「普通」の息苦しさ

 このエッセイ?は本当に気の向くままに書いてるので、前後の繋がりがなくなりますが、それも心の動きということでいいのかもしれないと、最近は思うようになりました。


 今回は私がよく言われる「普通」という言葉です。


 私の障害は一見してわからないので、いつも「あなたは見かけは普通なのにね」と言われます。そして、それを聞くと微妙な気分になります。というのも、見かけは普通でも、中身はおかしいと言われているような気持ちになるからです。


 確かに私は「変わっている」と言われることが多いし、自分でもそうなんだろうなと自覚しています。


 そして、その「普通」はまた、別のところでも使われます。


「なんで普通にできないの?」

「周りに普通に合わせればいいのに」


 ですが、それが私には難しかったりします。


 そもそも「普通」とはなんなのか。そこからだと思います。


 辞書によると、広く一般に通ずること、とあります。


 じゃあ、一般とはどういう世界なのか。地域社会なのか、日本なのか、世界規模なのか。私はそこまで考えて悩んでしまいます。


「所変われば品変わる」と言われるように、場所によっても常識が変わるのに、そこでしか通じない常識を振りかざして「それが普通」だと言われても、また場所が変われば「普通」が通じなくなります。


 そして気づいたのですが、「普通」を強要する人に限って、その人にしか通じない「普通」を持っていたりします。


 だから、それを強要されることにすごく息苦しさを感じることがあります。自分にとっての「普通」が、別の人にとっての「普通」ではないのかもしれないという可能性に気づいてくれると嬉しいなあと思います。

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