第61話 100層への挑戦 1
とりあえずひどい怪我を負わしてしまったカリッサに、アリウスは治癒魔法をかけた。そして次々に治癒をかけていく。
「恐ろしいの……。あれでもまだ、全力じゃなかったのか」
「迷宮で全力を出すと、周りに被害が出るから」
結局抜いた剣さえも使わなかったこの少年に、オットーは改めて畏怖を抱いた。
その後ろからロキが現れる。
「あのさ……もうちょっと手加減とか、してもらえんかったんかね?」
決闘が終わった後、彼はすごく憔悴して見えた。
「俺もちょっと、向こうの面子が立つように立ち回ろうと思ったんだけど……」
ふへっ、とアリウスは笑った。
「ぶっちゃけ、めんどくさくなった」
この三日、ヴァリスとの連携を深めるため、迷宮の踏破速度は極端に落としていた。
おそらく本格的に戦うことになるのは、101層以降。そこからさらにまだ70層もあるのだから、このあたりで足踏みしている暇はない。
だが連携を深めるのはもちろん重要なので、ヴァリスの動きを見て攻略を進めた。
そしてまず大丈夫だとは判断したのだ。
アリウスでもストレスをため、それを八つ当たりすることはあるのだ。
地位や権力を用いた八つ当たりでないのが、アリウスのアリウスたる所以である。
「まったく、面倒なのはこっちだっての……」
頭を掻くロキであるが、周囲では罵声と怒号が飛び交っていた。
それは主に、敗者である剣の魔王に向けられたものであるが、別に彼らに勝利の義務はないのだから、不当だと言ってもいい。
擁護しようかとアリウスは思ったが、その前にこちらにも矛先が向いてた。
「だいたいてめえ! 素手なんかでやるのは卑怯だろうか!」
理屈が分からなかった。
「そうだ! だから魔王の連中も、本気が出せなかったんだ!」
メトスは絶対に本気で槍を使っていた。
「そもそも何か魔法具使ってるだろ! なんで一発でメトスが落ちるんだよ!」
魔法の武器はあちらも使っていたのだが。それにアリウスが使ったのは魔法でなく技である。
「アリウス、とにかく一度出よう」
いつの間にか近づいていたヴァリスが言った。他の面子を見てみると、既にこの混沌の現場からは脱出している。外がまだ昼なので、ティアだけは残っているが。
薄情だとは思うが、冷静な判断だ。アリウスも迷宮の力で脱出を試みようとした。
「静まれ!」
拡大した声が、広間に響いた。
一段高い所から決闘を見物していた男、その隣に立つ騎士が、大声の主であった。
「閣下の御前である! 図が高い!」
このような悪趣味な決闘を、わざわざ見に来る。
それがワルトール侯爵バンジョーという男であった。
肥満であり、髪が薄い。肌には不健康な皺がある。おそらく見た目よりは若い。
周囲の人間が跪き、顔を床に向ける。その中でアリウスだけが立っていた。
くいくいとヴァリスがズボンを引っ張るが、完全に無視である。
「冒険者風情が閣下の御尊顔を直視するな! 跪かんか!」
アリウスは世間ズレしたところもちゃんとあるので、たとえば暗殺されかかった貴族の少女などには、ちゃんと礼をもって接することが出来る。
だが高慢な貴族相手には、そんな配慮をするつもりはなかった。なにせ蛮姫であるので。
「我、アリウス・コンラートはネーベイア辺境伯家が騎士である! 王と主以外に、跪くものではない!」
ちなみにこれは典礼庁にある儀式の手順に、ちゃんと明記してることである。
「貴様、下級騎士の分際で」
他の騎士が歩み寄り、無理やりアリウスを跪かせようとする。しかし肩に手をかけても、その小柄なからだはびくともしない。
アリウスは強い。
この場にいる護衛の騎士全員を無力化して、バンジョーに屈辱を与えることも出来る。
だがそこまでするつもりはない。
「よい」
侯爵は億劫そうに椅子から立つと、アリウスの前にまで歩み寄ってきた。
「ふむ、まだ少年ではないか。美しいな。女であれば、我が側室にでも迎えてやるところだが……いや男でも……」
アリウスはぞっとした。
侯爵の好色な目に晒されたからでなく、背後からのティアの殺気を感じたからだ。
壁際のティアもまた、その場で頭を下げてなどいなかった。
彼女は吸血鬼の王族だ。そして吸血鬼は本来、人間を食料か、よくて愛玩動物としか見ないものだ。
そんなティアが、邪眼で侯爵を睨みつけていた。
侯爵の顔色が悪くなり、呼吸が出来なくなったかのように、ぱくぱくと口を動かす。
その異常に周囲はすぐに気付く。騎士や介添えの者たちが、慌てて取り巻く。
ティアの視線から外れた侯爵は、ようやく息が出来るようになった。それでも顔色は悪い。
「刺激の強いものを見たからでしょう。安静になさった方がいいのでは?」
これ幸いと、アリウスは理由付けをした。
「うむ、お前達、行くぞ」
運ばれていく侯爵を見送って、広場の人間が立ち上がる。
そこにはもう熱狂はなく、ただただ冷たい嫌悪があった。
「……帰るかの」
「……そうだな
振り返ったアリウスにに、ティアは意地の悪い笑顔を見せていた。
困ったことになった。
最近頭を抱えることが多いロキだが、今回もまたその一つだった。
「困りましたね……」
「どうしよ……」
