飲み込んだ嗚咽と心中
ゆきちび
見栄を張って飲み始めた珈琲が美味しいと感じるようになったのはいつからだったか。
遡るような年月は経っていないはずだけれど、随分と歳をとったものだなぁと、じんわり温かい缶珈琲を握りしめる。1人物思いに耽る私は、聞き覚えのある元気な声と共に現実に引き戻された。
「久しぶり!お姉さん」
偶然だね〜と人懐っこい笑みを浮かべて駆け寄る彼に思わずため息を零す。
「人の大学の前で待ち伏せして、偶然だね、は白々しすぎるんじゃない?」
一応咎めてはみたものの、「まぁまぁ、会えない日の方が圧倒的に多いんだから、これぐらい許してよ」と平然と言ってのけ、可愛らしくペロリと舌を出した。まったく調子のいいことである。そんな彼を怒れない自分が一番憎い。
とりあえず寒いからとアレよアレよと言われるがままに大学近くの喫茶店に入った。
お腹は空いてないし、かといって何も頼まないのもよろしくない。悩んだ末に私は本日2杯目の珈琲を飲むハメになった。目の前の彼は美味しそうにチーズケーキを頬張っている。年相応な幸せそうな笑顔を横目に目の前の珈琲に口をつける。自慢のオリジナルブレンドと書かれているだけあって、1缶¥120の缶コーヒーとは比べ物にならないほど美味しかった。
「ねぇ、この後暇?」
「特に予定はないけど」
「ホントに⁉︎じゃあどっか行こうよ」
「…え、いやだけど」
「え、なんで⁉︎」
たいそう不満そうに此方を見つめた後、私が折れない事を察したのか、彼は机に突っ伏した。いつの間に食べ終わっていたのか。皿の上に置かれたフォークがカチャリと小さく音を立てた。
「お姉さん、つれなぁ〜い」
「いや、大学生が中学生にほいほい釣られてたらそれこそヤバイでしょ」
ムクリと起き上がった彼の顔には「納得できません。不満です」とデカデカと書かれていた。捨て置かれた子犬さながらの双眸を出来るだけ見ないようにマグカップに視線を注ぐ。
「大学生と中学生だってそんなに変わらないじゃん!俺来年から高校生だし!」
「いや〜、変わるでしょ。君が高校卒業する頃には私社会人だからね?学生ですらないからね?」
再びゴツンと突っ伏した彼の頬はぷくりと膨らんでいた。思わず手を伸ばしてふにふにと遊んでいるとフシューと気の抜けた音と共に空気が抜けていく。ジロリと彼の目が私を見た。絆された私の手は、そのまま彼の頭へ移動する。思っていたよりふわふわの髪の手触りを楽しんでいると、不意に攫われる私の右手。絡められた手の先で6つも下の彼がゆるりと微笑んでいた。
「ね、お願い」
さっきまで弄んでいた頬はふにふにの子供のそれであったはずなのに、掴まれた手は意外と骨ばった男の人の手だった。男の子の成長って早いんだなぁと暢気に思う頭の片隅で静かに警報音が鳴る。それをおくびには一切出さず、スルリと抜き取った手をマグカップに添えて、距離を取った。
彼の気持ちに気付いていないわけじゃない。
それでも気がつかないフリをして、見て見ぬフリができてしまう。
それができるのは、私が“大人”だからだ。
長年の経験からそうした方が良いと分かって、そしてそれが実行できてしまう。
「ダメです」
私の反応が期待していたものと違ったからか、彼は不貞腐れたように唇を突き出し、中学3年生の男の子に戻っていった。その様子に心の中でひっそりと息を吐く。
誤魔化すように飲み干した珈琲は、いつもよりずっと苦かった。
飲み込んだ嗚咽と心中 ゆきちび @yukichibi
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