第28話 マンジロー=ファットという男

 奴隷が登場した扉から現れたのは、これまた見事な腹の大男だった。

 いや身長は多分私より大して変わらないくらいの、恐らく平均的なのだが、体重は私の……えっと、三倍はゆうにありそうな腹をしていた。

 というかもうなんだ、どでかいサッカーボールに潰れた泥のような頭と手をくっつけたような見た目、という方が近いかもしれない。

 え、足? 足と腹を足して丁度真ん丸になるような形だ。どうやってそれで歩けるのかも分からない。


「それで、私を……」

 と言ってる間に部屋をぐるりと見回すと、一瞬にしてサッカーボールが転がるように土下座を始めた。

「失礼をば致しました」

 静かに頭を下げる。なんだろう、今までで一番綺麗というか大人しいというか、怯えのない土下座だな。なんか逆に不思議な気がする。

 ミレイを見ると……オホンと一呼吸。

「構いません。そしてこれは『お願い』ですが……私の出自、この場で会ったこと、全て他言無用に願います。また、以後は土下座もしなくて結構です」

「「はっ、ははぁ」」

「仰せのままに」

 最後の丁寧語だけサッカーボールおじさんの発言。この人随分肝が据わってるなぁ。凄いなぁ。

「では、立ち上がって自己紹介をさせていただいてもよろしいですかな?」

「ええ」

「失礼致します」

 そうやってサッカーボールは立ち上がる。あれ今どーやって立ったの? 膝曲がった? 膝見えないけど。なんかすげー。

わたくしはここファット大商会で大旦那を務めさせていただいております、マンジロー=ファットと申す者です。以後よしなに願います」

 マンジロー=ファット? あっもしかしてファットマン二郎ってことか? 凄いな。名は体を表す一号か。いや二号か。

「それで、今は奴隷を見ていらっしゃるということですが……」

 そう言いながらふと振り返ると、そこには銀髪おじさんと獣人族のかわいこちゃんが。おじさんは土下座から頭を上げた状態でかしこまってた。あの……こう戦国時代とかであるやつ。恐れながら申し上げてる感じのポーズ。あれ。あれになってた。でもかわいこちゃんは未だ頭を下げて震えたままだ。いいのかなぁあれ。

 ファットマン二郎はあっという間に怒髪天だ。えっそんなに怒る場面なの?

「おいバジル。これはどういうことだね?」

「いえ……その……こちらのお客様が『予算は金貨50枚』とおっしゃられたので」

「如何なる相手でも彼女を売りに出すなと言ったはずだが?」

「はっ……はい……」

「私の言う事が聞けないのなら、貴様は」

「あっちょっと待って下さい」

 流石に申し訳ないので、一言入れさせていただく。空気なぞ微塵も読まずに。

 怒髪天の顔が途端に柔和になり

「なんでしょうかお客様?」

 とまあ見事な変わりよう。凄いなこの人。

「実は私、初めて奴隷を購入する場にきて、その……そういったことの常識も知らずに、単に手持ちで限度額いっぱいまでを言っただけなのです。また『出来るだけ多くの奴隷を見たい』とも伝えたので、私という客の要望を精一杯聞いただけなのです。どうか許してはいただけませんか」

「お客様のおっしゃりたいことは分かります。ですが、我が商会の大旦那は私。私の言う事が聞けない男は、我が商会には必要がないのです」

「無茶な客の要望と、大旦那様の言葉とをそれぞれ理解しながら、私に対応したものだと思います。それに、折角そこまで育てた優秀な商売人を、たった一度の失敗で放り出すのは、いささか勿体ないのでは?」

「……勿体ない、とは?」

「費やした時間とお金を還元出来てない、ということです。本人が必死に働いて利益を出させて、それでその人間が成長出来てあなたも育てた分のお金を還元して貰って、それで両者とも得を手に入れることが出来るのでは?」

 私がまくしたてると……サッカーボールことファットマン二郎、ああ違ったマンジロー=ファットさんは大笑いを始めた。

「おっほっほっほっほ! いやぁこれはこれは。バジルよ、よいお客様に当たったようだな」

「はい……全くです」

「今回はお客様に免じて許してやる。お前はまた下っ端から心を入れ替えてやり直せ。給料も当分なしだ。だがお前の才覚ならすぐに戻ってこれるだろう。もしまた今の地位まで上がってこれたなら、その時は給料を今より上げてやる。そして死ぬまでこのお客様に感謝するのだな」