困った顔をしているのはセリヌスも一緒だが、ロキは弱音を吐くほど困っていた。
それはギルドからの要求であった。実際はギルドを通した領主からの要求であった。
侯爵の体調不良により、王都の神殿から高位の神官を呼び治療に当たる。そのために喜捨を行うので、クランも金を用意するように。
なぜだ、という疑問は一瞬で消えた。
ワルトール侯爵はそういう男なのだ。臨時税と言っているが、何らかの事情をこじつけて、常態化させようとするだろう。
ダイタン迷宮が生み出す富が大量にも拘らず、この街並があまり整備されていないのは、領主の浪費という分かりやすい理由があるのだ。
十数年前から、つまりあの男が領主になってから、ダイタンは徐々に勢力を失っている。
あの戦い――100階層の階層主との戦いも、臨時の税を用意するための一環として行われたのだ。
そしてクランは優秀な戦士を二人失い、収入はむしろ減った。
オットーやロキなどの、長年この街の様子を見守ってきた者たちからすれば、ダイタンは斜陽の都市なのだ。
あの男が死ぬのが早いか、ダイタンが滅びるのが早いか。さすがにダイタンもそこまではもつと思うが、あの男のためにどうして、若い者が命を張って得てきたものを、提供しなければいけないのか。
怒りを抑えていたセリヌスの雰囲気が、静かな殺気をまとうものに変わった。
「消しますか?」
セリヌスのその言葉。ロキは頭を振る。
「ダメだ」
セリヌス。パーティーでは回復役として、治癒魔法に通じ、傷薬や毒消しの調剤も行う。
だがそれは、毒薬の調合も出来るということだ。
そして対人戦での戦い方。
彼は暗殺者なのだ。クランを守るため、あるいは秩序を守るために、迷宮内で人を殺す。
だが侯爵を殺すのは無理だろう。
侯爵は邪魔だ。害悪でしかない。
こういった貴族が増えたのが、今の内乱の原因の一つである。
しかしそれでも、今はまずいのだ。
侯爵領の北、いくつかの貴族領に、不穏な動きがある。
それぞれと侯爵領、つまりダイタンの結びつきを調べると、経済的にダイタンからの輸入が輸出を超過している。
そのくせダイタンの商品は競争力が高いため、税まで取られては利益が出ない。
ワルトール侯爵に搾取されている。それが各貴族家の共通認識だ。
アリウスが聞けば「一応経済の原則には沿っているけど、王家が調整するべきことだな」と言ったろう。
ワルトール侯爵の後継者は、まだ決まっていない。
今バンジョーが死ぬと、間違いなくお家騒動が起こる。そしてそれに他貴族家も干渉してくるだろう。
戦争よりは増税の方がマシ。それがロキたちの考えだ。
「どこからか英雄が登場して、全て解決してくれんもんかね」
「それは子供の願望でしょう」
二人の陰鬱な話し合いは続く。
困ったことになった。
新しいパーティーを組むことになって、ヴァリスは自分の家を、アリウスたちの宿として提供することにした。
元は両親と住んでいた、広めのマンションだ。自分の部屋、レオンとアリウスの部屋、ティアとレナの部屋の三つで、丁度いい。
今後のことを話し合うためにも、都合がいいと考えたのだが。
「あたしはアルと一緒」
ティアは我儘だった。もっとも彼女にしてみれば、それは当然の権利と主張しただろう。
ヴァリスはアリウスとティアの関係が、まだよく分からない。
ティアがアリウスに好意を抱いているのは間違いないが、その接し方があまりにも慣れていて、まるで家族のようにも見える。
アリウスはティアを拒絶することはないのだが、かといって恋人に対するというのは、少し違うと思う。
恋愛経験などないヴァリスであるが、荒くれの冒険者たちの話を聞いていると、どうもそういった関係とは思えない。
アリウスがティアを信頼しているのは間違いないのだろうが。
「レナはレオンと一緒でいいでしょ?」
「まあいいけど」
一応男女別に分けたつもりだが、レナはまだ幼女である。
レオンもそういった性癖は持っていないだろう。というか、ヴァリスは実のところ、レオンは同性愛者ではないのかと思うことがある。
あくまでふとそう思っただけである。おそらく勘違いだろう。
そしてさすがにここまで関われば、秘密にしておくのも問題だろう。
ティアはヴァリスに、自分が吸血鬼であることを告げた。
驚愕よりも納得が強かった。
吸血鬼というのは魔人帝国以外では、ほとんど見かけない種族だ。他の国では問答無用で討伐対象になっている場合が多い。
人間の血を吸うのだから、というのが理由だ。吸血鬼というのは先天的に、人間の敵対種族なのだ。
「別に動物とか魔物の血でもいいんだけどね」
知られていない吸血鬼の常識を、ヴァリスは聞いた。
「人間の血が一番美味しいからそうしてるだけ」
特に魔力の強い、若い少年少女が美味しい。
「あと普通に吸われただけじゃ吸血鬼化しないし。だってそうじゃないと食事のたびに吸血鬼が増えていくでしょ」
そのあたりは少しでも吸血鬼を知っていれば、常識である。
諦め顔のヴァリスは、改めてティアと握手した。
「さて100層に関して話そうか」
食事をする部屋に集まって、作戦会議が始まった。
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