第1章 ── 第5話

 パチリと目が開き、マリソリアは大きく伸びをした。


「やっと眠くなくなったのじゃ!」


 人型の時、ドラゴンは人間と同じサイクルで睡魔が襲ってくる。


 マリソリアは無限鞄ホールディング・バッグに入っていた毛布にくるまって眠り、次の日の朝に目が覚めたのだ。


 周囲をキョロキョロと見ると、日付板をいそいそと変える、小さい生き物が目に入る。


「まだ一日しか経ってないのう。こんなに早く目が覚めたのは初めてじゃ」


 おまけに腹も減っていた。


「袋の中に食料があったのじゃ。これを食べて飢えをしのくとしようかの」


 固い黒パンを齧りつつ、昨日読んだトリ・エンティルの物語を反芻する。


「ええのう! 冒険者! 我も冒険者になろうかのう!」


 床に転がっている短剣を拾い上げると、マリソリアはブンブンと振り回す。


「えい! とう! こうじゃ!」


 直ぐに息が切れるが、気分はもうトリ・エンティル。


 本当は弓でエンティルごっごをしたかったが、袋の中には入ってなかったのでマストールというトリ・エンティルの仲間のマネをしてみたのだ。


「マストールとやらもトリ・エンティルを守って格好良いからの!」


 大きな丸盾ラウンド・シールドを取り出して前方に構え、短剣をちょいちょいと突き出す。


「地味じゃが、トリ・エンティルが伝説となり得たのも仲間の支援があってこそ。

 これも重要な役割じゃ」


 マリソリアは、トリ・エンティルのようにスラリと長身で格好良い冒険者になりたいと思ったが、今の見てくれでは格好良く弓を使える自信はなかった。


「トリ・エンティルのマネごとは、まずは成長してからじゃ。

 小さいならば、まずはマストールのように守る者になってからでも遅くはなかろう」


 マストールごっごをやってみると、マリソリアには向いていたのか、あながち悪くない。


 小さい身体は敵の攻撃を掻い潜るのに便利だし、盾という防御力は今の鱗がないマリソリアには安心感を与えてくれる。



 ひとしきりマストールごっごを楽しんだ後、マリソリアは兄竜のところに顔を出した。


「兄者~」

「マリソリア、今日も人型だね。どうかしたのかい?」

「兄者よ。冒険者というモノを知っておるかや?」

「冒険者? マリソリアが昨日いじってたのが冒険者だよ?」

「おお、あの死骸は冒険者というモノであったか」


 なるほど、だから鉄の服を着ていたのかとマリソリアは腑に落ちる。


「冒険者がどうかしたのかい?」

「我は冒険者になりたいのじゃが」

「は? 何を言っているんだい?」

「じゃから、我は冒険者になるのじゃ!」


 ゲーリアはポカーンと大口を開け、マリソリアを見下ろす。


「いいかい、マリソリア。冒険者というのは、外の世界……それも人間や獣人がなる底辺の仕事だよ?」

「底辺じゃと? トリ・エンティルは輝かしく美しく、そして強いのじゃぞ?」

「ああ、あの冒険譚の主人公か。あれは特殊だよ。

 人間種においても一握りの選ばれし存在だ。

 それでも、ボクら古代竜の敵じゃない」


 確かにトリ・エンティルの物語の最後はドラゴンと戦ったと書いてあった。

 しかし、トリ・エンティルは、そのドラゴンに右腕を食いちぎられて負けた。

 そして冒険者の世界からいなくなったと物語にはあった。


「それはそうじゃろうが……我はあんな風になりたいのじゃ!

 カッコいい! キレイ! 我もああなりたいのじゃ!」


 ジタバタと地団駄を踏む。

 それを見るゲーリアは困ってしまう。


「マリソリア、無理を言っても駄目だよ。

 第一、冒険者は人間種でしかなれない」

「人型になれるんじゃから、この姿で冒険者になればいいではないか!」


 ゲーリアは深く溜息を吐いた。


「いいかい。マリソリア。

 人間種は非常に死にやすい。

 お前もその姿になって随分と弱々しいと感じなかった?」

「そうじゃな。確かにすぐ息が切れるし、移動もこんな細い足で頼りないのじゃ」

「そうだろう?

 人間種になるとドラゴンは本来の力は出せない。

 レベルもドラゴンの時とは別になる」

「レベルってなんじゃ?」


 ゲーリアは「そこからか」とまた深い溜息だ。


「我々生物にはレベルという概念が存在していてね」


 ゲーリアがマリソリアに一通り、ステータスやレベル、経験、スキルなどを説明する。


「スキルは知っておるぞ。我も魔法が少し使えるからのう。

 それと原初魔法じゃな。これもスキルじゃろ?」

「そう。あと我々ニーズヘッグには『恐怖』という能力もあるね。これはちょっと特殊な能力みたいだ。

 ドラゴンは種族事にこういった特殊な能力がある」


 そういえば、エンセランスにもあったのう。

 あやつの能力は視線を向けて睨むとモノが粉々になるとかいうヤツじゃったな。


 エンセランスに見せて貰った時、小さい生物が一匹、一瞬でチリになったのをマリソリアは思い出す。


 ゲーリアは更に説明を続けた。


「本来のドラゴンの時のレベルが、人型になると別人として扱われるみたいでね。

 レベルは別々になる。ただ、人型でレベルを上げると、本来の姿のレベルも上がるんだ。不思議だよね」

「ということは、人型で修行を積めば、ドラゴンの時はもっと強くなるわけじゃな!」

「まあ、そういう事なんだけど……

 人型のマリソリアは今、レベルは一なんだよ」

「一なのかや? 我は一番は好きじゃぞ?」

「いや、生物として最弱って事」

「……レベルが一じゃと最弱……?」

「そうだよ。今のマリソリアは、そこにいる卑屈な低級生物より弱いんだ」

「何じゃと!?」


 マリソリアは信じられないモノを見るように小さい生き物を見た。


 小さい生き物は、ゲーリアとマリソリアに見つめられ、ダラダラと汗を流しながらペコペコと頭を下げている。


「信じられぬのじゃが。アレは今の我よりも本当に強いのかや?」

「本当だよ。ちょっと殴ってみたら解るんじゃないかな」


 マリソリアは鼻で笑う。


「それでは一撃で死んでしまうのじゃ」


 以前、この生物を少し可愛がってやろうと頭を撫でたら、簡単に潰れて死んでしまったのを思い出す。


 いかに自分が小さくなったと言っても、あのように小さい生物は殴られたら死んでしまうとマリソリアは疑わない。


「じゃあ、試してみるのじゃ」


 マリソリアはバシリと拳を手に打ち付け、小さい生物へと向かう。


 ペコペコしていた生物は、近づいてくるマリソリアを不思議な顔で見ていた。


「では、行くのじゃ。てい!」


 マリソリアの拳が小さい生物に襲いかかった。

 身をかがめて自身を守ろうとする生物の頭にマリソリアの拳が炸裂する。


 ボコッと大きな音がした瞬間、マリソリアの小さい拳に激痛が走った。


「痛!! 痛い! 痛い! 痛い!」


 マリソリアは自分の拳を信じられないモノを見るように見た。

 小さい拳は真っ赤になっており、頭に当たった部分が少し擦りむけている。


「何という防御力じゃ!」


 再び小さい生物を見ると、屈んだまま不安そうにマリソリアとゲーリアを見上げていた。


「む、無傷じゃと……?」


 小さい生物は殴られた場所を擦ってはいるものの、腫れも、擦りむも、陥没なんてこともしていない。


「な? レベル一では、そんなもんだよ」

「ど、ど、どうすればいいのじゃ……」

「だから無理だって言ってるんだよ」


 だがマリソリアは諦められない。


「イヤじゃ! 我は諦めぬ! 面白き冒険の待つ外の世界に出たいのじゃ!」


 こうなってしまってはテコでも動かないマリソリアの性格をゲーリアは嫌なほど心得ている。

 そして、ニズヘルグの一族の者は皆、マリソリアに激甘だった。


「仕方ない妹だ。だが、そこが可愛い!」


 ゲーリアはスルスルと人型になると「クゥ!」と小さく唸ってからマリソリアの頭を撫で回す。


「小さくなっても可愛いとか反則じゃね?」

「兄者が何を言っておるかサッパリ解らぬのじゃ。じゃが一つだけ警告しておくのじゃ。人型になったら服を着る! これが人型の作法じゃぞ!!」


 ビシッと指を突きつけられたゲーリアは素っ裸でポカーンとマリソリアを見下ろした。


「服……? ああ、服ね。あるよ。ちゃんと着るから待ってて」


 ゲーリアは人間用のタンスから長いローブを引っ張り出し、頭の上から被る。


「ほら、魔法使いスペル・キャスターみたいだろ」

魔法使いスペル・キャスター? 魔法使いスペル・キャスターは、そのズルズルと引きずるような服を着ているのかや?」

「そうだよ。母上に習ったよね? 魔法は金属を嫌う。だから、魔法を使う者は魔法金属の防具か、布の服しか着れないんだよ」


 そういえば、そんな事を聞いた記憶があるのう。

 何で金属を嫌うのかは聞いた記憶がないのじゃが?


 基本、素っ裸状態のドラゴンに金属物など関係ないから、知らなくても無理はない。


 ドラゴンが金貨や宝石などを溜め込むと伝承されているが、それはベッドに使うためでしかない。

 ベッドを金属などで作らないと鱗の硬さで破壊してしまうからだ。

 金貨や宝石などは、小さいので大量に集めると身体を横たえるとフィットするのが非常に都合がいいので、それらでベッドを作っているに過ぎない。

 あとはキラキラしていた方が目に楽しいので金貨や宝石だというだけである。


 寝る時に魔法は使わないので気にもとめていないが。


「マリソリア、人型で外に出るなら少し鍛錬した方がいいね。

 それと、父上と母上、祖父様には外に出たいって事は秘密にしておいた方がいいよ」

「何でじゃ?」

「多分、出してもらえないから」


 マリソリアは、祖父竜に非常に気に入られている。

 原初魔法の素養が非常に高いのも理由だが、単に末っ子娘だから一番可愛がられているってのもある。


 ドラゴンの世界では子を産める雌は、雄竜に必要以上に保護される存在だ。

 長寿で出生率が低いため尚更である。


「解ったのじゃ、おじじには絶対の秘密じゃぞ?」

「解ったよ。でも、さっき言ったように、今すぐに外へ出るのは駄目だよ。

 まずは修行だね。ある程度レベルが上がったら、装備を整えてコッソリと旅立つのがいいと思う」


 兄竜はマリソリアの計画に全面協力を約束してくれる。


「わーい! じゃから兄者大好きじゃぞ!!」


 そういってマリソリアはゲーリアに飛びつく。

 ゲーリアは大変満足そうな顔でマリソリアを受け止める。


「でも、約束してくれよ。ちょくちょく帰ってきて、顔をみせておくれ」

「旅に出たら、何年も帰らんつもりじゃが?」

「次にボクが起きた時に顔を出してくれたらいいよ。

 じゃないと兄ちゃん寂しくて泣いちゃうよ?」

「兄者は仕方ないのう。寂しんぼかや?」


 マリソリアとゲーリアは、アハハと二人で笑いあった。

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