第10話 令嬢の救出 3

 若い少年騎士に、少し年上の少女。

 それが主要街道を逸れたこんな場所にいる。そのことを不審に思うのは、ヘクトルとしては当然であった。

 もっともアリウスが命の恩人であることは確かであるし、証人となるであろう捕虜も確保してくれた。

 怪しい存在ではあるが、こんな手の込んだ方向の怪しさは、あの男とは無縁であるとヘクトルは判断した。

 ティアに説明をしていたアリウスだが、今度はティアにマリアンヌたちのことを説明する。

「アッカダ子爵家の当主であるマリアンヌ様だ。命を狙われていた」

「へえ、人間ってやっぱり変わらないんだねえ」

 その言い方は自分が人間でないと言ってしまってるも同然なのだが、アリウスはそれに呆気なく付け足した。

「ティアは吸血鬼の真祖だ。ネーベイア辺境伯領の魔境の奥深くの古城で、ぐーすか眠っていた」

 吸血鬼。それは人間にとって恐怖の象徴。

 それも真祖となれば、都市を一つ丸ごと殺しつくすという伝説さえある。

「人がおとなしく眠ってたのに、この人が踏み込んでくるから」

「武器や防具を手に入れたかっただけだと言ったのに、攻撃してくるから」

「そりゃ人の家の物を勝手に持っていかれたら怒るよ」


 ヘクトルはこの言葉の内容の真偽がつかなかった。

 巷に流布する英雄譚の中身を、この二人は日常のように話している。

 しかしティアが吸血鬼だということは分かる。瞳が赤い種族とは、ほぼ吸血鬼以外にはいない。

 黄金の美少年と、漆黒の美少女。

 そんな対比が思い浮かんだヘクトルだが、今はマリアンヌが話をしている。

 その内容は、アリウスを、つまりはティアも含めて、雇いたいという話であった。


 アッカダ子爵家の当主、マリアンヌの父が死んだ時、その爵位の継承順位の一位は、当然ながら唯一生存していた子のマリアンヌにあった。

 若年ではあるが、貴族の成人年齢には達している。継承自体には何も問題はない。

 しかしマリアンヌが死んだ場合、次の継承権を持つ者に問題があった。

 亡くなった父の兄、マリアンヌにとっては伯父にあたる者の息子、つまりは従兄がそれなのだ。

「マリアンヌ様を亡き者にして、自分の息子を当主にしたいと。そして実権は自分が握る。すごく分かりやすい謀略ですね」

 内容が内容だけに、アリウスの言葉も少し丁寧なものになった。

「アルが様付けしてるのって、なんか変」

「話を逸らすな」


 いちゃいちゃとしている二人の様子を、いささか厳しい視線でマリアンヌは見つめていた。

「それで、今回のこの旅は、何か緊急性のあるものだったのかな? そして狙いは次期当主の座」

「うむ、まあ、クレフォス殿自身には、あまり文句もないのだがな」

 クレフォスというのはその従兄の名前らしい。

 そういえばその伯父というのは、マリアンヌの兄に当たるのに、当主の座を継げなかったのか。庶腹であったのか。

 それを尋ねると、ヘクトルは白けた表情で端的に答えた。

「あまりにも無思慮で無能すぎたのだ」

「なるほど」


 貴族家の継承は、基本は長子相続だ。男子が優先されることもあるし、母親の立場によって変わることもある。

 しかし母親が同じであるにも拘わらず、長子が跡継ぎにならないというのは、相当の理由である。

「相当にバカだったんだな」

「だろうね」

「現在進行形でバカなのが困ったものなのだ。しかもバカなだけではなく、嫉妬深く欲深く、己の分を弁えることもしない」

 辛辣なヘクトルの言葉に、マリアンヌは俯いた。

「それで短慮を起こしてマリアンヌ様を狙ったということか。しかし護衛の数に対して、襲撃者の数が多い。そこまで手を回せるのか?」

「……先代様はお優しいお方でな。実の兄を冷遇することはしなかったのだ。だが今考えれば、立場を弁えさせるべきであった」


 おそらくこの優しさというのは、やましさと表裏一体のものであろう。

 無意味に思いやりの深い者が陥りやすい、傲慢な見方だ。貴族であるならば冷徹な目で、肉親であろうと見なければいけなかった。自分の父が兄ではなく自分を選んだように。

「つまり暗殺組織に依頼するだけの資産があるわけか。バカに金を持たせると、ろくなことにならないな」

「不本意だが、儂もそう思う」

「逆に暗殺しかえしたらどうだ? なんなら俺が請け負ってもいいが」

 この提案にヘクトルは鼻白んだ表情で応じた。

「そんな後ろ暗い手段を取れば、マリアンヌ様の名前に傷がつく」

 なるほど、この老騎士は高潔だ。


「ところでマリアンヌ様は、そろそろ寝たほうが良いんじゃないか?」

 襲撃から、実はさほど時間は経っていない。精神が緊張状態にあるため、マリアンヌはこの話し合いに参加している。

 しかしここからは陰惨な話になるだろうとアリウスは思った。

「眠くありません」

「まあ、あんなことがあった後だしな。良ければ精神を沈静化させる魔法を使おうか?」

「……お願いします」

『鎮静』

 アリウスの魔法を受けたマリアンヌの表情が緩み、弛緩したものになる。

「姫様、こちらへ」

 侍女の手を借りて、馬車の中に入る。座席が寝台となるのだろう。

 間もなく寝入ったと侍女が報告し、ヘクトルは安堵の溜め息をついた。

「精神系の魔法か。そなたはどこまで……まさか、見た目どおりの年齢ではないのか?」

「俺の親父はあんたと同じぐらいの年だな」

 ヘクトルは疑い深い目をしたが、とりあえず横においておくことにしたようだ。

「少し生臭い話になる」

「やっとか」




 ヘクトルとの話し合いは、アリウスの得意な分野に移行した。だが得意ではあるが、好きな分野ではない。

 誤解されることが多いが、アリウスの一番好きなことは、窮理である。つまり科学だ。

 領地内の盗賊をしばき倒していくよりも、麦の収穫量を上げることを好む。ただ手っ取り早く済ませるため、自分が色々と動いてしまうだけだ。

 実験に必要な素材も、他人に依頼して時間をかけるよりは、自分で動いた方が早く手に入るのだ。

 そして今ヘクトルとの話の中、久しぶりに陰謀と呼べるものに触れることになる。


「マリアンヌ様が爵位を継いだとして、実務は誰が行うんだ?」

 当然ながら、マリアンヌ自身という選択肢をアリウスは除外している。そんな器用なことがあの年齢で出来るのは、世界広しと言えどアリウスと同じ転生者ぐらいだろう。

「内務は家宰の騎士が行い、軍務や治安は儂が担当することになる」

 目の前の老騎士は、想像以上に重要人物であった。

「マリアンヌ様が結婚したら?」

「変わらん。だが、結婚相手によってはその人物が実務を掌握するかもしれん」

「マリアンヌ様の結婚相手の候補は?」

「先ほど申したクレフォス殿だが、反対している者も多い」

 ヘクトルの言葉には微妙な苦味が含まれている。

「父親が死んでくれたら、すぐにでも結婚させたいというところか?」

「……それに対しては何も言えん」


 事情はだいたい理解出来たと思う。

「ひょっとしたらさっきの襲撃は、マリアンヌ様じゃなくてあんたを殺しても良かったのかもしれないな」

「それは……そうかもしれん」

 この老騎士は政治の虚実に通じてはいないかもしれないが、清廉で忠義深い人間には違いない。

 伯父とやらが圧力をかけてきても、それに屈するような性格とは思えない。

「家宰の騎士というのは、そのあたりの胆力はどうなんだ?」

「む……良く実務に通じているし、亡き先代様の信頼も厚い者だ」

「しかしあんたが殺されでもしたら、日和るかもしれないといったとこかな?」

「……」

 この場合の沈黙は雄弁に等しい。


 アリウスは決断した。

「とりあえず領内の屋敷までの護衛は引き受ける」

「そうか」

 素直にほっとした表情を見せるこの老騎士は、ネーベイア家によくいるタイプだ。どうしても嫌いにはなれない。

「その後は、家宰や伯父というのを見てから判断しよう。最悪、伯父を暗殺してしまえばいいのだろう」

 ヘクトルは顔をしかめる。

「だからそういうのは」

「暗殺と思われなければいい。そういう殺し方はいくらでもある。そういえばマリアンヌ様の父は、つまり先代はどうして亡くなったんだ?」

 アリウスの物騒な言葉を苦々しく思いながらも、ヘクトルは質問に答えてくれる。

「卒中だ。突然のことで、医者も神官も間に合わなかった」


 脳卒中。この世界ではよくある死因だ。

 アルトリアの貴族の料理は塩分を多く使うし、貴族であれば当然脂っこいものも多く食べる。

 太っていることが富貴の証だと、信じている愚か者も多い。

 ネーベイア家ではそんな者は軽蔑されるのだが。


 気になったアリウスは先代や、さらにそのまた過去の当主、親戚についてまでヘクトルに聞いてみた。

「それは、直接的ではないが暗殺だった可能性があるな」

 アリウスの言葉で、また違った方向にヘクトルは顔色を変えた。


 この世界――少なくともアルトリア王国の属する文明圏では、医学というのがあまり発達していない。

 もちろん全くないわけではないが、アリウスの記憶に照らし合わせれば古代レベルの知識とも言える。

 貴族や富裕民の病気などは、神殿の魔法で治すことの方が多い。

 それもまた、神々の恩寵を受けるが故だと教えられているが、神聖魔法などと称されるそれらは、治癒に偏った身体魔法であるにすぎない。

 だから神など全く信仰しないアリウスにでも、治癒魔法は使える。


 先代子爵が40歳前に死んだというのは、あまりにも早い。

 食事内容まで詳しく知っていたヘクトルに聞いて、アリウスは溜め息をついた。

「塩や酒、砂糖の分量を多めにして、早死にするようにしていたわけだな。一年や二年ならともかく、十年単位で考えれば殺せる」

 アリウスの言葉を聞いて愕然とするヘクトルだが、言われてみれば確かに食事や酒を共にしたのは、家督を継げなかった兄が多かった。

 貫禄がないと貴族とは言えないと、太るように勧めていたのを憶えている。

「ならば……ならば先代様は病気にされたと?」

「下手な呪いや病にかけるよりも、よほど効果的だ。それにこのやり方は、単純な治癒系統の魔法で癒せるものじゃない」

 アリウスほどでなくとも、かなり人体の機能に精通した者なら可能であろう。


 しかし、とアリウスは同時に思うのだ。

 ヘクトルが話す伯父の人物像と、先代を殺したやり口は乖離している。

 このやり方はあまりに慎重で、短慮な人間には出来ない。

 愚物であると一致して言われる伯父が、こんな方法を思いつくものだろうか。

(まだ誰か、裏にいるのかな)

 久しぶりに使わない部分の頭を使ったアリウスは、深夜番をティアに任せて、ゆっくりと眠るのだった。

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