「ははぁっ! 大旦那様とお客様の寛大なお心、このバジル生涯忘れません! 誠にありがとうございます!!」

 良かった。最初はどーなることかと思ったけど。

 あとなんでこの人の弁護してるんだろうとか思ったけど、なんかこう、人の人生を自分が意図せず壊すのって嫌だもんね。

「さて……彼女の事ですが……見てしまったからには、一通りの説明をせねばなりませぬな」

「それは構いませんが……それより……」

 私がふと視線をやると、今も彼女は土下座のままでいた。

 ふさふさの大きな尻尾も、股の間に挟んでぶるぶると震えている。

「いいの?」

「獣人族は仕方ないのですぅ。より強き者に従うのが本能のようなものですから。それこそ『命令』とかで縛らないと中々やめてくれないんですぅ」

「じゃあしょうがないか。それで、彼女は一体」

「そっ、そうだ! 彼女がこんな所で奴隷になっているなぞ知れたら……一体……」

 おっギンシュちゃん復活したね! よかったよかった。

「実は……私も彼女を手にしてまだ日も経ってないのです」

「そうなんですか?」

「とある奴隷オークションに、彼女が出品されると噂を聞きつけ、私は陛下にご相談申し上げ、それで全財産を使い果たす覚悟で向かい、見事競り落としたのです。いやはや……大変でした。しかもそうかと思えば……この足ですよ」

 彼女の痛ましい義足が、私にもちらりと見えた。

「本当にどうしようか、こちらも困っているのです」

 大きなため息を吐くファットの大旦那様。私はギンシュちゃんの方を向く。

「ギンシュちゃん聞いていい?」

「大体想像はつくが、言ってみるといい」

「これ、つまるところどれくらいまずいの?」

 ギンシュちゃんも、それはそれは大きなため息をついた。

「一言で言うと、これが獣人族の耳に入り次第、我々新人族と獣人族は、大戦争の幕開けだ。それこそ獣人族は大陸中に散らばっているからな、大陸は戦乱の渦に巻き込まれるだろう」

「めちゃめちゃ大変じゃん」

「だからこうして皆が頭を抱えているんだろうが! もうちょっと察しろ!!」

 また怒られた。だって知らないものはしょーがないじゃーん。

「ちなみに『北の氷結姫』ってそんなに凄い人なの?」

 私の発言に、三人とも絶句である。

 あと同時に『ぶっ』という音がした。

 皆で音がした方を向くと……そこには『北の氷結姫』ご本人様が。

「ぶっ……くくっ……あははははははっっ!! 嘘でしょ!! この大陸にいて私の名前知らないなんて!! そんな!! そんな人いるの!! あははははははっっ!! あーおっかしっ!!」

 笑いの止まらない氷結姫様。何あの娘笑うと今までの十倍かわええ。

「ねえやっぱあの娘欲しい」

「何を言い出すんだこの大馬鹿者!! お前!! 相手が誰か分かっているのか!?」

「『北の氷結姫』様でしょ!?」

「お前何にも知らないじゃないか!! そういうのは分かっていないってことなんだぞ!!」

「これから知ればいいじゃない」

「あっはははははははは!! なにこのエルフ!! 馬鹿すぎるでしょ!!」

「そんなに笑わなくてもいいじゃないか」

「だって!! だって!!!! あーもう!!! あっはっははははははっっ!!!」

 なんか不愉快だ。

「決めた。ねぇ、私この人についてくわ」

「姫様! しかしそれは」

「私が決めたの。いいでしょ? それに、アンタが私を止められるの?」

「……いいえ」

「でしょ? じゃあいいじゃない。私にどんな鎖が絡みつこうと、私はどこまでも自由よ。この足が大地を駆ける限り、私は止まらない」

 そう言いながら、ぎりりと手を食いしばる彼女。

 そうだよね。その足だと駆けるの難しいよね。

「……で、おいくらですか?」

 マンジローさんはぎょっとする。

「何をおっしゃいますか! 彼女を差し出すのにお金なんて受け取れません!」

「あっはははは!! なんなのもう!!! このお馬鹿エルフ最高!!! あっははははっっ!!」

 あれ、私そんなにおかしなこと言ってるのか?

「でも奴隷じゃ」

「違います! 本来の扱いを考えるならば『捕虜』が正しい。私も奴隷として売ろうなどとは微塵も思っておりません。いかにして故郷にお返しするかを陛下と相談していた次第で」

