「普通」の息苦しさ
このエッセイ?は本当に気の向くままに書いてるので、前後の繋がりがなくなりますが、それも心の動きということでいいのかもしれないと、最近は思うようになりました。
今回は私がよく言われる「普通」という言葉です。
私の障害は一見してわからないので、いつも「あなたは見かけは普通なのにね」と言われます。そして、それを聞くと微妙な気分になります。というのも、見かけは普通でも、中身はおかしいと言われているような気持ちになるからです。
確かに私は「変わっている」と言われることが多いし、自分でもそうなんだろうなと自覚しています。
そして、その「普通」はまた、別のところでも使われます。
「なんで普通にできないの?」
「周りに普通に合わせればいいのに」
ですが、それが私には難しかったりします。
そもそも「普通」とはなんなのか。そこからだと思います。
辞書によると、広く一般に通ずること、とあります。
じゃあ、一般とはどういう世界なのか。地域社会なのか、日本なのか、世界規模なのか。私はそこまで考えて悩んでしまいます。
「所変われば品変わる」と言われるように、場所によっても常識が変わるのに、そこでしか通じない常識を振りかざして「それが普通」だと言われても、また場所が変われば「普通」が通じなくなります。
そして気づいたのですが、「普通」を強要する人に限って、その人にしか通じない「普通」を持っていたりします。
だから、それを強要されることにすごく息苦しさを感じることがあります。自分にとっての「普通」が、別の人にとっての「普通」ではないのかもしれないという可能性に気づいてくれると嬉しいなあと思います。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます