、ヴァリシアと共に進む。
「で、どうしたのよ」
合流した自分にさえ、一瞬剣を向けたヴァリシアだ。剣の性能が性能だけに、さすがのティアも少し驚いた。
それからずっと、二人は無言で山を登っていた。
「ああ……アリウスは正しかった……」
何を言ってるんだ、とティアは思ったが、ヴァリシアは錯乱しているのだと気付いた。
元々100層を攻略した時、ヴァリシアだけを返したのは、彼女の精神状態を鑑みてのものだ。
そこに貴族の横槍があったということだ。
ティアは貴族ではなく王族であり、人間ではなく吸血鬼だが、人間の貴族の愚かさはよく知っている。
ヴァリシアは背後を気にしている。何かまずいことを起こしたのは間違いない。
「すまない。お前達にも迷惑をかける……」
「ああ? 人間ごときが何言ってるのよ。何をしたかだけ言いなさい」
ヴァリシアはティアを見た。感情が抜け落ち、奇妙に透明な瞳が、ティアに向けられた。
「侯爵を殺した」
「ふーん」
どうでもいいことだった。
だがどうでもいいことだが、ヴァリシアにとってはそうでないのだろう、ということはティアも考える。
「どうして?」
「……どうしてかな。その……剣を取られるのが嫌だったから……」
「え? それで殺しちゃったの? なんで?」
なんで、とはたいがいの日常において、ティアにも言いたい言葉ではあったが。
ヴァリシアはまだ混乱していたので、沈黙した。
「おい」
そう声をかけて降りてきた人影にも、ヴァリシアは殺気を向けた。
もちろんそんな殺気で動じるアリウスではない。
「アル!」
嬉しそうなティアはその感情のままにアリウスに抱きついたが、アリウスはその頭を邪険にわしわしと撫で、ヴァリシアに向き直った。
「ヴァリス、今後のことは何か考えてるのか?」
ヴァリシアは気だるげに首を振った。もう全てがどうでもいい、という投げやりな感じだ。
それならせめて侯爵を殺したりせず、普通に逃げ出してほしかった。
まあ魔剣を欲しがった侯爵に対して、刹那的な殺意を持ったのもそれはそれでありだと思うが。
「ティア、ヴァリシアを東に持っていく。お前はとりあえず迷宮の中で何日かいてくれ」
「はあ? つまりあたしに構ってる時間がないわけ? 何をする気なの?」
「戦争だ」
その言葉にティアは目を輝かせた。
「楽しそう」
そう、人間の軍隊の争い程度では死なない彼女にとって、戦争とは娯楽である。
「だけど今回は昼間に動くから、ティアは迷宮に退避していてほしい」
吸血鬼は絶望の表情を浮かべた。
ヴァリシアを東方へ向かうレオンに預ける。侯爵領から逃亡する人間となれば、人の多い王都を目指す場合が多い。
なのでヴァリシアの足跡を辿るという意味では裏をかいた方向ではないのだが、今は侯爵殺害の犯人探しより、目の前の戦争に対処する方が重要だろう。
いや、もちろん全く手配をしないというわけにはいかないのだろうが。
ティアを迷宮に押し込めて、クラン本部に戻る。
そこにはオットーが帰ってきていたが、ロキは侯爵邸で拘留されたままだという。
無理もない話だ。なにせ侯爵殺害犯は、ロキのクランの一員なのだ。
ヴァリシアが衝動的に起こしたことだとしても、それを説明して納得してもらうのには時間がかかる。
オットーが戻ってきてくれていただけでも御の字だろう。
「最悪だ……」
セリヌスの呟きに、オットーも否定の声を上げなかった。
「いや、最悪じゃあないだろ」
否定したのはアリウスである。
「最悪なんてのは、侯爵排除が上手くいかず、アンドレとの関係も結べず、男爵家や伯爵家に奇襲を受けること。さらにギルド内のこっち側の勢力を削られ、クランを解体されるぐらいのことだろ」
「それは……それこそ最悪だが、今の状況が悪いのも確かじゃ」
オットーは年の功か、セリヌスよりも逆境を経験した回数は多い。
セリヌスにしても最終的には、全てを捨てて王都に戻ればいいのだ。まあ、任務が失敗と見なされる可能性もあるが。
「冒険者をまとめよう」
オットーが言った。
「侯爵の軍だけでは不足だろうし、全てがアンドレ様に協力するとは限らん。だが冒険者をまとめれば、勝ち馬に乗ることを目的にして、領軍の数は増えるかもしれん」
「まずは、クランの掌握だな。ロキがいないとなると、誰がクランの責任者になるんだ?」
「メトスだ」
「よし、じゃあ実質はセリヌスが動かすのか」
「ああ。だがクラン員はやはり、メトスでなければ動かないと思う」
セリヌスはパーティーの頭脳だが、彼には人望やカリスマといったものがない。ないわけではないが、不足している。
メトスは単純だが、強さゆえに人望もある。まあこの間の迷宮決闘で、剣の魔王自体が、やや人気を落としているが。
「クランをまとめて、侯爵軍と共に防衛をする。男爵軍はこちらの味方につけ、伯爵軍はどちらか先に通じた方に便宜を図る。これでいこう」
「上手くいくといいがな」
「ダメならまた考えるだけだ」
セリヌスを残し、オットーと共にアリウスは冒険者ギルドに戻った。
この時間だともう自宅に戻っている冒険者が多いが、ギルドには緊急用の警鐘がある。
鐘が鳴らされ、緊急招集が始まる。まあ今回のことは魔物の災害などとは違うので、強制的にギルドの方針に従えることは出来ないだろうが。
だがそれでも、この街のために動く冒険者はいるだろう。まして今は、侯爵が死んだ直後だ。
これまでの侯爵の方針は、冒険者にとってはあまり良いものではなかった。しかしそれが排除された。
オットーがどれぐらい冒険者を集められるか。彼の人望はかなりのものだ。
セリヌス、オットー、両者が自分の仕事をしている。
ならば自分は、とアリウスは問う。
ティアもレオンも退避させた。元々レオンは目的が共通してはいるが、戦争は嫌いだと言っていた。
それにティアはかなり行動に縛りがあるので、レナとヴァリシアを守るためにも、彼に行ってもらう必要があった。
すると、アリウスにはもう手駒がない。
夜になればティアの力を借りられるが、その度にアリウスも迷宮に入る必要がある。迷宮内部へは通信系の魔法が届かないのだ。
「個人の戦力、か」
冒険者としてならともかく、政治的な存在として超越の力を振るうのは、アリウスは己に禁じている。
暗殺者として活動するならともかく、これからはむしろ人を殺さない、調整能力が必要だ。
辺境伯領、あるいは王都でのアーリア・ネーベイアならともかく、ダイタンでのアリウスとしては、影響力が低い。
と、思っていた。
冒険者ギルドの中で、その顔を見るまでは。
「オイゲン!」
アーリア率いる騎兵中隊。その隊長がそこにいた。
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