「そーなんだ。でもこの傷は」

「こんなのなんてことないわ。すぐに克服してみせる」

 にしては……痛々しいけど。

「ねぇギンシュちゃん」

「今度はなんだ」

「失った足とかって元に戻せない?」

「またお前は頓痴気とんちきなことを……そんなの古の勇者の、伝説の中の話だろうが」

「でも、大陸のどこかにはそういうのを請け負う大司教様がいらっしゃるという話は聞いたことがあるですぅ」

「ええ。私も噂だけは耳にしたことがあるので、そういった方がいらっしゃらないか、方々の伝手に話を聞いて探っていたのですが……未だ……」

「ねぇ、噂って二人とも大司教様?」

 ミレイとマンジローさんに聞いてみると。

「私はそう聞いたですぅ」

「私は……神殿関係の者、とだけ」

「なるほど……分かりました」

 だったら【光魔法】で何とかなるかもしれない。今レベル9だから、レベル10になったら試してみようか。

 人体の構造も……ちょっと思い返してみるか。基本は骨と筋肉と血管と……あと皮膚? あぁ健とかあるか。まあがんばろ。

「とりあえず、そろそろアシンも戻ってくる頃でしょう。彼女も例の部屋へ。皆さんは私の部屋へとご案内しましょう」

 こうして私達は、マンジローさんの部屋についていくことになった。



 さてさてここはファット大商会の五階、最上階である。

 この階には部屋が一つしかない。そう、大旦那様ことマンジローさんの部屋だ。

 いや正確には幾つもの部屋に分かれてるんだけど、全てマンジローさんの居住スペースなんだって。いいなぁ広いおうちいいなぁ。

 案内されると、そこにはアシン船長がいた。

「お、大旦那様! それにお前さん達も一緒か」

「どうもー」

「おや、お知り合いで?」

「船長の船に乗って王都まで来たんです」

「ああ、そういえばそんな話でしたね」

 私達は部屋へと招かれる。そしてどこからともなくメイドさんがお茶を入れてくれた。うまし。

「さて、まずは今回の航海も無事に皆戻ってこれたようで。何よりです」

「いえいえ。これも大旦那様のご加護のおかげでしょう」

「いやいや。アシンの行いを神様が見てくれていたのですよ」

 あっこれなんかいつもの決まりきった挨拶っぽい。そうかーこっちの世界ってこういう挨拶するのかーふーん。

「それで……アシンはどうやら私に話があるようですが」

「ええ、大旦那様」

「なんでしょうか。言うだけならタダですからね。言ってみなさい」

「俺はここをやめて、この嬢ちゃん達についていこうと思っています」

「理由を聞かせて貰いましょうかね」

「俺は船に乗るのが好きです。でも本当は、海に出てまだ見ぬ海の向こうにあるかもしれない世界に行ってみたい。そんな時にこの嬢ちゃん達が船に乗って、魔法で信じられないような船の速度を出して、俺達をたった二日で王都まで運んできてくれたんです! おまけに俺でも魔法が使えるかもしれないって言うんです! 俺はこの嬢ちゃん達についていって、自分の夢が少しでも叶う可能性に賭けてみたいんです!」

「アシン、あなたが今まで乗ってきた船の皆はどうするつもりです?」

「いずれ、俺が船を持てるようになったら皆を連れて海に出たいと思ってます! 勿論生活の関係で残るってやつらもいましたけど、結構な人数がついてきてくれるそうで」

「それはつまるところ、独立ということではありませんか? 私の商会から、船の輸送部門の一部として」

「えっ!? 俺ぁ……そんなつもりじゃ……」

「それに魔法が使えるようになる? 馬鹿馬鹿しい。あなたは貴族ではない。そもそも庶民ですよ。なんなら元孤児ですよ。魔法なんて使える訳ないじゃないですか」

「使えますよ」

「お、おい!?」

 私は思わず言葉を挟んでしまった。ギンシュちゃんが慌てて止めに入るが、私は気にしない。

 このマンジローさんは味方にしておくべきだ。大商会の大旦那様で、多分悪い人じゃあない。権力と資金があってて、話もそれなりに分かる。頭も柔らかそうだ。ここでアシンさんの絡みで敵対するよりも、仲間に引き入れた方がきっといいことがある……そんな気がする。ここで私の『情報』という切り札を切るべきだと判断した。

 さあ、勝負にいこう。

「あのねぇ……エルフみたいに皆に魔法の才能がある訳ではないのですよ。私達庶民には、どうしても越えられない壁がある。残念ながら、儚き夢なのですよ」

 マンジローさんは、諦めたように首を横に振った。

「ではここで大事なことを一つ。私実は【鑑定】スキル持ちなんですけど」

「なんですって!?」

 驚きに震えるマンジローさん。よしっ話の流れをこちらに持ってきたぞ。

「私が【鑑定】したところによれば、アシンさんも、なんならマンジローさんも【魔法】スキル、持ってますよ」

「おい嬢ちゃん本当か!?」

「そんな……そんなことが……」

「ちなみにアシンさんは念願の【水魔法】、マンジローさんは【風魔法】ですね。風魔法は……ほら、こんなこともできますよ」

 私は【風魔法】を発動させて、空を飛んで見せる。

「そ、そんな……『【風魔法】では空を飛べない』というのは遥か百年も前に出来た定説のはず……貴女は……貴女は一体何者なのです!?」

「私ですか? 見ての通りのエルフですよ。ただし、『神の落し子』ですが」

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